【投書】原田学会はカルト教団に?

JIKATSU投書アイキャッチ

投書者:紅群れ咲く丹木の丘

大白蓮華連載の池田先生ご講義の御書学習会を、圏の太陽会で担当していたところ、私の講義を受けて、支部の皆様にも御書学習会の機会を与えたいと決意した支部長さんから、支部での御書学習会を担当して欲しいと要請があったのが1年あまり前のことでした。
そこでその支部長さんに二つのことをお願いしました。
一つは、支部としての行事の位置づけはしないで、御書を学びたい方々が自由に参加する学習会にしてほしい。したがって支部を越えて他の組織の方々の参加も受け入れる。なぜなら、支部行事ではなく、任意の自由な勉強会という位置づけだから。ゆえに多忙な支部地区行事なので、それらがあっても自由な任意の勉強会という以上、毎月必ず開催してほしい。たとえ参加者がお一人でも私は全力で講義します。
二つ目は、始めるにあたって圏長に了解を得てほしい。支部長さんはすべてご了解くださって御書学習会が始まりました。しかしながら、その支部長さんは支部長職を終えられ、新しい支部長さんが就任されました。その結果、支部の取り組みの一環として、この御書学習会を止めることとなりました。理由は、支部として新たに取り組むことができたからとのことでした。
その取り決めは、前述しましたように、当初の経緯からは外れていますが、支部長さん支部女性部長さんが代わったことにより方針が代わることは理解できるのですが、かといって支部御書学習会グループラインにご参加くださっている51名の皆様の中で、本当に御書を学びたいと求道心を持って、これまでご参加いただいていた方のお気持ちは、どうなるのでしょうか。
組織運営を第一義に考えていくと、どうしても歪みが生まれます。会員第一義をもとに考えていくことが、池田先生のお心だと私は認識しております。
そこで、毎月の御書学習会にご参加くださっていた女性部員さんの中で、御書学習会を楽しみにされていた高齢のご婦人がおられましたので、私が運営している自由で任意の参加である『大白蓮華池田先生御書学習会グループライン』にお誘いのお声掛けをしたい旨の提案を新しい支部長さんにしましたところ、後日、以下の返信がありました。
『グループLINEのお声掛けの了解の是非の決定の判断がつかなかったので、支部として本部・圏・県に指導を受けました。指導を受けた結果、お声掛けは遠慮してくださいと言われましたので、以上よろしくお願いいたします。』
その返信を読んで、私は愕然としました。支部員さんが御書を学ぶことについて、どうして支部長支部女性部長で答えを出すことができないのか。支部長支部女性部長も私の講義を何回も受けていて、講義内容も理解しているにもかかわらず。
自由に御書を学ぶことは素晴らしいことなのに、その学ぶ権利を役職が上の幹部が奪ってもいいのか。本部・圏・県の誰が判断したのかはわからないが、判断を下した幹部が講義を聴いたことはないのに、何を基準に判断をしたのか。大聖人様の仏法は一閻浮提に流布すべきであるのだから、その学びの場も一閻浮提であるはずで、支部以外の場では学んではいけないと主張する上位役職の矮小化された境涯はいかがなものか。
それ以上に危惧することは、最前線の大切な会員さんたちを預かる現場の支部・地区幹部が、自分の責任のもとで判断を下すことができなくて、何でもかんでも上位役職に判断を委ねる体質に成り下がっている現原田学会の組織は、思考力低下・想像力皆無・判断力麻痺のカルト教団に陥ってしまったと思うのは、私だけでしょうか?人間革命、新人間革命を読んで、何を学んでいるのでしょうか?一人立ち続けられた師匠の責任感を「自分事」として学んでいくべきであると私は思っています。

【投書】原田学会はカルト教団に?” に対して1件のコメントがあります。

  1. やけのやんぱち より:

    紅群れ咲く丹木の丘さま

     素晴らしい取り組みをされていることに敬意を表します。私の信頼する男子部時代からの先輩も、大白蓮華の池田先生ご講義勉強会を開催してくださっています。これは組織を超えて先輩の発信に賛同する方々が自主的に集結し、先生のご講義を学んでいます。この求道の心に誰人たりともその権利を奪うことはできないと思います。

     現在の地区部長や支部長はおっしゃる様に物事を長の責任において決定することはできない体質となってしまいました。学会の「指導主義」をはき違えた結果だと私は思っております。以前、支部長をさせていただいていた時に、年末の地区討議をもとに支部討議を行ない、支部としての目標を打ち立てましたが、その当時の区(圏)から却下されました。理由は前年を下回っているからというもの。私が各地区部長の決定事項を尊重して支部長として決定したことのプロセスよりも、数字の目標が足りないからという、今の組織の結果主義がもたらしている事実がそこにあります。だから地区の幹部たちはマイ聖教をしたり、一丁上がりの本流に走ってしまい、歓喜どころか疲弊だけが残り、組織の目標達成のための現場の幹部となってしまっています。
    こんな組織に、だれが入りたいと思いますか?と思います。

    話が逸れましたが、昔のA会や男子部部長会などは喧々諤々とやっていたはずです。今や上からの指示待ち症候群となりさがり、指示通りやっていれば功徳があるという組織風土になってしまっていると危惧しております。

    戸田先生が獄中で特高警察に「会員たちの教学力の無さ」を指摘され、出獄とともに教学をもって学会を再建されたように、今の会員たちには教学を学び抜き、ご金言を通して長としての判断力を養う必要があると思います。

    上部組織は言うことを聞く、文句を言わない幹部を登用するほうが都合がいいでしょう。それは呼吸をあわせることとは違います。いまこそ私たちは御書を学び、先生のご指導を学び、賢くならなければならないと痛感します。選挙屋になっていてはいけません。新聞のセールス(すでに啓蒙ではなくなっています)ばかりでもいけません。一人一人が幹を太くしていくことが大切だと思います。そうすることで最前線の大切な会員さんたちを預かる現場の支部・地区幹部が、自分の責任のもとで判断を下すことができるようになってくると私は思っております。

  2. やけのやんぱち様
    現場に徹してられた貴重なお話しと、私への励ましをありがとうございました。まったくやけのやんぱち様のおっしゃる通りです。
     責任をとらない、責任をとれない幹部のその最たる者が原田会長をはじめとする最高幹部や山内関西長をはじめとする方面幹部ですから、それらのもとにいる幹部連中も言わずもがなでしょうか。
     先生ご逝去、教学要綱発刊以降、3度の国政選挙、都議会議員選挙と負け続けているにもかかわらず、トップの椅子に座り続けるどあつかましさは、いったい何があるのでしょうか?。何か美味い汁でもあるのでしょうか?
     会社組織では経営失敗で会社に損失を与えた場合、経営トップが責任をとって辞任することは当たり前であって、それが社会の常識であると認識しています。
     国政選挙や都議会議員選挙で負けたということは、会社組織で譬えて言うと学会組織・会員に損失を与えたことになり、常識で考えると組織刷新のために最高幹部・負けた方面幹部は交代となるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?。『学会の常識は世間の非常識』を裏づける最高幹部連中の振る舞いです。
     『鰯は頭から腐る』の通りの原田学会なのでしょうか…。あっ!鰯に失礼でしたね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA