2020年10月13日 / 最終更新日 : 2020年10月13日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 36 【 法鑁 】 法鑁は東密・小野流の書である「胎蔵界沙汰 付小野延命院次第」を書写しており、東密の相伝を受けていることが確認されます。 ◇「胎蔵界沙汰付小野延命院次第」 建長五年(1253)癸丑九月十四日未時書了 於長佐郷 […]
2020年10月12日 / 最終更新日 : 2020年10月12日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 35 ここでは頼瑜(嘉禄2年・1226~嘉元2年・1304)の弟子・頼縁と法鑁(日吽)、寂澄らの事跡を確認し、清澄寺での真言・東密の法脈の可能性を探ってみましょう。 【 寂澄 】 寂澄の手択本(しゅたくぼん・持ち主が手元に置い […]
2020年10月9日 / 最終更新日 : 2020年10月9日 サイトスタッフ 宗学コラム 神仏習合から本地垂迹、そして日蓮初期教団 552年(または538年)の仏教公伝以降に発生した神仏習合というのは実によくできた考えで、新と旧、即ち新しいものも従来のものも、そこに存在するものを共に生かして活かす共生の思想であったと読み解けるのではないでしょうか。や […]
2020年10月7日 / 最終更新日 : 2020年10月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 34 【 真言・天台が共にあった走湯山 】 これまで見てきたことをまとめると、 ・「走湯山縁起」では空海の来訪、安然の虚空蔵菩薩求聞持法の修法を伝える。これらは東密・台密の法脈が、早くから走湯山に共存していたことを物語るもので […]
2020年10月7日 / 最終更新日 : 2020年10月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡期の外部批判(3)・私論 投稿者:鬼滅の言 或る人云く勧持品の如きは深位の菩薩の義なり安楽行品に違すと 寺泊御書 御書p.953 日蓮は深位の菩薩ではない。従って修行は勧持品で説かれる三類の強敵と闘う折伏行ではなく、安楽行品の摂受の修行をすべきで […]
2020年10月6日 / 最終更新日 : 2020年10月6日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 33 【 走湯山で学んだ大石寺・日目師 】 ここで意を留めておきたいのは、大石寺3世・日目師(文応元年・1260~元弘3年・正慶2年・1333)が少年時代に走湯山で学問に励んだと伝えられていることです。まずは富士門流に伝わる二 […]
2020年10月5日 / 最終更新日 : 2020年10月5日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 32 【 走湯山管領・浄蓮房源延 】 走湯山で生まれたとされる浄蓮房源延は、天台僧にして熱烈な浄土教家でした。三田全信氏の教示(「伊豆山源延とその浄土教」仏教大学研究紀要・第54号)に導かれながら、源延の事跡を追ってみましょう […]
2020年10月4日 / 最終更新日 : 2020年10月4日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 31 7 走湯山をめぐって 【 走湯山の安居院一門 】 建仁元年(1201)、京都・青蓮院の慈円(久寿2年・1155~嘉禄元年・1225)は安居院(あぐい)澄憲(※1)の子である聖覚(※2) に伊豆山(走湯山)、箱根山の支配を […]
2020年10月2日 / 最終更新日 : 2020年10月2日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 30 【 日本第一の御厨にある清澄寺 】 青年日蓮が書写した「授決円多羅義集唐決」奥書にある「阿房国東北御庄清澄山」の「東北御庄」は「とうほくみくりや」と読み慣わされ、東条御厨のこととされます。17歳の日蓮が「東北御庄」と書い […]
2020年9月27日 / 最終更新日 : 2020年9月27日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡期の外部批判(2)・私論 投稿者:鬼滅の言 或る人日蓮を難じて云く機を知らずして麤義を立て難に値うと 寺泊御書 御書p.953 衆生の機根を知らずに、難解な法華経第一の教義を立て弘教をしたが故に難にあったのである(意訳) 寺泊御書に記された日蓮大 […]