座談会御書「妙密上人御消息」2022年(令和4年)8月度

〈御 書〉

御書新版1711㌻12行目~15行目
御書全集1241㌻2行目~5行目

〈本 文〉

 日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱えたり。これは須弥山の始の一塵、大海の始の一露なり。二人・三人・十人・百人、一国・二国・六十六箇国、已に島二にも及びぬらん。今は謗ぜし人人も唱へ給うらん。また上一人より下万民に至るまで、法華経の神力品のごとく、一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん

〈通 解〉

 日蓮は、日本国の中でただ一人、南無妙法蓮華経と唱えた。これは須弥山となった始めの一塵であり、大海となった始めの一露である。二人、三人、十人、百人、一国、二国、六十六カ国まで広がり、すでに二島にまで及んでいるであろう。
 日蓮を謗っていた人たちも、今は、題目を唱えているだろう。
 また、日本国の上一人より下万民に至るまで、法華経の神力品第21で説かれている通り、一同に南無妙法蓮華経と唱えることもあるだろう。

〈背景と大意〉

 妙密上人御消息は建治2年(1276年)3月5日、日蓮大聖人が55歳の時に身延で著わされたお手紙です。大聖人は2年前の文永11年(1274年)5月17日に身延に入られています。
 妙密上人については詳しい事は明らかではありませんが大聖人が「上人」と呼ばれていることから信心強情な門下であったと考えられ、本抄の内容から夫妻で信心に励み、折あるごとに大聖人にご供養を届けた弟子であることがうかがえます。本抄の真筆は見つかっておらず現存していないといわれています。
 本抄の冒頭、御供養に対する御礼から始まっています。生命が最高の財宝であるからこそ、その生命を慈しむために、食物を施す功徳の大きさについて明かされます。また、法華経の肝心である題目を自分も唱え、人にも勧めているのは、経文を深く守っているからであると仰せです。さらに、この題目の流布によって、二十数年間にわたり、数々の大難に遭われたことを述懐し、それも全て経文に説かれている通りであると述べられます。
 日蓮大聖人がただ一人立ち上がられて、末法広宣流布が始まったことは、一塵が積もって須弥山となり、一露が集まって大海となるようなものである、と仰っています。
 最後に、大聖人の広宣流布の活動を支えてきた妙密上人夫妻を励まされ、その志自体が日本国に法華経の題目を弘めていることに等しく、その大功徳は妙密上人の身に集まり、さらには諸天善神から必ず守護されると仰せです。そして、法華経の功徳を称賛すればするほど、ますます功徳が勝っていくと述べて、本抄を結ばれています。このことから別名:法華功徳抄とも呼ばれています。

〈講 義〉

 本文の中に出てくる「一国・二国、六十六箇国、すでに島二つにも及びぬらん。」と日本中に流布していくことが決まっている、と。この大聖人時代の六十六箇国を調べてみました。 ネットでは六十六箇国と出てきますが見てみていただくと分かるようにどこにも六十六箇国という地図がこれです。現代にその呼び名は皆無です。ただ、歴史を学ぶと自然とこの地図国名が出てきます。御書を学ぶ上で国名を覚えていくのも大聖人を身近に感じられるのでないでしょうか。


画像引用:にっぽん ってどんな国?

 話をもどしますが、大聖人は身延に入られてからの執筆はすごい勢いで書かれています。これは大聖人が南無妙法蓮華経と唱えられて以降多くの弟子が増えていった結果だと思います。そして受け継がれ現代に御書として発刊されたことで学ぶことが出来ています。

 御書について
 創価学会発刊(昭和27年4月28日)より
 ー発刊の辞ーの冒頭部分。
 宗祖大聖人 諸法実相抄にのたまわく「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも強化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と。
 創価学会は初代会長牧口常三郎先生之を創設して以来、此の金言を遵奉(じゅんぽう)して純真強盛な信心に基き、行学の二道を励むと共に如説の折伏行に邁進して来たが、剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている。  ー戸田城聖ー

 先日行われた自活オンラインスタディでは教学の基礎である「五重の相対」の内外相対を学び、改めて仏道修行する私たちは教学の重要性を感じる素晴らしものでした。参加出来なかった方は是非「JIKATSU 創価自主活動支援サイト」の「宗学コラム」に掲載されていますので覗いてみてください。
 牧口、戸田、池田先生の創られてきた創価学会は日蓮大聖人の教えを基に信・行・学の実践をしてきました。 池田先生は「共戦の友」でこのように言われています。『この御本仏の大誓願を受けて、創価三代の師弟は、化儀の広宣流布に立ち上がりました。そして今や、壮大な地球広布の時代を迎えたのです。 この方程式は永遠です。あらゆる広布の戦いにおいても、「一人立つ実践」なくして前進は始まりません。』
 現在、学会の教学試験では五重の相対など基本的なことさえも学ばないという風になっています。
 私たちは師の教えを忘れずに、これからも「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも強化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」を忘れずに進んでいきましょう。
 以上で8月度の御書講義を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。


御書講義 動画サイトほか

創価の森

8月度座談会御書履歴

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座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2006年(平成18年)
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座談会御書 「聖人御難事」2012年(平成24年)
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座談会御書 「転重軽受法門」2020年(令和02年)
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8月の広布史 ★8月24日★

――「池田先生 入信記念日」――
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■小説「人間革命」2巻 第5章「地涌」

■今日より明日へ №17
「8・24」記念大田・世田谷・杉並区合同支部長会(東京)
〝本物の一人〟よ出でよ

■今日より明日へ №38
「8・24」記念―第1回東京総会

――「聖教新聞創刊原点の日」――
昭和25年8月24日

■小説「人間革命」4巻「怒清」
1950年(同25年)、戸田第2代会長(当時・理事長)の事業が苦境に陥る中、聖教新聞発刊の構想を、戸田会長と若きSGI会長が語り合った日が淵源。

――「壮年部の日」――
昭和51年8月24日

■黄金柱の誉(創価学会壮年部指導集)
1976年(昭和51年)6月、副会長室会議で定められた。