2021年4月4日 / 最終更新日 : 2021年4月4日 サイトスタッフ 宗学コラム 私論「転重軽受」(2) 投稿者:鬼滅の言 「及び余の種種の人間の苦報現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」 (般泥洹経)佐渡御書 御書p.959 譬ば民の郷郡なんどにあるにはいかなる利銭を地頭等におほせたれどもいたくせめず年年にのべゆ […]
2021年3月28日 / 最終更新日 : 2021年3月28日 サイトスタッフ 宗学コラム 私論「転重軽受」(1) 投稿者:鬼滅の言 涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候 転重軽受法門 御書p.1 […]
2021年2月21日 / 最終更新日 : 2021年2月21日 サイトスタッフ 宗学コラム 天台沙門から天台批判へ 日蓮大聖人の諸宗批判として注目すべきは、文永11年(1274)11月20日の「曾谷入道殿御書」より公に天台(台密)批判を始めたということです。 天台沙門として立正安国論を以て北条時頼を諫めた当の本人が、14年後に(今日の […]
2021年2月16日 / 最終更新日 : 2021年2月16日 サイトスタッフ 宗学コラム 日蓮生誕800年に思う (文中、尊称は略しました) 少年日蓮には「日本第一の智者になりたい」との願いがありました。 建治2年(文永12年)1月11日「清澄寺大衆中」 日本第一の智者となし給へ 文永7年「善無畏三蔵抄」 日本第一の智者となし給へ […]
2021年2月10日 / 最終更新日 : 2021年2月10日 サイトスタッフ 宗学コラム 「万年救護本尊」の讃文をめぐって 文永11年12月図顕、「万年救護本尊」の讃文を読みながら考えました。 大覚世尊御入滅後 経歴二千二百二十余年 雖尓月漢 日三ヶ国之 間未有此 大本尊 或知不弘之 或不知之 我慈父 以仏智 隠留之 為末代残之 後五百歳之時 […]
2021年2月6日 / 最終更新日 : 2021年2月6日 サイトスタッフ 宗学コラム 私論「佐渡期の諸問題」 投稿者:鬼滅の言 なにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし、塚原と云う所に只一人ありいかにがうなりとも力つよくとも人なき処なれば集りてい […]
2021年2月2日 / 最終更新日 : 2021年2月2日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡期の外部批判(8)・私論 投稿者:鬼滅の言 日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべし 佐渡御書 御書p.961 問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや 如説修行抄 御書p.501 此 […]
2021年1月5日 / 最終更新日 : 2021年1月5日 サイトスタッフ 宗学コラム 熱原法難の余波 について 本題に入いる前に、駿河の女性檀越である「窪尼」について確認しておく。 「窪尼」とは、現在の芝川町久保に住んでいたことで「窪尼」と呼ばれた。元は富士賀島に住した 高橋六朗入道の妻で、日興上人の叔母にあたり、 妙心 尼と呼ば […]
2021年1月1日 / 最終更新日 : 2021年1月1日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房小湊で人間日蓮を思う 本尊問答抄 日蓮は東海道十五箇国の内、第十二に相当たる安房国長狹郡東条郷片海の海人が子なり 今、安房小湊の内浦湾を望む高台に立つと、眼下に茫々たる太平洋の大海原を眺め、凛とした空気の中にもきらめく陽光に包まれて早、春の到 […]
2020年12月30日 / 最終更新日 : 2020年12月30日 サイトスタッフ 宗学コラム 「教主釈尊より大事なる行者」をめぐって 物事の見方というのは、特定の立ち位置からだけではなく、最近誰かが使っていたけれども、総合的俯瞰的に見るのは大切だとは思います。 一つの見解を表明するのにも、対する側の論理で詰めてみて、それに耐えられるだけのものなのか否か […]