2020年9月23日 / 最終更新日 : 2020年9月23日 サイトスタッフ 宗学コラム 日蓮一門の身延入山に関する一考 9 【完】 【 「法華経の体現者・日蓮」として「原点の山林」に還り新たなる出発を期した 】 日蓮大聖人は清澄寺で少年から青年となり、修学期は比叡山で少なからぬ時を過ごし、結果として少年時代より壮年期まで山岳寺院で学び、多くの時を刻ん […]
2020年9月21日 / 最終更新日 : 2020年9月21日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡期の外部批判(1)・私論 投稿者:鬼滅の言 或る人日蓮を難じて云く機を知らずして麤義を立て難に値うと、或る人云く勧持品の如きは深位の菩薩の義なり安楽行品に違すと、或る人云く我も此の義を存すれども言わずと云云、或る人云く唯教門計りなりと 寺泊御書 […]
2020年9月18日 / 最終更新日 : 2020年9月18日 サイトスタッフ 宗学コラム 日蓮一門の身延入山に関する一考 8 【 自らの体調 】 上野殿母尼御前御返事(所労書) 弘安4年(1281)12月8日 さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候ひて今年十二月八日にいたるまで、此の山出づる事一歩も候はず。たゞし八年が間や(痩)せやま […]
2020年9月17日 / 最終更新日 : 2020年9月17日 サイトスタッフ 宗学コラム 日蓮一門の身延入山に関する一考 7 【 門弟等の避難所、拠り所として 】 「滝泉寺申状」(弘安2年[1279]10月)に「去ぬる四月御神事の最中に、法華経信心の行人四郎男を刃傷せしめ、去ぬる八月弥四郎男の頸を切らしむ」とあることから、弘安2年秋の熱原法難に […]
2020年9月16日 / 最終更新日 : 2020年9月16日 サイトスタッフ 宗学コラム 開目抄・要文 6【完】 投稿者:鬼滅の言 【第51章・別して俗衆道門を明かす】 第一の有諸無智人と云うは経文の第二の悪世中比丘と第三の納衣の比丘の大檀那と見へたり、随つて妙楽大師は「俗衆」等云云、 御書p.226 11行目〜12行目 第二の法華 […]
2020年9月16日 / 最終更新日 : 2020年9月16日 サイトスタッフ 宗学コラム 日蓮一門の身延入山に関する一考 6 【 蒙古襲来に備えて 】 次に「山林に交わる」意味として考えられるのが、蒙古襲来に備えるというものです。 この頃の日蓮大聖人は、先に見たように蒙古襲来は必定としており、実際に平左衛門尉に告げたとおりに元軍は文永11年(1 […]
2020年9月15日 / 最終更新日 : 2020年9月15日 サイトスタッフ 宗学コラム 十七世日精の相承問題の顛末 概説 興風談所発行の「興風」最新号に、『大石寺「精師・舜師矛盾の書付」について』と題する論文が掲載された。近年話題になった「精師・舜師矛盾の書付」について、その全貌を明かし、日精・日舜の相承において起きた目を覆うべきその実状 […]
2020年9月15日 / 最終更新日 : 2020年9月15日 サイトスタッフ 宗学コラム 日蓮一門の身延入山に関する一考 5 【 俗権から離れる 】 幕府の干渉ということに関しては、系年、弘安元年(1278)とされる4月11日付けの「檀越某御返事(四条金吾御返事)」によれば、わずか20日程前に「日蓮一生の間の祈請並びに所願忽ちに成就せしむるか」 […]
2020年9月15日 / 最終更新日 : 2020年9月15日 サイトスタッフ 宗学コラム 開目抄・要文 5 投稿者:鬼滅の言 【第41章・種子徳用、種子依経を弁ず】 真言・華厳等の経経には種熟脱の三義・名字すら猶なし何に況んや其の義をや 御書p.215 13行目〜14行目 宗宗・互に種を諍う予此をあらそはず但経に任すべし、法華 […]
2020年9月14日 / 最終更新日 : 2020年9月14日 サイトスタッフ 宗学コラム 開目抄・要文 4 投稿者:鬼滅の言 【第31章・二乗の守護無きを疑う】 されば事の心を案ずるに四十余年の経経のみとかれて法華八箇年の所説なくて御入滅ならせ給いたらましかば誰の人か此等の尊者をば供養し奉るべき現身に餓鬼道にこそ・をはすべけれ […]