燃える目

投稿者:DIDI

私が初めて池田先生にお会いしたのは、今、思い返すと、川崎支部結成大会ではなかったかと思います。私は9歳くらいですからもう60年以上前のことです。

父が組長決意発表の登壇者だったため、早くに来場して前の方に座っていました。どなたかがおくれるということで、中々、開会にはならず、学会歌が何度となく歌われていました。

でも、その方が来られる前に開会となり、途中痩せて小柄な方が壇上の中心に座られました。その方は、座ったまま後ろの様子を見たりされていました。

私はその方の燃えるような目が怖くてなりませんでした。怖くて目が離せないでいると、何度か目が合い、その度にすぐに下を向き恐る恐る目を上げたことを覚えています。

その方が池田先生だったと確信できたのはつい最近のことです。

戸田先生がお亡くなりになり、池田先生はまだ総務だったと思います。

戸田先生亡き後、学会は空中分裂するであろうとの世間の噂の中、一身に創価学会を背負っていられた頃です。まだお歳は若干、34歳の頃です。

その燃えるような目は何としても師の御遺命を達成するとの決意の現れだと、70歳の今になってわかることができます。

もっと早くにそのことがわかれば私の人生も変わっていたかもしれません。先生のお心もわからずに、誠の信心もわからずに生きてきた数十年でした。

池田先生はその後、大進撃をされて創価学会を800万世帯に迄されました。何もわからず、不詳の私ではありますが、先生と同じ時を生きられたことを誇りとして、又、先生と共に生まれてくることができるように祈るばかりです。