日蓮一門の身延入山に関する一考 5

【 俗権から離れる 】

幕府の干渉ということに関しては、系年、弘安元年(1278)とされる4月11日付けの「檀越某御返事(四条金吾御返事)」によれば、わずか20日程前に「日蓮一生の間の祈請並びに所願忽ちに成就せしむるか」(諸人御返事)と喜んだ「真言禅宗等の謗法の諸人」(同)との公場対決の機運はどこへやら、三度目の流罪の話があったようで、日蓮大聖人は「法華経故の流罪となるならば、それは雪山童子の跡を追い、不軽菩薩の身になれるもので百千万億倍の幸いである。いたずらに疫病などにかかり、老い朽ちていく身を法華経に捧げて、生死を離れることができるであろう」と記述しています。

檀越某御返事(四条金吾御返事)

御文うけ給はり候ひ了(おわ)んぬ。

日蓮流罪して先々(さきざき)にわざわいども重なりて候に、又なにと申す事か候べきとはをも(思)へども、人のそん(損)ぜんとし候には不可思議の事の候へば、さが(前兆)候はんずらむ。もしその義候わば用ひて候はんには百千万億倍のさいわい(幸)なり。今度ぞ三度になり候。法華経もよも日蓮をばゆるき行者とわをぼせじ。釈迦・多宝・十方の諸仏、地涌千界の御利生、今度みは(見果)て候はん。あわれあわれさる事の候へかし。雪山童子の跡ををひ、不軽菩薩の身になり候はん。いたづらにやくびゃう(疫病)にやをか(侵)され候はんずらむ。を(老)いじ(死)にゝや死に候はんずらむ。あらあさましあさまし。願くは法華経のゆへに国主にあだまれて、今度生死をはなれ候はゞや。天照太神・正八幡・日月・帝釈・梵天等の仏前の御ちかい、今度心み候ばや。

意訳

お手紙に書いてくださった事の経緯については承りました。

日蓮のことを何度も流罪して種々の災いが重なっているのに、又何かと言われているようなことが起きるとは思わないが、人間というものは滅びへと向かっていると、道理のある常人には理解できない不可思議なことをやりだすものであり、実際に流罪となる前兆と言えなくもない。もしも、そのような三度目の流罪が行われるならば、「立正安国論」以来訴えてきた「法華勝諸経劣」「法華経最第一」「謗法諸宗禁断」が受け入れられるよりも、百千万億倍の幸いというものです。何しろ今度は三度目の流罪なのです。

法華経もよもや、日蓮のことを中途半端で懈怠な行者だとは思わないことでしょう。釈尊・多宝仏・十方の諸仏、地涌千界の諸菩薩らの加護の利益を、今度は見極めたいものです。巷間言われていることが起きてほしいものであります。雪山童子の跡を継いで、不軽菩薩の身になりたいものです。

いたずらに疫病に罹ってしまうか、老いて死んでしまうかの身です。重ね重ね嘆かわしいことです。願わくは法華経の故に国主に怨まれて、今度は生死の迷いから離れたい。天照太神・正八幡大菩薩・日天・月天・帝釈天王・梵天王等の、法華経行者守護の、仏前の誓いを今度こそ試みたいものです。

本書は、「対告については『本満寺目録』に『四条金吾殿御消息』とあるように、他の四条氏宛遺文との関連から、古来から四条金吾とされている」(日蓮聖人遺文辞典・歴史編 P732)とのことで、流罪の噂は鎌倉でのものということになるでしょう。

日蓮大聖人が最後に平左衛門尉に会ったのが文永11年(1274)4月8日ですから、幕府関係者と顔を合わせることがなくなってから早4年。しかも鎌倉から遥か遠く身延の深山にいる日蓮という人物について、「三度目の流罪」との噂が鎌倉市内に流れているのです。

大聖人によって自らの宗教観を傷つけられ怨恨を抱き続けた当局者によるものか、在鎌倉の顕密仏教勢力=宗教的敵対勢力が意図的に流したものか、または迫りくる蒙古の影がそのまま在りし日の日蓮と重なり対蒙古戦に向けての勇を誰人かが日蓮追放に転じて流したものか、真相は明らかではありません。

いずれにしても、暴徒の草庵襲撃、突然の逮捕という前例が鎌倉にはあります。我が身が身延ではなく鎌倉にあったならば、次に何が起こるか分からないある種の不安に師も弟子も日常的にさらされて、覚悟の程が法華伝道上の殉教的使命感を沸騰させたことでしょう。続いては、熱湯が噴き出す如き布教活動も活発化、必然的な言論対決も日常と化してしまい、心落ち着いての法華久住の取り組みは成せなかったと思うのです。

「自己と久遠の仏との関係、自己の宗教的使命、自己が現在成すべきこと、そして自己の存在意義」これら自らの内面世界を語り書いていくのは、顕密仏教勢力がどのような敵対的行動を起こすか分からない鎌倉、また蒙古襲来への不安に陥り、様々な事象に過敏な反応を示した幕府が統治する鎌倉という都市空間では、叶わないことだったのではないでしょうか。

入山以前、「少少の難はかずしらず大事の難四度なり」と日蓮大聖人が身読した法華経故の艱難辛苦は内面世界で昇華され、大聖人が書状を書き続けることにより、身延期の門弟達に「日蓮法華信仰の利益をもたらす慈雨」となって降り注いだように思われるのです。