佐渡期の外部批判(3)・私論

投稿者:鬼滅の言

或る人云く勧持品の如きは深位の菩薩の義なり安楽行品に違すと

寺泊御書 御書p.953

日蓮は深位の菩薩ではない。従って修行は勧持品で説かれる三類の強敵と闘う折伏行ではなく、安楽行品の摂受の修行をすべきである。そもそも修行が間違っているのである。

寺泊御書に記された2つめの批判です。

上記、私の解釈に間違いがあることに気がつきましたのでお詫びいたしますとともに、訂正をさせていただきます。

「安楽行品に違すと」について、私は「違す」を “間違っている” と捉え、勧持品の修行をすること自体が間違っているとの批判であると解釈しましたが、ここは、

“安楽行品の教えに相違しているとの批判である”

それが正解であると思います。

先日、開目抄の勉強会を行いましたが、開目抄の59章に安楽行品の文が引用されています。その文を読み私の解釈が間違っていることに気がつきました。

法華経の安楽行品に云く「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云、汝此の経文に相違するゆへに天にすてられたるか

開目抄下 御書p.234

寺泊御書の「安楽行品に違す」は開目抄のこの一節を指していると思います。

あらためて解釈します。

勧持品で説かれる三類の強敵と闘う折伏行は深位の菩薩の修行で、日蓮は深位の菩薩ではない。初心の者は安楽行品の「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」との教えを実践すべきで、日蓮はこの教えに相違している。

深位の菩薩ではないとの批判。
安楽行品の摂受の修行をすべきであるとの批判。
日蓮大聖人はどう答えられたのか、次回考えることにします。