脱!組織信仰 何のための組織か。この「何のため」を忘れてしまうと、そこにいる人が「手段」となってしまう危険性は常にあります。だからこそ一人一人の自発能動による、不断の精神闘争こそが大切なのではないでしょうか。 自活座談会 自活座談会は師匠池田先生の指導を根本に、題目を唱え、自らが学び考え、何事も笑顔で楽しみ、現実社会のど真ん中で実証を示し、お互いに切磋琢磨しながら、人間革命し、集い、対話する場です。 応援します 「創価自主支援活動サイト」は「座談会御書等」の「お役立ち資料」の情報発信を中心に、皆様からの疑問・質問にも真正面から向き合い「自主活動」を応援します。
2020年7月3日 / 最終更新日 : 2020年7月3日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 23 【 源頼朝と文陽房覚淵 】 時代は下って平安末期、伊豆に配流中の源頼朝が監視役の伊東祐親(いとうすけちか ?~寿永元年・1182)の娘・八重姫と秘かに通じ、安元元年(1175)9月、激怒した祐親が頼朝の殺害を図った時、頼 […]
2020年7月1日 / 最終更新日 : 2020年7月1日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 22 【 新猿楽記と梁塵秘抄 】 日金山を神聖の地として崇拝した山岳信仰から走湯山の歴史が始まったと考えられますが、往古よりその名は知られていたようです。 平安時代の学者・藤原明衡(ふじわらのあきひら 永祚元年・989?~冶暦 […]
2020年6月30日 / 最終更新日 : 2020年6月30日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 21 6 源頼朝・鎌倉幕府と東密 源氏と東密には深いつながりがあります。 ここでは、源頼朝挙兵にあたって、心身ともに後ろ盾となった伊豆国・走湯山(走湯権現、伊豆山権現)の成り立ちと頼朝時代のつながりを確認してみましょう。 【 […]
2020年6月29日 / 最終更新日 : 2020年6月29日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 20 5 以仁王の乱 はじめに平安末期の以仁王(もちひとおう)の乱における、源氏と比叡山の関係を概観しておきましょう。 源義光(寛徳2年・1045~大治2年・1127)は三井寺(園城寺)の新羅明神で元服し新羅三郎と称しましたが […]
2020年6月28日 / 最終更新日 : 2020年6月28日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 19 【 日蓮大聖人と平左衛門尉の対面、阿弥陀堂法印の祈雨 】 日蓮大聖人の御書にも、東密勢がいかに鎌倉に進出していたかをうかがえる記述があります。佐渡から鎌倉に戻った大聖人が平左衛門尉と対面した時のこと、また阿弥陀堂法印=加 […]
2020年6月25日 / 最終更新日 : 2020年6月25日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 18 4 東密の鎌倉進出 【 清澄山の一宇と鶴岡八幡宮寺 】 「安房国清澄寺縁起」(岩村義運氏 1930)が伝える 光仁(こうにん)天皇の宝亀(ほうき)二年(771)、一人の旅僧何地(いずこ)よりか飄然(ひょうぜん)として此の […]
2020年6月25日 / 最終更新日 : 2020年6月25日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 17 【 神国王御書と善無畏三蔵抄 】 「神国王御書」と「善無畏三蔵抄」も少年日蓮の修学環境を探るのに、参考になる書だといえるでしょう。 神国王御書 幼少の比(ころ)より随分に顕密二道並びに諸宗の一切の経を、或は人にならい、或 […]
2020年6月23日 / 最終更新日 : 2020年6月23日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 16 【 本尊問答抄 】 故郷の法兄・浄顕房に宛てた「本尊問答抄」(弘安元年[1278]9月)でも空海・円仁・円珍を批判し、題目・法本尊を教示するにあたって、やはり東密・台密批判を展開しています。 問ふ、今日本国中の天台・真言 […]
2020年6月22日 / 最終更新日 : 2020年6月22日 サイトスタッフ 投書 【投書】「共戦」の脇書に思う 投書者:右馬介 昭和54年5月3日 神奈川文化にて池田先生は「共戦」の御揮毫をしたためられた。4月24日に第三代会長を辞任された、その直後の5月3日である。 四面楚歌のなかでしたためられたこの「共戦」という御揮毫は、当時 […]
2020年6月22日 / 最終更新日 : 2020年6月22日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 15 【 光日房御書・建治2年3月 】 同じき四月八日に平左衛門尉に見参す。本よりご(期)せし事なれば、日本国のほろ(滅)びんを助けんがために、三度いさ(諌)めんに御用ひなくば、山林にまじ(交)わるべきよし存ぜしゆへに、同五月 […]