座談会御書「生死一大事血脈抄」2024年(令和6年)4月度

〈御 書〉

御書新版 1777㌻1行目~3行目
御書全集 1338㌻8行目~10行目

〈本 文〉

 相構えて相構えて、強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給え。生死一大事の血脈、これより外に全く求むることなかれ。煩悩即菩提・生死即涅槃とは、これなり。信心の血脈なくんば、法華経を持つとも無益なり。

〈講 義〉

本抄は文永9年(1272)2月11日、大聖人が51歳の時に佐渡・塚原でしたためられとされています。対告者である「最蓮房」について詳しいことは不明ですが、通説では京都出身のもと天台宗の学僧で、何らかの事情で佐渡に流され、そこで大聖人に帰依したとされています。

本状は御真筆が現存せず、最新の学術研究では「偽書(ぎしょ)扱い」となっていますが、そういう面倒くさいことは横に置いといて、戸田先生・池田先生が本状を「信心の糧」として読まれたように、私たちも「信心に資する重要な御書である」と拝して学んでいきたいと思います。

本状はその内容から、最蓮房が当時の天台宗の奥義とされた「生死一大事血脈」について質問し、それに答えられた返状であると考えられます。
最蓮房が「生死一大事血脈」という仏法の極理にかかわる重要問題を質問したことに対して、大聖人は冒頭、次のように述べています。

生死一大事の血脈とは「妙法蓮華経」のことなのです。その理由は、この妙法蓮華経の五字は釈迦・多宝の二仏が宝塔の中で上行菩薩にお譲りになったのであり、過去遠々劫以来、瞬時も離れることのなかった「血脈の法」
なのです——と。

つまり、生と死の苦悩を根本的に解決する(生死)一大事の法とは「妙法蓮華経」以外にないというのが大聖人の結論です。そしてその根拠として、釈迦・多宝から上行菩薩に「妙法蓮華経」が付属されたという正当な血脈を示されます。

この冒頭の御文から推察すれば、本状全体のテーマは、

  • 仏の悟った究極の極理とは何か。
  • それはどのようにして衆生に伝えられるか。

という二点に集約されると思います。

したがって、生死一大事血脈とは、生命の真実の姿(実相)、また生命の有様を説き明かした仏の悟りが、師(仏)から弟子(衆生)へ、どのようにして伝えられるかということであり、私たちの成仏にかかわる「最重要の法門」と言えます。

日寛上人は、文底秘沈抄の中で「一大事」を末法における法体に約して、

「一」とは、本門の本尊。

「大」とは、本門の戒檀。

「事」とは、本門の題目。であり、

一大事は「三大秘法」を意味すると述べられています。

つまり、「生・老・病・死」の苦悩を乗り越え、絶対的幸福境涯の人生を勝ち取るためには、「本門の本尊」を受持する以外にないというのが、前提であり、結論です。

では、私たちがどのような「信心の姿勢」に立った時、仏法の極理(生死一大事の法)が、師匠(仏)から弟子(衆生)へ血脈として伝えられるかということについて、大聖人は三点に分けて示されています。

  • 久遠実成の釈尊と法華経と我等衆生との三つ全く差別が無いと解(さと)って妙法蓮華経と唱える。

これは、我が身に仏の生命が具わっていることを信じて、南無妙法蓮華経と唱える「唱題行」の実践です。

  • 過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざることを法華の血脈相承という。

これは、過去・現在・未来の三世にわたって御本尊から絶対に離れないという信心の持続と拝せます。

つまり、絶対に退転するな。絶対に御本尊を手放すな――という意味だと思います。

  • 総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱える。

要するに、弟子が一致団結して広宣流布実現の題目を唱えるところにのみ「一大事の法」が伝わるということだと思います。

しかもその題目(広宣流布実現)は、大聖人が弘通する究極のものであると述べられました。

今回学ぶ御書は、その最後の結論部分です。

【本文】生死一大事血脈抄 【新版1777㌻ 全集1338㌻】

相(あい)構(かま)えて相構えて、強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経・臨終正念(しょうねん)と祈念し給え。

生死一大事の血脈、これより外(ほか)に全く求むることなかれ。

煩悩即(そく)菩提・生死即涅槃とは、これなり。

信心の血脈なくんば、法華経を持つとも無益(むやく)なり。

【意訳】※通解ではなく意訳で読みたいと思います。

生死一大事の血脈とは、どういう意味なのかと言えば、

死(臨終)に臨んでも、決して心を乱さず、

「自分は南無妙法蓮華経の当体なのだ」

「我が生命は、生死を繰り返し、三世永遠に実在するのだ」

と最後の最後まで強盛に信じ抜き、

「絶対に疑わない!」と決意して、題目をあげていきなさい。これ以外に、悩み・苦しみ(煩悩)を使命に転換して生き抜くことはできないし、生死が「生命本来の姿」なのだと悟ることもできないよ。

——師匠(日蓮)から、そのように教えてもらったことを決して忘れないという「師弟の血脈」、またそれを信じる抜く「信心の血脈」が無ければ、たとえ御本尊を受持していても無益(むやく)だよ。——となるでしょうか。

【信心の血脈】

では、信心の血脈を「行」(実践)に約せば、どうなるかというと、それは「信心口(く)唱(しょう)」です。つまり、

  • 本門の本尊を信じて唱題行に励む。(自行)

( 南無妙法蓮華経を口で唱える )

  • 御本尊を賛嘆し、折伏行に励む。(化他)

( 聞法下種を口で唱える )

——ということに尽きます。

言葉を変えれば、自行化他の「唱題行」は自身が成仏するための三つの要件——

  • 我が身に仏の生命が具わっているという信心。
  • 御本尊から絶対に離れないという持続の信心。
  • 広宣流布実現の題目を唱える信心。

これを信じ切るための「仏道修行」であるとも言えます。

 

たとえば、

「君には本来、どんな困難をも乗り越えていける最強の仏の生命力が具わっているんだよ」と、大聖人や池田先生から言われても、何の修行もしないで「その言葉を信じぬくこと」は不可能に近いと思います。

大聖人は、

  • いろんな迫害や悩みがあっても「疑う心」がなければ、  

自然に仏の生命力が湧現してくる。

  • 諸天善神の加護がないと疑ってはいけない。
  • 希望が見い出せないからといって嘆いてはいけない。

と、

我が弟子にそのことを毎日教えているけれども疑いを起して皆その信心を捨ててしまう。(趣意、開目抄)と述べられています。

私たちに置き換えて言えば、たとえ御本尊を持っていても普段から信心修行(信心口唱)——つまり、題目をあげない人は、何かあるとすぐに自暴自棄に陥り、

「信心してるのに何でこんなことが起こるのか」とか、

「自分なんて何の価値もない」とか、

「自分には無理だ」とか、

「何の希望も見い出せない、絶望だぁ~」

と嘆き、自分で自分をさげすみ、そのくせ「自分はしっかり信心している」と錯覚して、題目をあげる気力さえなくなり、何のために信心をしているのかさえ分からなくなる人がいます。

このような人は、結果として、題目をあげる気力が出ないからこそ、御本尊から離れていき、御本尊から離れていくからこそ、広宣流布していこうなどという気持ちなど起こるわけがないのです。

こうなるともう悪循環のループにはまり、上記3つの要件は満たされなくなります。

——たまに困った時だけ、また悩みが出てきた時だけのみ、

題目をあげる人がいますが、初信の人ならばその悩みを縁として、本格的な仏道修行に入っていく切っ掛けとはなりますが、信心を何十年もしている人が、未だにそのような「信心の姿勢」でいるならば、人生の終盤にさしかかった時には、必ず後悔の念が生じるのではないかと思います。

大聖人は、

愚かな者ほど、本当に立ち向かわなければならない時に、私(日蓮)の教えたことを忘れるものだ。(趣意、同抄)

と警告しています。

だからこそ大聖人は、

「南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給え!」

「これより外(ほか)に全く求むることなかれ!」

と断言しているのだと思います。

私たち一人一人が、この大聖人の云われる「信心の姿勢」に立った時のみ、師匠(仏)から弟子(衆生)へ「信心の血脈」が流れ、伝えられるのではないかと確信します。

新年度を迎えたこの4月、心も新たにこの御文を「信読」し、また「身読」していく実践をともどもに開始していきたいと思いますので、皆様がんばりましょう。

以上です。ありがとうございました。

御書講義 動画サイト

 

4月度座談会御書履歴

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座談会御書 「聖人御難事」2001年(平成13年)
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座談会御書 「乙御前御消息(身軽法重抄)」2004年(平成16年)
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