2020年10月7日 / 最終更新日 : 2020年10月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 34 【 真言・天台が共にあった走湯山 】 これまで見てきたことをまとめると、 ・「走湯山縁起」では空海の来訪、安然の虚空蔵菩薩求聞持法の修法を伝える。これらは東密・台密の法脈が、早くから走湯山に共存していたことを物語るもので […]
2020年10月7日 / 最終更新日 : 2020年10月7日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡期の外部批判(3)・私論 投稿者:鬼滅の言 或る人云く勧持品の如きは深位の菩薩の義なり安楽行品に違すと 寺泊御書 御書p.953 日蓮は深位の菩薩ではない。従って修行は勧持品で説かれる三類の強敵と闘う折伏行ではなく、安楽行品の摂受の修行をすべきで […]
2020年10月6日 / 最終更新日 : 2020年10月6日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 33 【 走湯山で学んだ大石寺・日目師 】 ここで意を留めておきたいのは、大石寺3世・日目師(文応元年・1260~元弘3年・正慶2年・1333)が少年時代に走湯山で学問に励んだと伝えられていることです。まずは富士門流に伝わる二 […]
2020年10月5日 / 最終更新日 : 2020年10月5日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 32 【 走湯山管領・浄蓮房源延 】 走湯山で生まれたとされる浄蓮房源延は、天台僧にして熱烈な浄土教家でした。三田全信氏の教示(「伊豆山源延とその浄土教」仏教大学研究紀要・第54号)に導かれながら、源延の事跡を追ってみましょう […]
2020年10月4日 / 最終更新日 : 2020年10月4日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 31 7 走湯山をめぐって 【 走湯山の安居院一門 】 建仁元年(1201)、京都・青蓮院の慈円(久寿2年・1155~嘉禄元年・1225)は安居院(あぐい)澄憲(※1)の子である聖覚(※2) に伊豆山(走湯山)、箱根山の支配を […]
2020年10月2日 / 最終更新日 : 2020年10月2日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 30 【 日本第一の御厨にある清澄寺 】 青年日蓮が書写した「授決円多羅義集唐決」奥書にある「阿房国東北御庄清澄山」の「東北御庄」は「とうほくみくりや」と読み慣わされ、東条御厨のこととされます。17歳の日蓮が「東北御庄」と書い […]
2020年9月27日 / 最終更新日 : 2020年9月27日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡期の外部批判(2)・私論 投稿者:鬼滅の言 或る人日蓮を難じて云く機を知らずして麤義を立て難に値うと 寺泊御書 御書p.953 衆生の機根を知らずに、難解な法華経第一の教義を立て弘教をしたが故に難にあったのである(意訳) 寺泊御書に記された日蓮大 […]
2020年9月23日 / 最終更新日 : 2020年9月23日 サイトスタッフ 宗学コラム 日蓮一門の身延入山に関する一考 9 【完】 【 「法華経の体現者・日蓮」として「原点の山林」に還り新たなる出発を期した 】 日蓮大聖人は清澄寺で少年から青年となり、修学期は比叡山で少なからぬ時を過ごし、結果として少年時代より壮年期まで山岳寺院で学び、多くの時を刻ん […]
2020年9月21日 / 最終更新日 : 2020年9月21日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡期の外部批判(1)・私論 投稿者:鬼滅の言 或る人日蓮を難じて云く機を知らずして麤義を立て難に値うと、或る人云く勧持品の如きは深位の菩薩の義なり安楽行品に違すと、或る人云く我も此の義を存すれども言わずと云云、或る人云く唯教門計りなりと 寺泊御書 […]
2020年9月18日 / 最終更新日 : 2020年9月18日 サイトスタッフ 宗学コラム 日蓮一門の身延入山に関する一考 8 【 自らの体調 】 上野殿母尼御前御返事(所労書) 弘安4年(1281)12月8日 さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候ひて今年十二月八日にいたるまで、此の山出づる事一歩も候はず。たゞし八年が間や(痩)せやま […]