2020年7月14日 / 最終更新日 : 2020年7月14日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 27 【 行慈と性我 】 文覚の弟子も頼朝の信任を得て、鎌倉で活動しています。 「東寺講堂仏共被籠真言」(金沢文庫蔵)の奥書に「修理人高尾上人文覚上人弟子二人 大覚房行慈 恵眼房性我 建久九年(1198)正月記之云云」とあり、 […]
2020年7月13日 / 最終更新日 : 2020年7月13日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 26 【 文覚 】 挙兵に先立つ伊豆蛭島での流人時代、頼朝と親交があったとされるのが神護寺の僧・文覚(もんがく 保延5年・1139~建仁3年・1203)です。青年時代は北面の武士・遠藤盛遠として鳥羽天皇の第2皇女・統子内親王に […]
2020年7月7日 / 最終更新日 : 2020年7月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 25 【 源頼朝と東密・台密の僧 2 】 元暦2年(1185)3月27日、土佐国介良庄に住む琳猷(りんゆう)上人が、走湯山住僧・良覚の紹介により頼朝と面会します。琳猷は寿永元年(1182)に土佐国で討たれた頼朝の同母弟・土佐冠 […]
2020年7月6日 / 最終更新日 : 2020年7月6日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 24 【 源頼朝と東密・台密の僧 1 】 治承4年(1180)8月18日、これからの戦により長年の祈りができなくなることを嘆いた頼朝は政子の勧めにより、祈り続けてきた経典の目録を伊豆山の法音尼に渡し、日々の勤行の代行を依頼して […]
2020年7月3日 / 最終更新日 : 2020年7月3日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 23 【 源頼朝と文陽房覚淵 】 時代は下って平安末期、伊豆に配流中の源頼朝が監視役の伊東祐親(いとうすけちか ?~寿永元年・1182)の娘・八重姫と秘かに通じ、安元元年(1175)9月、激怒した祐親が頼朝の殺害を図った時、頼 […]
2020年7月1日 / 最終更新日 : 2020年7月1日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 22 【 新猿楽記と梁塵秘抄 】 日金山を神聖の地として崇拝した山岳信仰から走湯山の歴史が始まったと考えられますが、往古よりその名は知られていたようです。 平安時代の学者・藤原明衡(ふじわらのあきひら 永祚元年・989?~冶暦 […]
2020年6月30日 / 最終更新日 : 2020年6月30日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 21 6 源頼朝・鎌倉幕府と東密 源氏と東密には深いつながりがあります。 ここでは、源頼朝挙兵にあたって、心身ともに後ろ盾となった伊豆国・走湯山(走湯権現、伊豆山権現)の成り立ちと頼朝時代のつながりを確認してみましょう。 【 […]
2020年6月29日 / 最終更新日 : 2020年6月29日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 20 5 以仁王の乱 はじめに平安末期の以仁王(もちひとおう)の乱における、源氏と比叡山の関係を概観しておきましょう。 源義光(寛徳2年・1045~大治2年・1127)は三井寺(園城寺)の新羅明神で元服し新羅三郎と称しましたが […]
2020年6月28日 / 最終更新日 : 2020年6月28日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 19 【 日蓮大聖人と平左衛門尉の対面、阿弥陀堂法印の祈雨 】 日蓮大聖人の御書にも、東密勢がいかに鎌倉に進出していたかをうかがえる記述があります。佐渡から鎌倉に戻った大聖人が平左衛門尉と対面した時のこと、また阿弥陀堂法印=加 […]
2020年6月25日 / 最終更新日 : 2020年6月25日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 18 4 東密の鎌倉進出 【 清澄山の一宇と鶴岡八幡宮寺 】 「安房国清澄寺縁起」(岩村義運氏 1930)が伝える 光仁(こうにん)天皇の宝亀(ほうき)二年(771)、一人の旅僧何地(いずこ)よりか飄然(ひょうぜん)として此の […]