開目抄・要文 6【完】

投稿者:鬼滅の言

【第51章・別して俗衆道門を明かす】

第一の有諸無智人と云うは経文の第二の悪世中比丘と第三の納衣の比丘の大檀那と見へたり、随つて妙楽大師は「俗衆」等云云、

御書p.226 11行目〜12行目

第二の法華経の怨敵は経に云く「悪世中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん」等云云

御書p.226 12行目〜13行目 


【第52章・第三僣聖増上慢を明かす】

第三は、法華経に云く「或は阿練若に有り納衣にして空閑に在つて乃至白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん」等云云

御書p.227 16行目〜17行目

妙楽云く「第三最も甚し後後の者転識り難きを以つての故に」等云云

御書p.228 6行目

日本国には何れの処ぞや、叡山か園城か東寺か南都か建仁寺か寿福寺か建長寺か・よくよく・たづぬべし延暦寺の出家の頭に甲冑をよろうを・さすべきか、園城寺の五分法身の膚に鎧杖を帯せるか、彼等は経文に納衣在空閑と指すにはにず為世所恭敬・如六通羅漢と人をもはず又転難識故というべしや華洛には聖一等・鎌倉には良観等ににたり、人をあだむことなかれ眼あらば経文に我が身をあわせよ

御書p.228 8行目〜11行目


【第53章・諸宗の非を簡ぶ】

当世の念仏者等・天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門・居士等に向つて云く「法華経は理深我等は解微法は至つて深く機は至つて浅し」等と申しうとむるは高推聖境・非己智分の者にあらずや

御書p.229 10行目〜11行目

今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり、かるがゆへに日本国に但法華経の名のみあつて得道の人一人もなし、誰をか法華経の行者とせん 

御書p.229 16行目〜17行目


【第54章・正しく法華経の行者なるを顕わす】

仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり、金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし・いかがせん・いかがせん

御書p.230 1行目〜2行目

抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる誰の僧か刀杖を加へらるる誰の僧をか法華経のゆへに公家・武家に奏する・誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし

御書p.230 2行目〜4行目

日蓮は法華経の行者にあらず天これを・すて給うゆへに、誰をか当世の法華経の行者として仏語を実語とせん

御書p.230 4行目〜5行目

法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし

御書p.230 6行目〜7行目


【第55章・行者値難の故を明かす】

有る人云く当世の三類はほぼ有るににたり、但し法華経の行者なし汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり、此の経に云く「天の諸の童子以て給使を為さん、刀杖も加えず、毒も害すること能わざらん」又云く「若し人悪罵すれば口則閉塞す」等

御書p.230 8行目〜10行目

仏は小指を提婆にやぶられ九横の大難に値い給う此は法華経の行者にあらずや、不軽菩薩は一乗の行者といはれまじきか

御書p.230 15行目〜16行目

事の心を案ずるに前生に法華経・誹謗の罪なきもの今生に法華経を行ずこれを世間の失によせ或は罪なきをあだすれば忽に現罰あるか

御書p.231 1行目〜2行目

不軽品に云く「其の罪畢已」等云云、不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪・身に有るゆへに瓦石をかほるとみへたり

御書p.231 4行目〜6行目


又順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり

御書p.231 6行目

又守護神此国をすつるゆへに現罰なきか謗法の世をば守護神すて去り諸天まほるべからずかるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし還つて大難に値うべし

御書p.231 15行目〜17行目


【第56章・法華経の行者を顕わす文を結す】

詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。

御書p.232 1行目〜6行目


【第57章・転重軽受を明かす】

疑って云くいかにとして汝が流罪・死罪等を過去の宿習としらむ答えて云く銅鏡は色形を顕わす秦王・験偽の鏡は現在の罪を顕わす仏法の鏡は過去の業因を現ず

御書p.232 7行目〜8行目

般泥洹経に云く「善男子過去に曾て無量の諸罪種種の悪業を作るに是の諸の罪報は或は軽易せられ・或は形状醜陋・衣服足らず・飲食麤疎・財を求むるに利あらず・貧賤の家邪見の家に生れ・或は王難に遭い・及び余の種種の人間の苦報あらん現世に軽く受るは斯れ護法の功徳力に由るが故なり」云云、此の経文・日蓮が身に宛も符契のごとし

御書p.232 8行目〜11行目

我れ無始よりこのかた悪王と生れて法華経の行者の衣食・田畠等を奪いとりせしこと・かずしらず、当世・日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがごとし、又法華経の行者の頸を刎こと其の数をしらず此等の重罪はたせるもあり・いまだ・はたさざるも・あるらん、果すも余残いまだ・つきず生死を離るる時は必ず此の重罪をけしはてて出離すべし

御書p.232 16行目〜御書p.233 1行目

功徳は浅軽なり此等の罪は深重なり、権経を行ぜしには此の重罪いまだ・をこらず鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、度度せむれば・きずあらはる、麻子を・しぼるに・つよくせめざれば油少きがごとし

御書p.233 1行目〜3行目

今ま日蓮・強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし、鉄は火に値わざれば黒し火と合いぬれば赤し木をもつて急流をかけば波山のごとし睡れる師子に手をつくれば大に吼ゆ。

御書p.233 3行目〜5行目

【第58章・不求自得の大利益】

涅槃経に曰く「譬えば貧女の如し居家救護の者有ること無く加うるに復病苦飢渇に逼められて遊行乞丐す、他の客舎に止り一子を寄生す是の客舎の主駈逐して去らしむ、其の産して未だ久しからず是の児を・抱して他国に至らんと欲し、其の中路に於て悪風雨に遇て寒苦並び至り多く蚊虻蜂螫毒虫の唼い食う所となる、恒河に逕由し児を抱いて渡る其の水漂疾なれども而も放ち捨てず是に於て母子遂に共倶に没しぬ、是くの如き女人慈念の功徳、命終の後梵天に生ず、文殊師利若し善男子有つて正法を護らんと欲せば彼の貧女の恒河に在つて子を愛念するが為に身命を捨つるが如くせよ、善男子護法の菩薩も亦是くの如くなるべし、寧ろ身命を捨てよ是くの如きの人解脱を求めずと雖も解脱自ら至ること彼の貧女の梵天を求めざれども梵天自ら至るが如し」

御書p.233 6行目〜12行目

我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし

御書p.234 7行目〜9行目


【第59章・適時の弘教を明かす】

疑つて云く念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり修羅道にや堕つべかるらむ、又法華経の安楽行品に云く「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云、汝此の経文に相違するゆへに天にすてられたるか

御書p.234 12行目〜14行目

答て云く止観に云く「夫れ仏に両説あり一には摂・二には折・安楽行に不称長短という如き是れ摂の義なり大経に刀杖を執持し乃至首を斬れという是れ折の義なり与奪・途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」等云云

御書p.234 14行目〜16行目

汝が不審をば世間の学者・多分・道理とをもう、いかに諫暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人の・ごとくなるゆへに先づ天台・妙楽等の釈をいだして・かれが邪難をふせぐ

御書p.235 7行目〜9行目

夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、草木は日輪の眷属・寒月に苦をう諸水は月輪の所従・熱時に本性を失う、末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし。

御書p.235 9行目〜13行目


【第60章・折伏を行ずる利益】

問うて云く摂受の時・折伏を行ずると折伏の時・摂受を行ずると利益あるべしや

御書p.235 14行目

章安の云く「取捨宜きを得て一向にす可からず」等、天台云く「時に適う而已」等云云

御書p.236 3行目〜4行目

天台・真言の学者等・今生には餓鬼道に堕ち後生には阿鼻を招くべし、設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも空閑にして三密の油をこぼさずとも時機をしらず摂折の二門を弁へずば・いかでか生死を離るべき。

御書p.236 8行目〜10行目

問うて云く念仏者・禅宗を責めて彼等に・あだまれたる・いかなる利益かあるや

御書p.236 11行目

「仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり能く呵責する者は是れ我が弟子駈遣せざらん者は仏法中の怨なり」等云云

御書p.236 13行目〜15行目

我が父母を人の殺さんに父母につげざるべしや、悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、悪人・寺塔に火を放たんにせいせざるべしや、一子の重病を炙せざるべしや、日本の禅と念仏者とを・みて制せざる者は・かくのごとし「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」等云云

御書p.237 1行目〜4行目

【第61章・結勧】

日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」等云云、無道心の者生死をはなるる事はなきなり、教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天台大師の南北・並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といはれさせ給いし皆法華経のゆへなればはぢならず愚人にほめられたるは第一のはぢなり、日蓮が御勘気を・かほれば天台・真言の法師等・悦ばしくや・をもうらんかつはむざんなり・かつはきくわいなり、夫れ釈尊は娑婆に入り羅什は秦に入り伝教は尸那に入り提婆師子は身をすつ薬王は臂をやく上宮は手の皮をはぐ釈迦菩薩は肉をうる楽法は骨を筆とす、天台の云く「適時而已」等云云、仏法は時によるべし日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし。

御書p.237 5行目〜12行目