天災地変と疫病から始まった物語

新型コロナウイルスの流行が猛威を奮い、都道府県から外出自粛要請が出され、医療関係者は次々に警告を発し、首都封鎖が現実のものとして感じられるような緊迫感漂う日々が続いています。

新型ウイルスの流行というのは歴史的には疫病という名で繰り返され、その度に多くの人命を奪ってきました。天災地変(自然災害)もまた記録に残るもの、そうでないものも含めて夥しく発生しては故郷の山河を破壊して無数の庶民の人生を飲み込んでおり、そのような意味では、『天災地変と疫病から生き残った人々による同時代の物語り』の積み重ねが人間の歴史でもあったように思います。

思えば、日蓮大聖人の妙法流布・法華勧奨(折伏)の展開は、天災地変と疫病、続く大量死を眼前とした悲嘆と苦悩の中から始まったといえるのではないでしょうか。

建長5年(1253)の立教から4年後の正嘉元年(1257)8月23日、鎌倉を巨大地震が襲います。

吾妻鏡 8月23日

戌の刻大地震。音有り。神社仏閣一宇として全きこと無し。山岳頽崩し、人屋顛倒す。築地皆悉く破損し、所々の地裂け水湧き出る。中下馬橋の辺地裂け破れ、その中より火炎燃え出る。色青し。

安国論御勘由来(文永5年4月5日)

正嘉元年太歳丁巳(ひのとみ)八月二十三日戌亥(いぬい)の時、前代に超えたる大地振(だいじしん)。

その後も余震が続きます。

吾妻鏡 9月4日

小雨降る 申の刻地震。去る月二十三日の大動以後、今に至るまで小動休止せず。これに依って為親朝臣天地災変祭を奉仕す。御使は伊賀の前司朝行。

11月8日には再び大地震が発生します。

吾妻鏡 11月8日

大地震、去る八月二十三日の如し。

翌正嘉2年(1258)8月1日には大暴風雨が吹き荒れ、諸国の田畑は被災して作物は不作、飢饉となってしまいます。

吾妻鏡 8月1日

暴風烈しく吹き、甚雨沃すが如し。昏黒天顔快晴 諸国の田園悉く以て損亡す。

神明鏡

八月一日大風、二日大洪水。天下大飢饉、人民死亡しをはんぬ。

※神明鏡~神武天皇(伝説的な初代天皇)から後花園天皇(応永26年[1419]~文明3年[1471])までの史書、作者不明。

安国論御勘由来

同二年戊午(つちのえうま)八月一日大風

正嘉3年(1259)には大飢饉となり、疫病が発生して死屍累々たる惨状を呈しています。

五代帝王物語

春比より世のなかに疫病おびただしくはやりて、下臈どもはやまぬ家なし。川原などは路もなきほどに死骸みちて、浅ましき事にて侍りき。崇神天皇の御代昔の例にも劣らずやありけん。飢饉もけしからぬ事にて、諸国七道の民おほく死亡せしかば、三月二十六日改元ありて正元と改る。

※五代帝王物語~五代は後堀河、四条、後嵯峨、後深草、亀山天皇を指し、鎌倉時代後期に書かれた編年体の歴史物語、作者未詳。

安国論御勘由来

同(正嘉)三年大飢饉。正元元年己未(つちのとひつじ)大疫病

正嘉元年から正嘉3年へと続いた大地震、暴風雨、洪水、飢饉、疫病は大量死をもたらしてこの世の生き地獄を現出しましたが、そのような渦中で日蓮大聖人は災難由来の根本原因を究明せんと一切経に向かい、探求の手を休めることはありませんでした。生き地獄の真っただ中に身を置けばこそ、悲嘆、苦悩、憤りを生きて生かせる力に変えたのではないでしょうか。

武蔵殿御消息

摂論(摂大乗論のこと)三巻は給び候へども、釈論等の各疏候はざるあひだ事ゆかず候。をなじくは給び候ひてみあわすべく候。見参の事いつにてか候べき。仰せをかほり候はん。八講はいつにて候やらん。

正元元年(1259)7月、大聖人は武蔵房に書籍の借用を依頼しながら、天台信仰圏で行われている「法華八講」の日時を確認しています。天台僧のつながりの中で、法華勧奨に励んでいたことがうかがわれます。

同年には教学上の大著である「守護国家論」を著し(系年には異論もあります)、翌文応元年(1260)5月には「唱法華題目抄」を著しています。

日蓮大聖人は、この頃の思いを「安国論御勘由来」(文永5年4月5日)に以下のように記述しています。

日蓮世間の体を見て粗一切経を勘ふるに、御祈請験無く還りて凶悪を増長するの由、道理文証之を得了んぬ。終に止むこと無く勘文一通を造り作し其の名を立正安国論と号す。文応元年庚申七月十六日辰時、屋戸野入道に付し故最明寺入道殿に奏進し了んぬ。此偏に国土の恩を報ぜんが為なり。

同年7月の「立正安国論」にも、その心境を記しています。

此の世早く衰え其の法何ぞ廃れたる、是れ何なる禍に依り是れ何なる誤りに由るや。~中略~独り此の事を愁いて胸臆に憤悱す。~中略~弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う。何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。

正嘉の大地震をはじめとする自然災害と疫病・飢饉の惨状、その瞬間まで生きていた人々が死んでゆく光景を目の当たりにした日蓮大聖人の悲嘆と憤りは、いかばかりだったでしょうか。

「災害、疫病、飢饉、大きな力の前にあまりにも非力で弱い人間、それでいて生を受ける意味、人間としての善き生き方、生死の問題、仏教の慈悲はいずこに・・・」

「災害が起きるたびに多くの人が傷つき亡くなり、飢えて倒れて家族が生き別れになり、疫病には抗う術もなく、民の苦しみ嘆きは繰り返され、これで何が政道、善政、何が正法、正しき教えであろうか。政治も宗教も、自然災害・疫病の猛威になす術なし。その対応になんの意味があろう。やむことなき衆生の苦しみに何ができるのだろうか」等々。

その憤り、衆生を思うこころの深さに比例して、人間として生きるに避けられない「生死」という根本的な問題を解決せんとする「志」は高いものとなり、それはその後の圧迫、迫害をものともしない、大難をも包み込むほどのパワーに満ち溢れたものへと昇華されたのではないかと思うのです。

日蓮大聖人の生きた時代同様、今日も自然災害が発生しては甚大なる被害をもたらし、現在は新型ウイルスの蔓延が止まりません。

大聖人は、災難由来の根本原因解明と退治の法を求める時の到来を確信し、志と思いは「立正安国論」として結実しましたが、そこには以下のように記されています。

汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し。

速に対治を回して早く泰平を致し先ず生前を安じて更に没後を扶けん、唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ

世の惨状をなくしたい、よりよき社会でありたいのは誰もが思う願い。

これまでの自分を省みて、改めるべきは改めましょう。

そして大いなるよきものを見出しましょう。

その豊かなる恵みを得た心の広がりが、やがて世の在り方をも変えていくことでしょう。

大いなるよきものを知り得た豊かな恵みをあなた一人だけのものにするのではなく、さあ、皆さんにも届けていきましょう。

日蓮大聖人の『生きた声』は700年の時を越えて、現代にまで響いているのではないでしょうか。

                                     林 信男