『大の一文字』に込められた師のこころ

日蓮大聖人と一門が仏法の大事を語るとき、そこには『大の一文字』があります。

当に知るべし此の国に聖人有りと

法蓮抄

又真実の経の御ことはりを代末になりて仏法あながちにみだれば聖人世に出ずべしと見へて候

兵衛志殿御書

其の六は且くをく第七の難は天子魔と申す物なり

三沢抄

末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし

椎地四郎殿御書

然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一事の血脈とは云うなり

生死一事血脈抄

是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす法にて法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじきに

如説修行抄

但此の法弘まり給ならば爾前迹門の経教は一分も益なかるべし

富木入道殿御返事

経は法華経顕密第一の法なり

新田殿御書

教主釈尊の一事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり

南条殿御返事

今末法は~此の妙法の曼荼羅を身に持ち心に念じ口に唱え奉るべき時なり

御講聞書

本有の霊山とは此の娑婆世界なり、中にも日本国なり、法華経の本国土抄娑婆世界なり、本門寿量品の未曾有の曼荼羅建立の在所なり云云

今末代に入つて此の珠を顕す事は日蓮等の類いなり所謂未會有の曼荼羅こそ正しく一念三千の宝珠なれ

諸人皆死して無間地獄に堕ること雨のごとくしげからん時此の五字の曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給いぬ

新尼御前御返事

爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり

日女御前御返事

文永11年12月図顕「万年救護本尊」の讃文

大覚世尊御入滅後 経歴二千二百二十余年 雖尓月漢 日三ヶ国之 間未有此 本尊 或知不弘之 或不知之 我慈父 以仏智 隠留之 為末代残之 後五百歳之時 上行菩薩出現於世 始弘宣之

意訳

大覚世尊=釈尊が入滅された後、二千二百二十余年が経歴しますが、月漢日(インド・中国・日本)の三ヶ国に於いて未だなかった大本尊です。日蓮以前、月漢日の諸師は、或いはこの大本尊のことを知っていたが弘めず、或いはこれを知ることがありませんでした。我が慈父=釈尊は仏智を以て大本尊を隠し留め(釈尊より上行菩薩に譲られて)、末法の為にこれを残されたからです。後五百歳の末法の時、上行菩薩が世に出現して初めてこの大本尊を弘宣するのです。

尤も本門寺と王城と一所なるべき由且は往古の佳例なり且は日蓮聖人の本願の所なり

富士一跡門徒存知の事

『大の一文字』に込められた思い、それは慈悲、確信、救済、躍動、真実、一切を包み込む等、妙法を世に弘めゆく源泉たる「大いなる力」が込められていると拝するのです。

日蓮仏法から大を削れば日蓮仏法ではなくなります。

大御本尊から大を削れば師のこころを削ることになります。

『大の一文字』にこめられたもの、その理解を今一度、深めていきたいと思うのです。