2020年6月11日 / 最終更新日 : 2020年6月11日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 7 清澄寺大衆中 ④ 本文 法華経と申す御経は別の事も候はず。我は過去五百塵点劫より先の仏なり。又舎利弗等は未来に仏になるべしと。これを信ぜざらん者は無間地獄に堕つべし。我のみかう申すにはあらず。多宝仏も証明し、十方の諸仏も […]
2020年6月10日 / 最終更新日 : 2020年6月10日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 6 清澄寺大衆中 ③ 本文 其上、禅宗・浄土宗なんどと申すは又いうばかりなき僻見の者なり。此を申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほう(報)ぜんがために、建長五年四月二十八日、安房の国東条の郷清澄 […]
2020年6月9日 / 最終更新日 : 2020年6月9日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 5 清澄寺大衆中 ② 本文 日蓮が度々殺害せられんとし、並びに二度まで流罪せられ、頚を刎られんとせし事は別に世間の失に候はず。生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食し […]
2020年6月8日 / 最終更新日 : 2020年6月8日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 4 3 日蓮大聖人の書簡からわかること 【 清澄寺大衆中 】 ここまで見てきた日蓮大聖人の法脈と窪田氏の指摘=寂澄・法鑁の事跡を踏まえれば、大聖人が生きた時代の清澄寺は「台東両系の修学者達も混住していた」(窪田P329)、東 […]
2020年6月7日 / 最終更新日 : 2020年6月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 3 2 清澄寺内での台密の法脈は 窪田氏は論考で法鑁、寂澄、亮守の三者の事跡を追い、「清澄山内における東密・真言の法脈の厳然たる存在」(窪田P323)を指摘しました。論考中で紹介された文書、事跡によれば、「東密・真言の法脈の […]
2020年6月6日 / 最終更新日 : 2020年6月6日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 2 【 清澄寺大衆と周辺の人物 】 はじめに、日蓮大聖人の書簡に登場する清澄寺大衆、及びその周辺に位置すると推測される僧の名を確認してみましょう。 ◇聖密房 「聖密房御書」昭和定本「文永11年」、山上弘道氏「文永6・7年」5 […]
2020年6月5日 / 最終更新日 : 2020年6月5日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 1 1 清澄寺内の二つの法脈 【 諸説概要 】 日蓮大聖人と同時代の清澄寺の宗旨について大方の論者は「天台宗・台密」としているのですが、窪田哲正氏は「安房清澄山求聞持法行者の系譜 ― 清澄寺宗旨再考 ―」(「日蓮教学とその周 […]
2020年6月3日 / 最終更新日 : 2020年6月3日 サイトスタッフ 宗学コラム 真実開顕のとき~大悪鬼の日本国・疫病・天魔・曼荼羅図顕・金輪聖王 建治4年(1278・2月29日改元で弘安元年)1月、「御義口伝」 が成立した頃、世を覆う疫病の惨状は凄まじいものがありました。 建治4年2月13日に著された「松野殿御返事」では詳細に描写されています。 日本国数年の間、打 […]
2020年6月2日 / 最終更新日 : 2020年6月2日 サイトスタッフ 宗学コラム 共に歩み、共に生きた師匠を後世に伝えるということ 日蓮大聖人が池上宗仲・宗長の兄弟に送られた「兄弟抄」を拝しているのですが、師が慈愛を注ぎこむように励まし包容された兄弟・第六天の魔王の働きを教示された兄弟も、師の滅後は日朗の側、即ち「五人一同に云く、日蓮聖人の法門は天台 […]
2020年6月1日 / 最終更新日 : 2020年6月1日 サイトスタッフ 宗学コラム 相次ぐ天災地変に~眼前のことを以て仏法のなんたるかを知る 天災地変、疫病に何かを読み取る思考は「立正安国論」に明瞭です。 思えば日蓮大聖人の竜口の死地に至る源は、大地震(自然災害)、疫病、飢餓等を眼前にして立ち上がったことにありました。 安国論御勘由来 正嘉元年[太歳丁巳]八月 […]