脱!組織信仰 何のための組織か。この「何のため」を忘れてしまうと、そこにいる人が「手段」となってしまう危険性は常にあります。だからこそ一人一人の自発能動による、不断の精神闘争こそが大切なのではないでしょうか。 自活座談会 自活座談会は師匠池田先生の指導を根本に、題目を唱え、自らが学び考え、何事も笑顔で楽しみ、現実社会のど真ん中で実証を示し、お互いに切磋琢磨しながら、人間革命し、集い、対話する場です。 応援します 「創価自主支援活動サイト」は「座談会御書等」の「お役立ち資料」の情報発信を中心に、皆様からの疑問・質問にも真正面から向き合い「自主活動」を応援します。
2020年3月12日 / 最終更新日 : 2020年3月13日 サイトスタッフ 投書 【投書】政治を監視せよ! 投書者:ただ今自由人 政治を監視せよ! 新型コロナウィルスの拡散が止まらない。衆議院予算委員会で安倍総理は全国一斉休校を「専門家の意見を踏まえて要請した」と言ったが、その舌の根も乾かないうちに「時間的制約の中での政治決 […]
2020年3月10日 / 最終更新日 : 2020年3月17日 サイトスタッフ 宗学コラム 大難にあう人(教団)にこそ御本尊授与の資格あり(師は弟子のこころに時の到来を感じ出世の本懐を遂げる) 『大難にあうことにより法華経最第一を証明した日蓮大聖人であればこそ、「この本尊をもって衆生を救いますぞ」と宣言できた、即ち大難にあう人(教団)にこそ御本尊授与の資格があるのであり、難なき人(教団)が御本尊を授与しても本尊 […]
2020年3月8日 / 最終更新日 : 2020年3月8日 サイトスタッフ 投書 【投書】日蓮初期教団の事蹟から学ぶこと~師匠の晩年から滅後にかけて「君たちはどう生きるか」 投書者:林信男 師匠亡き後、残された弟子たちはどうすればいいのか?何を拠りどころとすればよいのか? その明答は、日蓮の一弟子である日興の言葉にあると思います。 師匠は入滅候と申せども其の遺状候なり、立正安国論是れなり。「 […]
2020年3月8日 / 最終更新日 : 2020年3月8日 サイトスタッフ 宗学コラム 「本仏論者」と「本仏行者」 最近はあまり聞こえなくなったが、ひところは、創価学会の爆発的な発展をやっかんで、様々な批判が浴びせられた。中でも最も我々を失望させたのは、同門内から起きた「会長本仏」とか「池田本仏」とかいった批判である。無名無力の我々 […]
2020年3月7日 / 最終更新日 : 2020年3月8日 サイトスタッフ 体験談 娘の信仰体験 /西日本在住 青年部員 【娘の信仰体験】先日、家族で公園に遊びに行った日の夜。小学生の娘が妻に、「ねーねー、私の帽子知らない?どこにもないんだけど。」妻は、「知らないよ?ちゃんと探したの?」とのやりとり。娘のお気に入りの帽子が見あたらない様子。 […]
2020年3月4日 / 最終更新日 : 2020年3月5日 サイトスタッフ 座談会御書 令和2年 3月度 座談会御書 兵衛志殿御返事(三障四魔事) しを(潮)のひ(干)るとみ(満)つと月の出づるとい(入)ると、夏と秋と冬と春とのさかひ(境)には必ず相違する事あり、凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者はよろこ(喜)び愚者は退くこ […]
2020年3月3日 / 最終更新日 : 2020年3月8日 サイトスタッフ 投書 【投書】いま、私たちが身をもって学んでいること 投書者: 林信男 仏教では森羅万象、世の事象と『人間のいのちの働き』の関わりを説きます。 日蓮教学で重要な書と位置付けされる「守護国家論」には次のようにあります。 世間の安穏を祈るとも而も国に三災起らば悪法流布する故なり […]
2020年3月2日 / 最終更新日 : 2020年9月22日 サイトスタッフ 投書 【投書】新型コロナウイルスの世界的流行に思うこと 投書者:林信男 その昔、中国(前漢)では災異説(儒学者・董仲舒[とうちゅうじょ]による)というのがあり、人の行いと疫病や自然災害の関連が説かれていました。 悪政が続けば天は怒り、疫病の流行、水害、大風、地震、彗星の飛来、 […]
2020年2月29日 / 最終更新日 : 2020年3月1日 サイトスタッフ 投書 【投書】今日も大好きな池田先生と生きていこう 投書者:マーガレット 池田先生が、大好きでたまらない。毎日、先生のことを思っている。先生がどれだけ私たちのことを思い、先手、先手を打って道を創ってくれたことか … 池田先生がご本尊様と大宇宙の法則を教えてくれた… そのこ […]
2020年2月27日 / 最終更新日 : 2020年2月27日 サイトスタッフ 宗学コラム 熱原法難余話(三) 熱原の三烈士は三兄弟ではない? 神四郎、弥五郎、弥六郎。殉教の誉も高い熱原法難の三兄弟ですが、弥六郎さんと呼ばれてきた方は、実は兄弟ではなかったようです。神四郎さんと弥五郎さんは確かに兄弟でしたが、弥六郎さんは弟でないばかりか、名前も違ったらしい。い […]