脱!組織信仰 何のための組織か。この「何のため」を忘れてしまうと、そこにいる人が「手段」となってしまう危険性は常にあります。だからこそ一人一人の自発能動による、不断の精神闘争こそが大切なのではないでしょうか。 自活座談会 自活座談会は師匠池田先生の指導を根本に、題目を唱え、自らが学び考え、何事も笑顔で楽しみ、現実社会のど真ん中で実証を示し、お互いに切磋琢磨しながら、人間革命し、集い、対話する場です。 応援します 「創価自主支援活動サイト」は「座談会御書等」の「お役立ち資料」の情報発信を中心に、皆様からの疑問・質問にも真正面から向き合い「自主活動」を応援します。
2021年9月27日 / 最終更新日 : 2021年9月27日 サイトスタッフ 宗学コラム 創られゆく「信仰のかたち」~日本国の人々の賢父、聖親、導師 「真言諸宗違目」文永9年(1272)5月5日 法然が捨閉閣抛、禅家等が教外別伝、若し仏意に叶はずんば日蓮は日本国の人の為には賢父なり、聖親なり、導師なり。 法然浄土教の捨閉閣抛、禅家が説く教外別伝が仏意に叶わないならば( […]
2021年9月26日 / 最終更新日 : 2021年9月26日 サイトスタッフ 宗学コラム 摩訶・私感「白米一俵御書について」(1) 投稿者:鬼滅の言 爾前の経の心心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし・草木は万法のごとしと申す、法華経はしからず・心すなはち大地・大地則草木なり 白米一俵御書 御書p.1,597 爾前経では、心から万法生ずる。例 […]
2021年9月24日 / 最終更新日 : 2021年9月24日 サイトスタッフ 宗学コラム 人間日蓮の歩みに思う ~法華経最第一・題目成仏の導師から、一閻浮提第一の本尊を一閻浮提に広宣流布する一閻浮提第一の聖人へ~ 佐藤弘夫氏は『「立正安国論」上呈時の日蓮は「法華至上」の立場であり、「法華独勝」ではなかった。「立正」とは専修念仏を禁 […]
2021年9月23日 / 最終更新日 : 2021年9月23日 サイトスタッフ 投書 【投書】今の世相に思う(54) 高橋洋一氏の経済政策理論(17) 投書者:ハーフソール 高橋氏が提唱するのは道州制の導入である。現在の県を廃止して全国10程度の州政府と全国300程度の市政府を確立する。つまり中央政府、州政府、市政府(基礎自治体)の三層体制である。 この際の行政の原則 […]
2021年9月23日 / 最終更新日 : 2021年9月23日 サイトスタッフ 宗学コラム 日蓮大聖人が挑んだ鎌倉の宗教世界~定豪の事跡を中心に 『汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ』(立正安国論)と時の権力者を諫め、宗教的覚醒を促した日蓮大聖人。 今日、御書を学ぶ私達からすれば至極当然の言葉ではありますが、大聖人の生きた鎌倉時代、このようなことを口に […]
2021年9月22日 / 最終更新日 : 2021年9月22日 サイトスタッフ 宗学コラム 日蓮大聖人の破折に学ぶ~極楽寺良観を僣聖増上慢と指弾し、その働きを呼び起こす 四条金吾殿御返事 夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり 日蓮大聖人の大願は一閻浮提広宣流布による立正安国ですから、そこに至る過程では諸宗教との対決は避けら […]
2021年9月21日 / 最終更新日 : 2021年9月21日 サイトスタッフ 宗学コラム 島国の権力を見下ろす仏教的世界観に生きた日蓮大聖人 文永5年(1268) 1月、蒙古の使者が国書を携えて日本に到着。 騒然とする鎌倉の中にあって、権力者に互角以上で相対した日蓮大聖人。 種種御振舞御書 去ぬる文永五年後の正月十八日、西戎大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒 […]
2021年9月20日 / 最終更新日 : 2021年9月19日 サイトスタッフ 宗学コラム 師のもとに集い、祈り、学ぶ~身延の草庵にみる「信仰のかたち」 辧殿御消息 (建治2年7月21日) 紙なくして一紙に多く要事を申すなり。 「辧殿御消息」の最後の一行から、身延山中での日蓮一門の生活がうかがわれます。 わずかな紙、貴重な紙。故に紙一つに用件から思い、祈りに至るまで、多く […]
2021年9月19日 / 最終更新日 : 2021年9月19日 サイトスタッフ 宗学コラム 如是・我慢「旃陀羅について」 投稿者:鬼滅の言 般泥洹経に云く「善男子過去に無量の諸罪・種種の悪業を作らんに是の諸の罪報・或は軽易せられ或は形状醜陋衣服足らず飲食?疎財を求めて利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或は王難に遇う」等云云(中略) 一には或 […]
2021年9月19日 / 最終更新日 : 2021年9月19日 サイトスタッフ 宗学コラム 「富城入道殿御返事(承久書)」~一国有事の危機管理の要諦を指南 日蓮大聖人が口述し、弟子が代筆した「富城入道殿御返事(承久書)」(弘安4年(1281)10月22日)は、大聖人の文才があますところなく発揮された、表現豊かな書簡ではないかと思います。また、文中で、対蒙古戦の勝利の基準は「 […]