安房国清澄寺に関する一考 13

【 聖密房御書 4 】

本文

問て云く、わ法師一人此悪言をはく如何。

答て云く、日蓮は此人人を難ずるにはあらず。但不審する計りなり。いかり(怒)おぼせば、さでをはしませ。外道の法門は一千年八百年、五天にはびこりて、輪王より万民かうべ(頭)をかたぶけたりしかども、九十五種共に仏にやぶられたりき。摂論師が邪義、百余年なりしもやぶれき。南北の三百余年の邪見もやぶれき。日本二百六十余年の六宗の義もやぶれき。其上此事は伝教大師の或書の中にやぶられて候を申すなり。

日本国は大乗に五宗あり。法相・三論・華厳・真言・天台。小乗に三宗あり。倶舎・成実・律宗なり。真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども、くわしく論ずれば皆小乗なり。宗と申すは戒定慧の三学を備へたる物なり。其中に定慧はさてをきぬ。戒をもて大小のばうじ(牓示)をうちわかつものなり。

東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに、東大寺に入りて小乗律宗の驢乳臭糞の戒を持つ。戒を用って論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし。比叡山には天台宗・真言宗の二宗、伝教大師習ひつたへ給ひしかども、天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべきよし申させ給ひしゆへに、天台宗に対しては真言宗の名あるべからずとをぼして、天台法華宗の止観・真言とあそばして、公家へまいらせ給ひき。伝教より慈覚たまはらせ給ひし誓戒の文には、天台法華宗の止観・真言と正しくのせられて、真言宗の名をけづられたり。天台法華宗は仏立宗と申して仏より立てられて候。

真言宗の真言は当分の宗、論師人師始めて宗の名をたてたり。而るを、事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり。仏御存知の御意は但法華経一宗なるべし。小乗には二宗・十八宗・二十宗候へども、但所詮の理は無常の一理なり。法相宗は唯心有境。大乗宗無量の宗ありとも、所詮は唯心有境とだにいはば但一宗なり。三論宗は唯心無境。無量の宗ありとも、所詮唯心無境ならば但一宗なり。此は大乗の空有の一分歟。華厳宗・真言宗あがらば但中、くだらば大乗の空有なるべし。経文の説相は猶華厳・般若にも及ばず。但しよき人とをぼしき人人の多く信じたるあいだ、下女を王のあい(愛)するににたり。大日経は下女のごとし。理は但中にすぎず。論師・人師は王のごとし。人のあいするによていばう(威望)があるなるべし。

上の問答等は当時は世すえになりて、人の智浅く慢心高きゆへに、用ふる事はなくとも、聖人・賢人なんども出でたらん時は子細もやあらんずらん。不便にをもひまいらすれば目安に注せり。御ひまにはならはせ給ふべし。

これは大事の法門なり。こくうざう(虚空蔵)菩薩にまいりて、つねによみ奉らせ給ふべし。

意訳

問う、法師(日蓮)一人がこの悪言を吐くとはどのような考えなのか。

答えよう、日蓮は真言諸師を非難しているのではない。ただ、彼らの教えの不審なところを指摘しているだけなのである。それでも怒られるならば、そのようにすればよい。(インドの)外道の法門は八百年または一千年も五天竺(インドを東西南北と中の五つに分けた古称)にはびこって、転輪聖王より万民に至るまで頭を下げ帰依していたのだが、釈迦の時代の九十五種の外道は、皆共に釈迦仏に破られた。(中国の)摂論宗諸師の邪義は陳・隋代の100余年も続いたが、玄奘の出現により破られた。(中国の)南三北七の300余年続いた邪見も、智顗の出現によって破られた。日本では仏教が伝わって以来260余年の南都六宗の義も、最澄(神護景雲元年・767~弘仁13年・822)によって破られたのである。その上この事は、伝教大師が或る書(「依憑天台宗」のことか)の中で破られていることをいっているのである。

日本国では大乗に五宗ある。それは法相・三論・華厳・真言・天台宗である。小乗には三宗ある。それは倶舎・成実・律宗である。真言・華厳・三論・法相宗は大乗より出たとはいえ、詳しく論ずるならばそれらは皆小乗の宗である。宗というものは、戒・定・慧の三学を備えている。その中で、定・慧はひとまずおこう。戒をもって大乗、小乗の境目を明確にするものなのである。

東寺の真言・法相・三論・華厳宗等は戒壇堂がない故に、東大寺の戒壇堂に入って小乗律宗の驢乳(ろにゅう)・臭糞(しゅうふん)の戒を受けている。戒をもって論ずれば、これらの宗は小乗の宗になるのだ。唐に渡り学んだ伝教大師が、天台宗と真言宗の二宗を比叡山に伝えたのだが、天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇を建立すべきことを願われたので、天台宗に対しては真言宗の名はあるべきではないと考えられ、天台法華宗の止観業・遮那業と認められて朝廷に上表されたのである。伝教大師より慈覚が賜った「誓戒」の文には、「天台法華宗の止観・真言」とまさしく載せられて、真言宗の名を削られている。天台法華宗は仏立宗といい、釈迦仏により立てられたものである。

真言宗の真言とは当分の宗であり、論師・人師がはじめて宗の名を立てたものだ。そのようなことを無視して、事を大日如来と弥勒菩薩等によせているのである。釈迦仏が御存知である御意にかなうのは、ただ法華経による一宗だけである。小乗には2宗・18宗・20宗とあるのだが、つまるところ、究極の理は無常の一理である。法相宗の究極の理は唯心有境であり、大乗の宗に無量の宗があっても、究極の理は唯心有境だというならば、ただ一宗・法相宗となる。三論宗は唯心無境であり、大乗の宗に無量の宗があっても、究極の理は唯心無境というならば、ただ一宗・三論宗となる。これは大乗の空有の一分であろうか。華厳宗・真言宗は一つには但中、または大乗の空有となるであろう。経典に説かれた内容をみれば、大日経は華厳経・般若経にも及ぶことはない。ただ、立場のある多くの人が大日経を信仰しているのは、下女を王が愛しているのに似ているようなものである。大日経は下女のようなもので、その理は「但中」にすぎない。論師・人師は王のようなもので、人々が敬愛することによって威望が備わるのである。

以上の問答等は、今は世が末になり人の智慧が浅く慢心が高い故に用いられることがなくても、聖人・賢人などが出現したならば子細も明らかになることだろう。あなた(聖密房)を不便に思うので、目安として書き記したのである。時間ができたら学んでいきなさい。

ここに書いたことは大事の法門である。虚空蔵菩薩に参って常に読んでいきなさい。

以上、「聖密房御書」では中国の三三蔵、日本の空海を批判。

大日経より法華経が勝れていることを説示し、それを「大事の法門」として、虚空蔵菩薩に参って当書を「つねによみ奉らせ給ふべし」と反復学習を促しているところから、聖密房は真言密教・東密の僧であったことがうかがわれます。

もしくは、以前は東密僧でしたが、書状を届けられた時には日蓮法華信奉者となっていたのかもしれません。その場合は、聖密房の法華信仰不退を固める意から書かれたものとなります。

どちらにしても、当書は聖密房周辺の東密僧に教理的誤りを認識させ、日蓮法華への信を促す意を込めたものと理解できます。