内心の宝塔品~日蓮大聖人の本尊観

「日女御前御返事(品々供養事)」弘安元年(1278)6月25日

かかる法華経を末代の女人、二十八品を品々ごとに供養せばやとおぼしめす、但事にはあらず。宝塔品の御時は多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩あつまらせ給ひぬ。此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんが(考)へ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候。

中略

日女御前の御身の内心に宝塔品まします。凡夫は見ずといへども、釈迦・多宝・十方の諸仏は御らん(覧)あり。日蓮又此をすい(推)す。あらたう(貴)としたう(貴)とし。

意訳

このような法華経を末法の女人たるあなたが、二十八品を品々ごとに供養しようと思われたのは素晴らしいことです。法華経見宝塔品第十一の儀式には、多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩が集まりました。この宝塔品がいずこにあるのかと考えてみれば、日女御前の胸中・八葉の心蓮華の内にあると日蓮は見ているのです。

中略

日女御前の御身の内心に、厳然と宝塔品はあるのです。凡夫には見えることなくとも、釈迦・多宝・十方の諸仏は御覧になっています。日蓮もまた、これを推察しています。とても尊い事です、尊い事です。

見宝塔品第11から始まる虚空会の儀式を日蓮大聖人は曼荼羅のすがた、相貌とされました(もちろん、日蓮本仏信仰圏にあっては、御本尊は日蓮が魂・久遠元初の人法の当体です)。いわば「かたちとして見える御本尊」ですが、その宝塔品は、即ち宝塔品に始まる虚空会の相=御本尊は、実は日女御前の御胸の間、八葉の心蓮華の内にもあるというのです。

日女御前はともかく、伝え聞いた人は驚いたことでしょう。「えっ?私の中に御本尊が?」と。

当時の仏教界で本尊といえば仏菩薩。仏菩薩といえば「形」として顕された木像や絵像。

慈悲溢れる尊顔を拝してすがるように祈るのが至極当然のところに、曼荼羅を本尊として授与した日蓮大聖人。これだけでも十分に驚きなのですが、今度はその本尊が「私の内面世界に」というのです。本当に凄いことだと思います。

目を転じて、「平家物語」の「巻第十 熊野参詣」を確認してみましょう。

寿永3年(1184)2月、一ノ谷の戦い前後に逃亡した平維盛(たいらのこれもり・平清盛の嫡孫、平重盛の嫡男)は高野山で出家した後、熊野三山に参詣します。その模様が次のように描写されています。

維盛一行は歩みを進めるうちに日数も重なり、岩田河へとさしかかった。

川の流れを見ていると、「この川の流れを一度でも渡る者は、悪業・煩悩、無始以来の罪障が消えるのであろう」と、頼もしく思われる。

一行は本宮に参詣し、証誠殿(しょうじょうでん)の御前で端座して長い読経を捧げ、お山の様を眺めていると、心にも言葉にも尽くせぬ有りがたいものに感じられた。神仏の衆生擁護の大慈悲は霞のように熊野山にたなびき、並ぶことなき霊験あらたかな神明は音無河の宮に垂迹されている。法華経を修行するこの地では神仏の感応は月の輝きのように遍く、六根より起こる罪を懺悔するこの庭では妄想が露ほども生じない。証誠殿で祈念をするうちに浄土への往生は確かなものとなり、どうして頼もしくないということがあろうか。

熊野本宮の主神は家都美御子神(けつみみこのかみ)で、その本地は阿弥陀如来。平維盛は証誠(阿弥陀如来の真実・誠であることを証明する)殿で、阿弥陀如来に祈願していたわけです。

ある人は釈迦如来像、ある人は薬師如来像、ある人は大日如来像、そして千手観音像、如意輪観音像、弥勒菩薩像、阿弥陀如来像へと手を合わせる・・・

鎌倉時代の仏教界にあって、明恵や親鸞の名字本尊以来というべきか、大聖人は文字で書かれた妙法曼荼羅を本尊とし、しかもその御本尊は「あなたの内面にこそあるのですよ」とするのです。目の覚めるような本尊観ではないでしょうか。

そのような観点からも、「御義口伝」の「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く、所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」との教示がされたのではないかと思います。

『日女御前の御胸の間、八葉の心蓮華の内におはします』とのわずか一行の教示に、「他者依存」から「目覚めたる自己」へ、「他者任せ」から「自立する私」へ、「おすがり」から「内面世界の開拓」へという「大聖人の思い」というものを感じてなりません。「観心本尊抄」の「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」と併せ考える時、大聖人の顕した本尊に向かうということは、自己の内面とも向かい合うということ。祈り続けるということは、自己に問い続けてより善き自己へと変わりゆくことであると思えてくるのです。

                          林 信男