座談会御書「顕仏未来記」2026年(令和8年)5月度
〈御 書〉
御書新版 612㌻7行目~10行目
御書全集 509㌻8行目~11行目
〈本 文〉
伝教大師云わく「浅きは易く深きは難しとは、釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは、丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚(ふよう)し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云々。安州の日蓮は、恐らくは、三師に相承し、法華宗を助けて未法に流通す。三に一を加えて三国四師と号づく。
〈講 義〉
本日は、佐渡の地で著された「顕仏未来記」を、皆様と一緒に学んでまいります。
最初にこの顕仏未来記の本義を理解するためにも佐渡期・前後の出来事を振り返ってまいりましょう。
佐渡流罪前の“龍ノ口の法難”がなければ大聖人の重要法門の出現はなかったといっても過言ではないと感じます。
大聖人様は文永8年9月12日に龍ノ口の首の座に臨まれます。幕府が秘密裏に大聖人の命を奪わんとし 首刎(は)ねようとしたのです。
太刀が振り下ろされようとしたまさにその時、まばゆく輝く光り物が江の島方面より龍ノ口の刑場に向かってすごい速さで飛んでくるのです。首切り役人も周りを囲んでいた役人たちも最大限の恐怖を感じ一目散に飛び逃げたのです。しかし大聖人様は微動だにせず朗々とお題目をあげていらっしゃいます。光物で明るく照らし出される大聖人周辺、そこに現実を超えて荘厳たる世界が出現したのです。ここに大聖人は敢然(かんぜん)として久遠元初の御本仏の生命をお顕わしになりました。役人たちはただただ驚天動地の思いです。「日蓮御坊はただ人にあらず」と恐れおじけきって近づくことができません。結局、鎌倉の指示により大聖人を佐渡流罪に処します。
佐渡にお着きになられた大聖人は塚原という死人の捨て場所の一角にある一間四面の粗末なお堂をお住まいとされました。季節は11月、現在の暦で12月8日にあたります。当時は小氷河期にもあたっていて、極寒の佐渡は雪降り積り、あばら家のお堂の中でシカの皮をうち引き、蓑に身を包み、笠をかぶって一冬を過ごされたのです。しかし拘束された身体とは反対に大聖人は塚原に到着されるとすぐに「開目抄」の御構想を展開させて翌年2月には上下2巻に及ぶ大著、人本尊開顕の書である「開目抄」を完成されました。この1月には押し寄せた北国の邪宗の僧ら数百人を完膚なきまでに打ち破る“塚原問答“が起こりました。さらに問答の監視役であった守護代の本間重連を呼び止め、自壊叛逆難が起こるから急ぎ鎌倉に行くように示唆したのです。翌2月鎌倉からの知らせで、その予言的中に驚嘆した本間氏はすぐさま大聖人のもとに駆け付け大聖人への帰依を申し出たのでした。
その年の4月には一谷(いちのさわ)に住まいを移します。
流罪3年目の文永10年には法本尊開顕の書である「観心本尊抄」はじめ「諸法実相抄」、「如説修行抄」などの重書を立て続けに著しその中の一つに「顕仏未来記」があるのです。
■全文の要点を示す
さて座談会の御書範囲を理解しやすいようにまず顕仏未来記の全体を振り返っておきましょう。要点を3つに絞り示します。
1,法華経に示す釈尊の未来記が書かれています。
釈尊は法華経を広める行者が大難に会うと勧持品で予言しています。その予言通り大聖人自身が日本で法華経を広めはじめると勧持品に示されたように次々と難が競い起こりました。大聖人は俗衆増上慢、同門増上慢に続き極めつけは僭聖増上慢にいたる三類の敵陣を呼び起こし、すべてに勝ち切って勧持品の釈尊の予言を証明したのです。
2, 仏法西還を示し大聖人ご自身の未来記を示しています。
月をもって示される釈尊の仏法は西のインドより出て東方の中国と日本に伝わり広まりました。未法に入って太陽をもって示される大聖人の仏法は東の日本より出でて西方のインドおよび世界に広まってゆくのであると示され、大聖人の仏法がこれよりは世界に広がってゆくぞと宣言されています。
3, 三国四師の正法の継承を示す
戸田先生は「安房の国の日蓮は三師に相承して、すなわち釈尊、天台、伝教をついで法華経を助けて日本国に広宣流布するのである。四人の仏をたて、正法の仏は釈尊、像法の仏は天台、伝教、末法の仏は日蓮大聖人様と、これで三国に四人の仏ということになる」と講義されています。
■仏法西還の大聖人の仏法の立ち位置
この顕仏未来記全体の中で私が光を当てておきたい箇所があります。それは2番目の仏法西還の大聖人の仏法の立ち位置です。釈迦の仏法を月に大聖人の仏法を太陽に例えられている点です。身延派が本尊としている久遠実成の釈迦仏でさえ薄暗き月如きの明るさであるのに対し大聖人の仏法は大闇をうち破り世界を明るく照らす大日輪なのです。明確に大聖人様こそが諸仏に並ぶものなき御本仏であることが示されていると考えざるを得ません。大聖人を久遠実成の仏のお使いと決めつけている学者など、この一事をもって風の前の塵の如しです。
■本文
今日は前述した3番目の三国四師のところが拝読御書の範囲になります。
座談会御書の範囲を拝読します。
伝教大師云わく「浅きは易く深きは難しとは、釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは、丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚(ふよう)し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云々。安州の日蓮は、恐らくは、三師に相承し、法華宗を助けて未法に流通す。三に一を加えて三国四師と号づく。
簡単に語句の解説をします。
伝教大師:日本天台宗の開祖。日本に法華経を弘める。
叡山の一家:伝教大師の事
天台大師:中国天台宗の開祖。中国に法華経を弘める。
丈夫:仏の事、または勇気ある人。
安州:安房の国、現在の千葉県
意訳の入った通解を示します。
伝教大師は「浅い教えである爾前経は易しく、深い教えである法華経は難しいとは、釈尊による判定である。浅い教えの爾前経を捨てて深い教えである法華経を採用することは、仏の心である。天台大師は、釈尊に従い、法華宗に力を添えて中国に宣揚し、比叡山の伝教大師は天台のあとを受け継いで、法華宗に力を添えて日本に法華経を弘める」と述べている。安房国の日蓮は、恐れ多いことだが、釈尊・天台・伝教の三師のあとを受け継いで、法華宗に力を添えて末法に流通するのである。それゆえ、三師に日蓮一人を加えて「三国四師」と名付けるのである。
大聖人は佐渡に於いて甚深の法門を執筆されていますが、経王殿ご返事など一般信徒に対してもお手紙を残されています。
ここで仏法西還について若干の解説を試みます。
「仏法西還」といえば昭和31年に発表された戸田先生の「雲の井に月こそ見んと願いてしアジアの民に日(ひかり)をぞ送らん」との和歌が思いおこされます。包み込むような慈悲の深さと仏法西還を格調高く読み込んだこの和歌の心を戸田先生は若き池田先生に託されたのです。
池田先生はそれを受け昭和36年にインドのブッダガヤに赴かれ東洋広布の石碑を埋められました。東洋、さらに世界の不幸の民を救わんとの師の思いを必ず実現せん、と誓いを新たにされたのでしはないでしょうか。池田先生は昭和58年元朝にこの戸田先生の歌を墨痕鮮やかに清書し世界広布の決意を新たにしたのです。池田先生は「顕仏未来記は私の大好きな御書です。仏が予見した“世界広布を実現せん“との日蓮大聖人の広大なる御境涯を拝することができるからです。そして“未来の我が弟子よ、仏の心のままに立ち上がれ”との御本仏の御遺命の叫びが私の生命に響き渡ってやみません」と感想を述べています。
■仏法の継承者
仏法西還に次いで、今回の拝読御書でで深堀りをしたい箇所があります。
それは最後の「安州の日蓮は、恐らくは、三師に相承し、法華宗を助けて未法に流通す」の箇所です。
これは仏法の相承の歴史を示しています。
釈尊、天台、伝教から大聖人へ、そして近代、現代にいたり牧口先生、戸田先生、池田先生の三代の会長へと続いたこの後の仏法の継承者は誰なのかを考察していきます。
池田先生は「御書の心を蘇生させたのは牧口先生です。その意味で創価学会が大聖人の仏法を証明したのです」と創価学会が仏法を証明したと発言しました。しかしその本質は、創価学会を率いた三代会長こそが大聖人の仏法の心を蘇生させた証明者であることを示されています。であるならば三代会長の信心を正しく実践している人こそが大聖人の仏法の証明者であると考えるのは道理であります。
昭和54年4月25日池田先生が会長を辞任した後に開かれた本部幹部会の指導があります。 それには「組織は方便です。組織に功徳はありません!」と明確に言い切っています。そして「信心に功徳があるのです」と信心の継承にこそ意味があり組織の継承は本質ではない旨述べられてす。更に「毀誉療貶に流されてはいけません。位や組織それ自体に錯覚を起こしてはいけません。がっちりと大地に足を踏みしめたその心と学会精神、大聖人様のお心を法として進めるかにすべてが決定されるのです」と明確にご指導されました。
このご指導を身に帯して実行している人こそ大聖人の仏法を受け継ぐ人だと確信いたします。組織や役職が第一、会員は二の次とする教団、御本仏日蓮大聖人を上行菩薩とさげすむ団体などもはや正しい仏法の妨げにしかなっていません。
以上です。
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御書研鑽しよう会創価の森
5月度座談会御書履歴
座談会御書 「寂日房御書」2000年(平成12年)
座談会御書 「異体同心事」2001年(平成13年)
座談会御書 「上野殿御返事」2002年(平成14年)
座談会御書 「十字御書」2003年(平成15年)
座談会御書 「さじき女房御返事」2004年(平成16年)
座談会御書 「異体同心事」2005年(平成17年)
座談会御書 「阿仏房御書(宝塔御書)」2006年(平成18年)
座談会御書 「千日尼御前御返事」2007年(平成19年)
座談会御書 「千日尼御前御返事」2008年(平成20年)
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座談会御書 「種種御振舞御書」2010年(平成22年)
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座談会御書 「開目抄」2012年(平成24年)
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座談会御書 「呵責謗法滅罪抄」2014年(平成26年)
座談会御書 「富木尼御前御返事(弓箭御書)」2015年(平成27年)
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座談会御書 「開目抄」2020年(令和02年)
座談会御書 「立正安国論」2021年(令和03年)
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5月の広布史
――創価学会の日――
5月3日
■随筆 平和の城
晴れ渡る五月三日
■人間と仏法を語る11巻(今日より明日へ31巻)
5・3「創価学会の日」記念勤行会
――創価学会母の日――
1988年(昭和63年5月3日)
■人間と仏法を語る7巻(今日より明日へ10巻)
4・27 第1回全国婦人部幹部会
■人間と仏法を語る7巻(今日より明日へ11巻)
5・3 「創価学会の日」記念式典
■池田SGI会長指導集 「幸福の花束」―平和を創る女性の世紀へ
婦人部の歩み
