座談会御書 一生成仏抄 2022年(令和4年)2月度

御書

御書新版 317㌻12行目~17行目
御書全集 384㌻2行目~5行目

衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。

〈現代・意訳〉 

衆生というも仏というのも同じことです。迷うときは衆生と名づけ、悟るときは仏と名づけました。例えば、曇った鏡も磨けば宝石のように見えるようなものです。一念が定まっていない心は磨かない鏡のようです。これを磨けば必ず明鏡になります。
深く信心をおこして、日夜朝墓に怠ることなく磨きなさい。
どのように磨くかといえば、ただ南無妙法蓮華経と唱えることをが磨くことになります。

〈講 義〉

 建長7年(1255年)、日蓮大聖人が34歳の時、鎌倉で著されました。宛名が記されていませんが、富木常忍に与えられたものと伝えられています。
 御真筆は現存していません。
 建長5年(1253年)4月28日に安房(現在の千葉県南部)の清澄山(きよすみやま)で立教開宗され、その後鎌倉へ入られ、8月頃に名越(神奈川県鎌倉市大町)の松葉ケ谷に草庵を結ばれています。
 この最初の2、3年間の御化導で、後に門下の中心となる日昭、日朗、四条金吾、池上宗仲、工藤吉隆等が入信しています。そのなかで最初に入信したのが富木常忍で、建長6年(1254年)ごろのようです。
 富木常忍は下総国葛飾郡八幡荘若宮(千葉県市川市)に住み、下総国の守護である千葉氏に仕え、執事のような地位にあったようです。
 大聖人から観心本尊抄、法華取要抄、四信五品抄等、多くの御抄を賜っています。
 また、文応元年(1260年)8月27日の松葉ケ谷の法難の際には、自邸に大聖人をお迎えするなど、常に外護の任を務めた信者です。

 全文の要旨
 一生成仏の要諦は、衆生本有の妙理を観ずることにあり、それは妙法蓮華経を唱えることである。つまり、一切衆生がもともと具わっている不可思議な理法、すなわち妙法蓮華経=仏という生命を観ずることとは、妙法蓮華経の題目を唱えることだと述べられています。
 妙法蓮華経こそ、衆生の心に法界の万法(一念三千)を具えていることを明かした経であり、妙法の五字(妙法蓮華経)を受持し唱えるならば、私たち衆生の一念の心にも十界がことごとく具わる。
 一代八万の聖教(釈迦が説いた法)や三世の諸仏菩薩も我が心にほかならないから、仏といい衆生といっても、また浄土といい穢土といっても、迷うか悟るかの違いにすぎません。
 迷いの生命である闇鏡(あんきょう)を磨いて明鏡にしていくには「只南無妙法蓮華経と唱える」ことであると示されています。
 法華経は、我々衆生の一心(一念)こそ妙法蓮華経の体であり、仏が一切衆生のために言語にし、自身の悟りを一切衆生に教え同じ悟りに導くために説いたものです。
 妙法蓮華経と唱えれば、一生成仏は間違いはなく、決して疑ってはならないと本抄を結ばれています。
 
 妙法蓮華経と唱えることについて、本抄の御述作が、立宗後間もないころであり、御本尊は建立されていません。
 御本尊建立後については、日寛上人が、観心本尊抄の「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」との一節について、観心本尊抄文段で「『我が己心を観ず』とは、即ち本尊を信ずる義なり。『十法界を見る』とは、即ち妙法を唱うる義なり」と述べられているとおり、三大秘法の御本尊を受持し題目を唱えるということになります。

 さて、本抄が執筆された理由ですが、当時、特に阿弥陀による救いと浄土往生を説いた法然の浄土宗が栄えていました。これは、仏と衆生、浄土と穢土というものが、別々のものとして存在するという教えです。また、死んで極楽浄土で幸せになれるが、今世では不幸のままというという思想も蔓延していました。さらに、日本天台宗は真言宗にかぶれ、法華経の心を捨て去っていました。このような仏教宗派の多くが誤ってとらえていた固定観念を打ち破るためだったのではないかと思います。
 本抄の題号でもある「一生成仏」とは、凡夫が一生のうちに成仏することです。また、凡夫がその身のまま仏に成ることを即身成仏といい、いずれも法華経による成仏の姿といえます。しかし、当時、日本では即身成仏を説くものに真言宗密教と日本天台宗密教とがあり、日蓮大聖人は密教の即身成仏をいずれも破折しています。
 真言宗密教の空海が竜樹の著作とされる菩提心論の文を依りどころにしていることについて、菩提心論はあくまで「経」ではなく「論」にすぎないと破折し、涅槃経巻六の「法に依って人に依らざれ」との仏説に相違していると指摘されています。また、日本天台宗密教の慈覚・智証・安然等の即身成仏の義は有名無実の即身成仏であり、伝教大師の即身成仏義に違背すると破折されています。

 このように、諸宗を破折する分けですが、真言宗、天台宗は幕府の庇護を受けており、迫害があることは火を見るより明らかだったと思われます。しかし、日蓮大聖人は権力に恐れることなく戦いをおこされました。
 開目抄で、「これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし」と記されています。
 立宗宣言後、中興入道消息には、「はじめは日蓮がただ一人、南無妙法蓮華経を唱えていたが、見る人、会う人、聞く人は、耳をふさぎ、眼をいからし、口をひそめ、手をにぎり、歯をかみ、父母・兄弟・師匠・善友が敵となった。後には、安房の地の地頭や領家が敵となった」と迫害は大きく広がっていきます。

 時代は下って、日蓮大聖人が民衆の苦悩を救済するために戦いを起こされたように、創価学会の三代の会長も民衆救済の戦いを起こされました。戸田第二代会長が「この世から貧乏人と病人をなくしたい」「悲惨の二字をなくしたい」と叫ばれ、一人立たれたことに象徴されると思います。
 さらに、池田先生が第三代会長に就任されて以降、世界広布が大きく進みましたが、宗門との問題により、最高幹部は第三代会長を護りきれず、池田先生は昭和54年5月3日に会長を辞任されました。
 1981年(昭和56年)10月31日、創価大学で「歴史と人物を考察 迫害と人生」との講演をされています。この中では「私も一仏法者として一庶民として、全くいわれなき中傷と迫害の連続でありました。しかし、僣越ながらこの″迫害の構図″に照らしてみれば、迫害こそむしろ仏法者の誉れであります。人生の最高の錦であると思っております。後世の歴史は、必ずや事の真実を厳しく審判していくであろうことを、この場をお借りして断言しておきます。」とご自身が中傷と迫害の連続だったと語られています。
 2010年以降、池田先生が公式の場に姿を見せなくなってから、創価学会の劣化の速度は増し、原田学会は池田先生の御事績を改竄、選挙のために宗教活動を蔑ろにする、意見する人は邪魔者扱いし排除するなど、歴代会長の思想とは似て非なる組織になってしまいました。
 大聖人亡き後、幕府権力に屈し、五老僧が天台沙門と名乗り大聖人を裏切ったことと同じ構図だと思います。
 話を戻します。

 今月の座談会御書の範囲を拝読します。
 「衆生といい仏というのもまた同じである。迷う時は衆生と名づけ、悟る時を仏と名づけたのである。たとえば曇った鏡も磨けば宝石のような明鏡と見えるようなものである。
 我々の一念無明の迷いの心は磨かない鏡である。これを磨けば必ず法性真如の明鏡となるのである。それゆえ深く信心を発して日夜朝暮に、また懈らないで磨くべきである。
 どのようにすれば磨けるのであろうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが磨くことになるのである。」
  例えば、人生多かれ少なかれ問題があります。その時、問題に立ち向かい、乗り越えようと心を定め、決意できるかできないか、弱い心に打ち勝つ勇気を出せるか、出せないか、ここが衆生と仏の分かれ目といえると思います。
 覚悟の生き方ともいえると思います。
 この迷いの一念、折れそうになる心を転換するために、御本尊の前に座り、津々と題目をあげることこそ、闇鏡を磨くということではないでしょうか。また、「日夜朝暮に惰らないで磨く」とも示されているとおりです。
 唱題行は簡単なようですが、心が折れそうなときに端座することほど難しいことはありません。
 池田先生も信心とは勇気の異名なりと御指導されているとおりです。
 勇気を出して祈ることは簡単なようで大変です。しかし最も重要だとも思います。聖人御難事にも「月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」とあるようにです。
 
 ここで、本抄に記されている題目を唱えるときの留意すべき点 (心に留めておく点) を確認したいと思います。
 「御本尊を受持し、題目を唱えても、もし自身の外に法(一念三千)があると思うならば、それは全く妙法ではなく麤法(そほう)である。
 例えば、貧しい人が日夜に隣の財を数えても何の得にもならないと同じことである。だから、麤法は法華経ではない。法華経でなければ方便の教であり、権門の教である。方便・権門の教であるならば、成仏の直道ではない。成仏の直道でなければ、生死を繰り返して修行をしても、一生成仏することはないのである。
 ゆえに妙法と唱え、蓮華と読誦する時は、我が一念(一心)をさして妙法蓮華経と名づけるのであると深く信心をおこすべきである」と。
 自分自身が妙法蓮華経の当体だと信心を起こしていきなさい。
 題目をあげていきなさい。と示されています。

 「日女御前御返事」でも同様のことを示されています。
 「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり」
 
 御本尊を外に求めてはいけません。私たちが御本尊を受持し南無妙法蓮華経と唱える自身の胸中にいると示されています。

では、自分にとって一生成仏とはどういうことだろうと考えたとき、「自分らしく生きていく」ということではないかと思います。
人と比べることほど、つまらないものはないと思います。
「桜梅桃李」の生き方ということになるのではないでしょうか。

 ここで池田先生のご指導を紹介させて頂きます。
 随筆 新・人間革命「民衆の中へ 民衆と共に」2002年9月13日付け
 「才能とは自分を信じることだ、自分の力を信じることだ」
 これは、ゴーリキーが名作『どん底』で、無名の役者に語らせた言葉である。
 青春時代は、苦悩と葛藤の季節である。春の寒暖計の如く、激しく心が揺れ動いた経験を持たない人はいない。
 だからこそ、どんな時でも「自分の力」を信じて、快活に自分で自分を励まして、前へ前へ進んでいくことだ。
 なかんずく、正しき信仰は、わが生命に秘められた才能を自分らしく開花させ切っていく究極の源泉である。
 有名な「御義口伝」には、「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く」「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。
 よく戸田先生も教えてくださった。
 「われ自らが南無妙法蓮華経の当体なりと決めて、広宣流布に生き抜くのだ。この心で戦えば、何も恐れるものはない。これが真の折伏だ」と。

 今月は、2月11日にお生まれになった戸田第二代会長の誕生月です。その戸田第二代会長が「この世から貧乏人と病人をなくしたい」「悲惨の二字をなくしたい」と叫ばれ行動されたように、一人でも多くの人に思いをはせ大切にしていこうと思います。

 最後になりますが、法華経の実践ということについて綴られた池田先生のご指導を自身の戒めとして、拝読させて頂きます。
 「私の釈尊観」から引用させて頂きます。
 「『法華経』についても、それを実践する人が大事なのです。経典の文々句々を、どれだけたくさん知っていても、また上手に解釈してみせても、経文に説かれた内容を、自身の生活や行動に事実の姿として実践するのでなければ、なんの価値もない。
では、『法華経』を実践するとは、どうすることをいうのか。これについて『法華経』で示されているのは、受持・読・誦・解説・書写の、いわゆる五種の修行です。法華経を根幹として、この五種を実践することが法華経の行、法華経の実践ということになる。

以上

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2月度座談会御書履歴

座談会御書 「立正安国論」2001年(平成13年)
座談会御書 「開目抄」2002年(平成14年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2003年(平成15年)
座談会御書 「聖人御難事」2004年(平成16年)
座談会御書 「兄弟抄」2005年(平成17年)
座談会御書 「開目抄」2006年(平成18年)
座談会御書 「佐渡御書」2007年(平成19年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2008年(平成20年)
座談会御書 「大悪大善御書」2009年(平成21年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2010年(平成22年)
座談会御書 「佐渡御書」2011年(平成23年)
座談会御書 「妙一尼御前御消息」2012年(平成24年)
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2013年(平成25年)
座談会御書 「上野殿御返事(刀杖難事)」2014年(平成26年)
座談会御書 「阿仏房御書(宝塔御書)」2015年(平成27年)
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2016年(平成28年)
座談会御書 「妙一尼御前御消息」2017年(平成29年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)」2018年(平成30年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2019年(平成31年)
座談会御書 「諸法実相抄」2020年(令和02年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2021年(令和03年)

2月 広布史

第二代会長戸田先生 誕生日
1900年(明治33年)2月11日

小説・人間革命
・生い立ち 第2巻 幾山河・涼風
・牧口初代会長との出会い 第1巻 再建
・入獄 第1巻 黎明
・出獄 第1巻 黎明
・第二代会長就任 第5巻 烈日
・広宣流布の模擬試験 第12巻 後継

池田大作全集
・『池田大作全集』第22巻 随筆人間革命 序に変えて・寒椿・他多数
・『池田大作全集』第22巻 私の履歴書 序文・森ケ崎海岸
・『池田大作全集』第22巻 つれづれ随想 雪山の寒苦鳥・師曠の耳

■石狩市ホームページに厚田ゆかりの著名人(旧厚田村栄誉村民)として紹介。

二月闘争

1952年(昭和27年2月)
■小説 新・人間革命
・第5巻 驀進

■小説 新・人間革命
・第27巻 奮迅

■輝きの明日へ NO.68
・東京・大田最高協議会
2000年9月25日
東京・信濃文化センター

■輝きの明日へ NO.76
・東京総区長会
2001年1月30日
創価文化会館

■輝きの明日へ NO.77
・東京女子部部長会
2001年2月9日
東京戸田記念講堂