脱!組織信仰 何のための組織か。この「何のため」を忘れてしまうと、そこにいる人が「手段」となってしまう危険性は常にあります。だからこそ一人一人の自発能動による、不断の精神闘争こそが大切なのではないでしょうか。 自活座談会 自活座談会は師匠池田先生の指導を根本に、題目を唱え、自らが学び考え、何事も笑顔で楽しみ、現実社会のど真ん中で実証を示し、お互いに切磋琢磨しながら、人間革命し、集い、対話する場です。 応援します 「創価自主支援活動サイト」は「座談会御書等」の「お役立ち資料」の情報発信を中心に、皆様からの疑問・質問にも真正面から向き合い「自主活動」を応援します。
2020年10月27日 / 最終更新日 : 2020年10月27日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡期の外部批判(5)・私論 投稿者:鬼滅の言 或る人云く勧持品の如きは深位の菩薩の義なり安楽行品に違すと 寺泊御書御書p.953 勧持品の折伏行は深位の菩薩の修行であり、初心の行者である日蓮は安楽行品の摂受の修行をすべきである。その批判に日蓮大聖人 […]
2020年10月20日 / 最終更新日 : 2020年10月20日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 42【完】 12 代々の住持一宗の相続に非ず 鎌倉時代、別当は「名ばかりの」清澄寺ではありましたが、虚空蔵菩薩求聞持法を行う霊場としての喧伝は室町時代後期に至るも続いており、文明15年(1483)4月、高野山で沙門鏡心が書写した「慈 […]
2020年10月19日 / 最終更新日 : 2021年1月30日 サイトスタッフ 投書 【投書】今の世相に思う(7) 菅首相の国立大に対する弔慰要請への疑問 投書者:ハーフソール あれから又一週間が過ぎたがやはり菅総理は6人のメンバーをなぜ任命しなかったのか説明しようとはしない。 それどころか学術会議の在り方を考えなければならないと言っているが、これは論点のすり替えと言われ […]
2020年10月19日 / 最終更新日 : 2020年10月19日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 41 【 東条景信による清澄・二間の寺領侵犯 】 清澄寺が特定の宗派ではなかったことの参考になると思われるのが、先に見た「清澄寺大衆中」の「故いかんとなれば、東条左衛門景信が悪人として清澄のか(飼)いしゝ(鹿)等をか(狩)りと […]
2020年10月18日 / 最終更新日 : 2020年10月18日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡期の外部批判(4)・私論 投稿者:鬼滅の言 或る人云く勧持品の如きは深位の菩薩の義なり安楽行品に違すと 寺泊御書 御書p.953 勧持品で説かれる三類の強敵と闘う折伏行は深位の菩薩の修行で、日蓮は深位の菩薩ではない。初心の者は安楽行品の「楽つて人 […]
2020年10月18日 / 最終更新日 : 2020年10月18日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 40 11 「名ばかり」の別当 【 別当御房御返事 】 清澄寺の別当職とはどのようなものだったのでしょうか。 ここで「別当御房御返事」(文永11年5、6月頃)を確認してみましょう。 本文 聖密房のふみにくはしくかきて候。よりあ […]
2020年10月17日 / 最終更新日 : 2020年10月20日 サイトスタッフ 座談会御書 令和2年 10月度 座談会御書 一生成仏抄 一生成仏抄 建長7年(1255年)三十四歳御作与 富木常忍 〈本文〉 衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、誓えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡な […]
2020年10月17日 / 最終更新日 : 2020年10月17日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 39 10 台密系の別当は 若き日は天台・台密の法脈に連なっていた日蓮大聖人が清澄寺別当就任を要請されていることからして(文永11年5・6月頃「別当御房御返事」)、大聖人の時代には天台・台密系の別当もいたと考えられます。 その […]
2020年10月16日 / 最終更新日 : 2020年10月16日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 38 9 関東護持奉行・弘賢 日蓮大聖人について「師匠道善御房に値ひ奉って、東寺家の真言を習学す」と記す「法華本門宗要抄」が作られる頃には、清澄寺はあたかも真言・東密と見られるような寺院となり(山川P86~)、窪田氏は宗要抄の […]
2020年10月14日 / 最終更新日 : 2020年10月14日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 37 【 高木豊氏の指摘 】 高木豊氏は論考「安房国清澄寺宗派考」(日蓮攷P25)にて、金沢文庫に所蔵する寂澄手択本の奥書にある寂澄の署名は一貫して同一だが、「納経札」の「院主阿闍梨寂澄」とは一致せず、別人との断定はひかえるが […]