2020年8月1日 / 最終更新日 : 2020年8月1日 サイトスタッフ 宗学コラム 疫病再燃に思う 新型コロナウイルスが再び蔓延していますが、疫病再燃といえば、弘安元年(1278)閏10月12日、日蓮大聖人が南条時光に宛てられた書簡、「上野殿御返事」が思い起こされます。 民の心は不孝、父母を見るのに他人のごとく、聖職者 […]
2020年7月31日 / 最終更新日 : 2020年7月31日 サイトスタッフ 宗学コラム 諸法実相・私論 投稿者: 鬼滅の言 万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり 諸法実相抄 御書p.1,359 「諸法実相とは森羅万象・全ての現象が妙法の当体である」と学びました。 全ての現象が妙法 […]
2020年7月24日 / 最終更新日 : 2020年7月24日 サイトスタッフ 宗学コラム 四弘誓願・私論 投稿者:鬼滅の言 「仏界とは菩薩の位に於て四弘誓願を発すを以て戒と為す」 十法界明因果抄 御書p.434 仏界の因とは四弘誓願の実践である。 「菩薩と申すは必ず四弘誓願をおこす第一衆生無辺誓願度の願・成就せずば第四の無上 […]
2020年7月24日 / 最終更新日 : 2020年7月24日 サイトスタッフ 宗学コラム 断簡「弘安改元事」に思う 弘安元年に系年される「弘安改元事(こうあんかいげんのこと)」という断簡があります(真蹟1紙3行、全集未収録)。 書状の断片ですから、本文に何が書かれていたかは分かりません。そこには、 弘安元年 太歳(たいさい)戌寅(つち […]
2020年7月22日 / 最終更新日 : 2020年7月22日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 29 【 定豪 】 治承4年(1180)、定豪(仁平2年・1152~嘉禎4年・1238)は大和国忍辱山円成寺にて仁和寺・寛遍(康和2年・1100~永万2年・1166)の弟子・兼豪より伝法灌頂を受け、尊寿院、忍辱山流等、諸流を兼 […]
2020年7月21日 / 最終更新日 : 2020年7月21日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 28 【 二階堂永福寺 】 鎌倉における東密の展開に重要な役割を果たした寺院として、鶴岡八幡宮寺と勝長寿院、それに永福寺があげられます。 「吾妻鏡」文治5年(1189)12月9日条に「今日永福寺の事始めなり」とあり、永福寺の造 […]
2020年7月17日 / 最終更新日 : 2020年7月17日 サイトスタッフ 宗学コラム 『大の一文字』に込められた師のこころ 日蓮大聖人と一門が仏法の大事を語るとき、そこには『大の一文字』があります。 当に知るべし此の国に大聖人有りと 法蓮抄 又真実の経の御ことはりを代末になりて仏法あながちにみだれば大聖人世に出ずべしと見へて候 兵衛志殿御書 […]
2020年7月14日 / 最終更新日 : 2020年7月14日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 27 【 行慈と性我 】 文覚の弟子も頼朝の信任を得て、鎌倉で活動しています。 「東寺講堂仏共被籠真言」(金沢文庫蔵)の奥書に「修理人高尾上人文覚上人弟子二人 大覚房行慈 恵眼房性我 建久九年(1198)正月記之云云」とあり、 […]
2020年7月13日 / 最終更新日 : 2020年7月13日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 26 【 文覚 】 挙兵に先立つ伊豆蛭島での流人時代、頼朝と親交があったとされるのが神護寺の僧・文覚(もんがく 保延5年・1139~建仁3年・1203)です。青年時代は北面の武士・遠藤盛遠として鳥羽天皇の第2皇女・統子内親王に […]
2020年7月7日 / 最終更新日 : 2020年7月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 25 【 源頼朝と東密・台密の僧 2 】 元暦2年(1185)3月27日、土佐国介良庄に住む琳猷(りんゆう)上人が、走湯山住僧・良覚の紹介により頼朝と面会します。琳猷は寿永元年(1182)に土佐国で討たれた頼朝の同母弟・土佐冠 […]