脱!組織信仰 何のための組織か。この「何のため」を忘れてしまうと、そこにいる人が「手段」となってしまう危険性は常にあります。だからこそ一人一人の自発能動による、不断の精神闘争こそが大切なのではないでしょうか。 自活座談会 自活座談会は師匠池田先生の指導を根本に、題目を唱え、自らが学び考え、何事も笑顔で楽しみ、現実社会のど真ん中で実証を示し、お互いに切磋琢磨しながら、人間革命し、集い、対話する場です。 応援します 「創価自主支援活動サイト」は「座談会御書等」の「お役立ち資料」の情報発信を中心に、皆様からの疑問・質問にも真正面から向き合い「自主活動」を応援します。
2021年5月22日 / 最終更新日 : 2022年7月11日 サイトスタッフ 座談会御書 座談会御書「祈祷抄」2021年(令和3年)6月度 御書 祈祷抄御書全集1351㌻18行目~1352㌻1行目 〈本 文〉 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず 〈通 解 […]
2021年5月21日 / 最終更新日 : 2021年5月21日 サイトスタッフ 宗学コラム 私論「折伏について」(2) 投稿者:鬼滅の言 仏法を習う身には必ず四恩を報ずべきに候か、四恩とは心地観経に云く一には一切衆生の恩、一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し 四恩抄 御書p.937 仏法を習う人は必ず四恩を報ずべきである。その四恩と […]
2021年5月20日 / 最終更新日 : 2021年5月26日 サイトスタッフ 投書 【投書】今の世相に思う(36) 高橋洋一氏の経済政策理論(1) 投書者:ハーフソール 高橋氏の「さざ波」発言は非常に問題であり、深く反省すべきであるが氏の経済政策の理論は説得力があると思うのでもう少しそのことについて述べておきたい。 氏はこう述べている。 「政府の経済政策はそれほど […]
2021年5月17日 / 最終更新日 : 2021年5月17日 サイトスタッフ 投書 【投書】最後に戦うべき相手は神道ではないか 投書者: 石楠花 今、日本全体が静かな右傾化に向かっている。 このことに気づいている人はどのぐらいいるだろうか。静かなるファシズムと言ってもよいかもしれない。 日蓮仏法を信奉し、師と共に広布に生きると決めた我々にとって、 […]
2021年5月15日 / 最終更新日 : 2021年5月15日 サイトスタッフ 宗学コラム 私論「折伏について」(1) 投稿者:鬼滅の言 菩薩と申すは必ず四弘誓願をおこす第一衆生無辺誓願度の願・成就せずば第四の無上菩提誓願証の願も成就すべからず 小乗大乗分別抄 御書p.522 菩薩は必ず四つ誓願を起こす。その一番目の一切衆生を救うという願 […]
2021年5月12日 / 最終更新日 : 2021年5月12日 サイトスタッフ 投書 【投書】今の世相に思う(35) 内閣官房参与のコロナ状況「さざ波」ツイート問題 投書者:ハーフソール アメリカの哲学者であり詩人でもあるジョージ・サンタヤナは「過去を思い起こし得ない者は、過去を繰り返すように運命づけられている」と述べている。 わかりやすいと言えばわかりやすい言葉であるがやはり重み […]
2021年5月8日 / 最終更新日 : 2021年5月8日 サイトスタッフ 投書 【投書】忘れ得ぬ指導「熱原の三烈士」 投書者:鬼滅の言 熱原の三烈士は農民である。長い間、人知れず御影堂の裏にひっそりと三烈士の墓石はたたずんでいた。しかし、正本堂ができた今は一番人目につくようになった。今、時がきて護法のために敢然と戦い抜いた熱原の三烈士は […]
2021年5月6日 / 最終更新日 : 2021年5月6日 サイトスタッフ 投書 【投書】今の世相に思う(34) 嵐の4.24と宗門問題(2) 投書者:ハーフソール また地方の寺院、いわゆる末寺の寄進も池田先生の時代だけで三百二十ヵ寺になるのであり、さらに昭和27年10月から始まった学会のいわゆる総本山への登山会も平成3年までに七千万人が参加している。 どれ […]
2021年5月5日 / 最終更新日 : 2022年7月11日 サイトスタッフ 座談会御書 座談会御書「立正安国論」2021年(令和3年)5月度 御書 立正安国論御書全集31㌻16行目~18行目 〈本 文〉 帝王は国家を基として天下を治め人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来つて其の国を侵逼し自界叛逆して其の地を掠領せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失 […]
2021年5月4日 / 最終更新日 : 2021年5月21日 サイトスタッフ 自活座談会 2021年5月 オンライン自活座談会のご案内 戸田先生の「創価学会の歴史と確信」にある 「立つべき秋(とき)に立たず、つくべき位置につかず、釈迦文上の法華経をもてあそぶ者として、大謗法の罪に私は問われたのである」 とは、どういうことなのか?今日的な […]