【投書】宗教官僚の堕落とその罪!

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投書者:カナリア

中世キリスト教における「宗教改革」を振り返るまでもなく、聖職者の腐敗・堕落は歴史の必然ともいえる。わが日本国にもその事を伝える、「坊主丸儲け」や「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」など、多くの格言が残されている。

1979年4月、「三代会長を生涯守れ!」との戸田先生の遺訓に背き、学会本部に巣食う宗教官僚達は、宗門問題を表の理由として、池田先生を辞任に追い込んだ。彼らにとっては師匠を護る事より、自らの保身と「組織の維持」こそが、優先される事だったのだろう。

それから20年後の1999年。嫉妬とやっかみの首謀者である五代秋谷率いる「宗教官僚達」は、権力志向を顕在化させ、公明党を自民党との連立へと向かわせた。悪しき権力との戦いよりも、国家権力への迎合を選択したのである。

そしてその後、3年余の民主党政権期間を除き、ほぼ20年の政権与党である期間が過ぎた。そして何が起きたのか?

先進国中唯一とも言われる、20年間賃上げもなく、停滞したままの経済。国民の生活は格段に苦しくなった。また象徴的な出来事として、プリンスと目されていた公明党の遠山元財務副大臣が、違法な口利きビジネスで起訴されるに至っている。

日蓮大聖人の仏法、三代会長の精神を蔑ろにし、組織の秩序・存続だけを優先する誤りの現証は、あまりにも歴然なのである。宗教官僚とそれにおもねる、各地の民間大幹部諸氏には、その「因果の理法」は、残念ながら見えないのであろう。

池田先生は一人一人の会員に対して、各人が悪を見抜ける目を持てるように、様々なご指導を命を削って重ねてこられた。そう、個々人が賢くなり真実を見抜く事。これ以外に「組織主義」を打倒する手段はないのである。個々自立・自発能動。まさに原点に還る自活から、新しい広宣流布運動が始まっていくに違いない。