2021年10月24日 / 最終更新日 : 2021年10月23日 サイトスタッフ 宗学コラム 一弟子の歩みに思う 富士一跡門徒存知の事 彼の五人一同の義に云く、聖人御作の御書釈は之無き者なり。縦令少少之有りと雖も或は在家の人の為に仮字を以て仏法の因縁を粗之を示し、若は俗男俗女の一毫の供養を捧ぐる消息の返札に施主分を書いて愚癡の者を引 […]
2021年10月22日 / 最終更新日 : 2021年10月21日 サイトスタッフ 宗学コラム 立正安国論の十問九答に思うこと 立正安国論は内容もさることながら、十問九答の問答形式という構成から何が学べるでしょうか。 日蓮大聖人の仏法は問答、即ち対話の仏法であるということ。 仏法には仏法で応答するということ。 仏法に世法・国法で対するのは日蓮仏法 […]
2021年10月21日 / 最終更新日 : 2021年10月20日 サイトスタッフ 宗学コラム 法難から壊滅へ、そして新生のとき 日蓮大聖人入滅後の弘安5年(1282)10月16日、日興上人の記した「宗祖御遷化記録」冒頭の記述には感慨が込み上げてまいります。 宗祖御遷化記録 (西山本門寺蔵) 一 弘長元年 辛酉 五月十二日 伊豆国被流 御年四十 預 […]
2021年10月20日 / 最終更新日 : 2021年10月19日 サイトスタッフ 宗学コラム 伝法御本尊を拝して~生身の日蓮は語り続ける 日蓮大聖人が数多く顕した曼荼羅本尊の中で、特に通称・伝法御本尊は完成形ではないかと思われるような見事な「姿」です。 「姿」というのは、伝法御本尊の流麗な筆遣いは日蓮その人の魂だけではなく、人物までが妙法となり語りかけてい […]
2021年10月19日 / 最終更新日 : 2021年10月19日 サイトスタッフ 宗学コラム 日興上人の御本尊を拝して 日興上人 10代で日蓮大聖人の門弟となり、20代で師匠の佐渡配流にお供して、30代で富士日蓮法華衆を誕生せしめる妙法弘通に奮闘し、それが熱原の法難となり師の出世の本懐へと至る。 40半ばで身延を離山し、大石寺を創建して5 […]
2021年10月18日 / 最終更新日 : 2021年11月12日 サイトスタッフ 宗学コラム 身延の草庵で拝していた曼荼羅本尊は? 日蓮大聖人が身延で過ごされた九ヶ年、草庵ではどのような曼荼羅本尊を拝していたのかは気になるところです。特定の曼荼羅だけを安置して、それだけを拝んでいたということはないでしょうが、主にこの曼荼羅本尊を安置したのではないかと […]
2021年10月17日 / 最終更新日 : 2021年10月17日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡始顕本尊と万年救護本尊の讃文を拝して 文永8年の法難では『かまくらにも御勘気の時千が九百九十九人は堕ちて候』(新尼御前御返事)と一門は壊滅状態となり、佐渡へ流された翌文永9年4月の時点でも、『日蓮が臨終一分も疑無く頭を刎ねらるる時は殊に喜悦有るべし。大賊に値 […]
2021年10月16日 / 最終更新日 : 2021年10月16日 サイトスタッフ 宗学コラム 諸の言説するところは皆実にして虚しからず~自他が目覚めの縁に 妙法蓮華経如来寿量品第十六 諸の善男子、如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり。或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す。諸の言説するところは皆実にして虚し […]
2021年10月15日 / 最終更新日 : 2021年10月14日 サイトスタッフ 宗学コラム 「久遠実成釈迦如来之金剛宝座也」をめぐって 「身延の沢を罷(まか)り出で候事、面目なさ、本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還(かえ)し案じ候えば、いずくにても聖人の御義を相継ぎ進(まい)らせて、世に立て候はん事こそ詮(せん)にて候え」 原殿御返事 正応元年(12 […]
2021年10月14日 / 最終更新日 : 2021年10月13日 サイトスタッフ 宗学コラム 導師から教主への一大転換 文永8年の竜口法難を境に、後の「三沢抄」(建治4年2月23日)で「法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門はただ仏の爾前の経とをぼしめせ」と記したように、日蓮大聖人の宗教的境地が一変したことは確かでしょう。 佐渡期以 […]