脱!組織信仰 何のための組織か。この「何のため」を忘れてしまうと、そこにいる人が「手段」となってしまう危険性は常にあります。だからこそ一人一人の自発能動による、不断の精神闘争こそが大切なのではないでしょうか。 自活座談会 自活座談会は師匠池田先生の指導を根本に、題目を唱え、自らが学び考え、何事も笑顔で楽しみ、現実社会のど真ん中で実証を示し、お互いに切磋琢磨しながら、人間革命し、集い、対話する場です。 応援します 「創価自主支援活動サイト」は「座談会御書等」の「お役立ち資料」の情報発信を中心に、皆様からの疑問・質問にも真正面から向き合い「自主活動」を応援します。
2021年10月13日 / 最終更新日 : 2021年10月12日 サイトスタッフ 宗学コラム 離山そして破折~師匠と弟子の真実 恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)[天慶5年(942)~寛仁元年(1017)]・・・・ 比叡山横川・恵心院の源信は43歳で「往生要集」一部三巻を著し、師・良源の天台法華と念仏の融合思想を発展させて「厭離穢土欣求浄土」の […]
2021年10月12日 / 最終更新日 : 2021年10月11日 サイトスタッフ 宗学コラム 浄顕房と義城房~師となり弟子となって 報恩抄 建治2年7月21日 各各二人は日蓮が幼少の師匠にておはします。勤操僧正・行表僧正の伝教大師の御師たりしが、かへりて御弟子とならせ給いしがごとし。日蓮が景信にあだまれて清澄山を出でしに、かくしおきてしのび出でられた […]
2021年10月11日 / 最終更新日 : 2021年10月11日 サイトスタッフ 宗学コラム 身延の山中から彼方を見つめて~久遠の仏を体現するということ 【 身延の草庵で 】 「是日尼御書」 弘安元年4月12日 さど(佐渡)の国より此の甲州まで入道の来たりしかば、あらふしぎ(不思議)やとをも(思)ひしに、又今年来てな(菜)つみ、水くみ、たきぎ(薪)こり、だん(檀)王の阿志 […]
2021年10月9日 / 最終更新日 : 2021年10月9日 サイトスタッフ 宗学コラム 法華真言未分について 『守護国家論』は正嘉3年・正元元年(1259)頃の執筆と推定されていますが、そこには法華・真言を蔑(ないがしろ)にする故に天災地変が起きる旨が記述されており、当時の日蓮大聖人は「法華・真言未分」の思想であったと解説する向 […]
2021年10月9日 / 最終更新日 : 2021年10月9日 サイトスタッフ 宗学コラム 摩訶・私感「願兼於業について」(1) 投稿者:鬼滅の言 例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して・つくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく其の業を造つて願つて地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし 開目抄 […]
2021年10月8日 / 最終更新日 : 2021年10月8日 サイトスタッフ 投書 【投書】今の世相に思う(56) 高橋洋一氏の経済政策理論(19) 投書者:ハーフソール シューマッハーは「スモール・イズ・ビューティフル」の中で仏教経済学について述べているが、この仏教経済学が強調しているのは生命を尊重すること、仕事は自己実現であるべきこと、社会にとって有用であるべき […]
2021年10月8日 / 最終更新日 : 2021年10月8日 サイトスタッフ 宗学コラム 鑑真と弟子の物語り 大陸から続く鑑真と弟子たちの絆 この師弟の物語からは多くを学べると思います。 先に、鑑真の日本での弟子である道忠が関東に布教して一門となり、道忠とその意を受けた弟子が最澄(伝教大師)の書写事業等を手伝い比叡山寺の開創に関 […]
2021年10月7日 / 最終更新日 : 2021年10月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 青年最澄の願文~約束の道から大願の道へ 延暦4年(785)4月6日、最澄は南都東大寺で具足戒を受戒して正式な僧侶になるも、3ヶ月後の7月17日には比叡山へ籠ってしまい山林修行を始めます。 官僧として出世の道が開かれていた19歳の最澄は、何を見て聞いて知って南都 […]
2021年10月6日 / 最終更新日 : 2022年7月11日 サイトスタッフ 座談会御書 座談会御書「千日尼御前御返事(真実報恩経事)」2021年(令和3年)10月度 御書 千日尼御前御返事(真実報恩経事)御書全集1310㌻15行目~17行目 〈本 文〉 此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし空飛ぶ者の王たり鷲のごとし、南無阿弥陀仏経等はきじのごとし兎のごとし鷲につか […]
2021年10月6日 / 最終更新日 : 2021年10月6日 サイトスタッフ 宗学コラム 最澄と密教と日蓮 最澄は延暦23年(804)、38歳の時に入唐して不空金剛の弟子・順暁より越州にて金剛界五部の灌頂(かんじょう)、胎蔵界三部三昧耶(さんまや)の灌頂を受けるも、その内容には不完全なものがあったようです。 空海が唐より帰国し […]