2021年8月10日 / 最終更新日 : 2021年8月10日 サイトスタッフ 宗学コラム 本尊とは勝れたるを用うべし~人は無意識のうちに多くを本尊として生きている 「こんなことを考える私がおかしい」「私の我見だ」「私が言うことによって迷惑をかけてはいけない」「考えものを言うなんて、我の強い人がやることだ」「バカにならなきゃいけない」「何がなんでも結果が全て」「何かものを言うと恐そう […]
2021年8月9日 / 最終更新日 : 2021年8月9日 サイトスタッフ 宗学コラム 「仏弟子等必ず仏法を破るべし」をめぐって 日蓮大聖人の訴え 『聖職者・宗教者にして、師匠の弟子こそが仏法を破るのだ』 しかも必ずなのです。 そこには、「何故なのか?何時なのかを考えなさい」という意も込められているように思います。 佐渡御書 外道悪人は如来の正法を […]
2021年8月8日 / 最終更新日 : 2021年8月8日 サイトスタッフ 宗学コラム 私論「折伏について」(8) 投稿者:鬼滅の言 我が父母を人の殺さんに父母につげざるべしや、悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、悪人・寺塔に火を放たんにせいせざるべしや、一子の重病を炙せざるべしや、日本の禅と念仏者とを・みて制せざる者は・かく […]
2021年8月7日 / 最終更新日 : 2021年8月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 内心の宝塔品~日蓮大聖人の本尊観 「日女御前御返事(品々供養事)」弘安元年(1278)6月25日 かかる法華経を末代の女人、二十八品を品々ごとに供養せばやとおぼしめす、但事にはあらず。宝塔品の御時は多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩あつまらせ給ひ […]
2021年8月6日 / 最終更新日 : 2021年8月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡で日蓮大聖人を守った人々をめぐって 時にあたって人物が現れる、出会うというのはまことに妙なるものがあります。 思えば日蓮大聖人の佐渡配流。 失(とが)なき人が流罪に処せられるという理不尽なる仕打ち。しかしながら、「何れの経をも行ぜよ、仏法を行ずるには分分に […]
2021年8月1日 / 最終更新日 : 2021年8月1日 サイトスタッフ 宗学コラム 私論「折伏について」(7) 投稿者:鬼滅の言 問うて云く念仏者・禅宗等を責めて彼等に・あだまれたる・いかなる利益かあるや答えて云く涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈 […]
2021年7月18日 / 最終更新日 : 2021年8月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 生身の虚空蔵菩薩をめぐって 日蓮大聖人の御書を読んでいると、そのまま読めば真意を見誤ってしまう、読み解く必要があるという箇所が少なからずあります。 例えば「清澄寺大衆中」の次の記述です。 生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者 […]
2021年7月17日 / 最終更新日 : 2021年7月17日 サイトスタッフ 宗学コラム 出世の本懐に関する一考 日蓮大聖人の出世の本懐といえば、まず思い起こされるのが、平成19年(2007)8月に出版された金原明彦氏の『日蓮と本尊伝承』(水声社)です。 そこには次のように記されています。 『日蓮と本尊伝承』p215より 最後に、弘 […]
2021年7月16日 / 最終更新日 : 2021年7月16日 サイトスタッフ 宗学コラム 私論「立正安国論について」 投稿者:鬼滅の言 止観第二に史記を引いて云く「周の末に被髪・袒身・礼度に依らざる者有り」弘決の第二に此の文を釈するに左伝を引いて曰く「初め平王の東に遷りしに伊川に髪を被(かぶろ)にする者の野に於て祭るを見る、識者の曰く、 […]
2021年7月3日 / 最終更新日 : 2021年7月3日 サイトスタッフ 宗学コラム 私論「折伏について」(6) 投稿者:鬼滅の言 第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし 辧殿尼 […]