2020年10月20日 / 最終更新日 : 2020年10月20日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 42【完】 12 代々の住持一宗の相続に非ず 鎌倉時代、別当は「名ばかりの」清澄寺ではありましたが、虚空蔵菩薩求聞持法を行う霊場としての喧伝は室町時代後期に至るも続いており、文明15年(1483)4月、高野山で沙門鏡心が書写した「慈 […]
2020年10月19日 / 最終更新日 : 2020年10月19日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 41 【 東条景信による清澄・二間の寺領侵犯 】 清澄寺が特定の宗派ではなかったことの参考になると思われるのが、先に見た「清澄寺大衆中」の「故いかんとなれば、東条左衛門景信が悪人として清澄のか(飼)いしゝ(鹿)等をか(狩)りと […]
2020年10月18日 / 最終更新日 : 2020年10月18日 サイトスタッフ 宗学コラム 佐渡期の外部批判(4)・私論 投稿者:鬼滅の言 或る人云く勧持品の如きは深位の菩薩の義なり安楽行品に違すと 寺泊御書 御書p.953 勧持品で説かれる三類の強敵と闘う折伏行は深位の菩薩の修行で、日蓮は深位の菩薩ではない。初心の者は安楽行品の「楽つて人 […]
2020年10月18日 / 最終更新日 : 2020年10月18日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 40 11 「名ばかり」の別当 【 別当御房御返事 】 清澄寺の別当職とはどのようなものだったのでしょうか。 ここで「別当御房御返事」(文永11年5、6月頃)を確認してみましょう。 本文 聖密房のふみにくはしくかきて候。よりあ […]
2020年10月17日 / 最終更新日 : 2020年10月17日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 39 10 台密系の別当は 若き日は天台・台密の法脈に連なっていた日蓮大聖人が清澄寺別当就任を要請されていることからして(文永11年5・6月頃「別当御房御返事」)、大聖人の時代には天台・台密系の別当もいたと考えられます。 その […]
2020年10月16日 / 最終更新日 : 2020年10月16日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 38 9 関東護持奉行・弘賢 日蓮大聖人について「師匠道善御房に値ひ奉って、東寺家の真言を習学す」と記す「法華本門宗要抄」が作られる頃には、清澄寺はあたかも真言・東密と見られるような寺院となり(山川P86~)、窪田氏は宗要抄の […]
2020年10月14日 / 最終更新日 : 2020年10月14日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 37 【 高木豊氏の指摘 】 高木豊氏は論考「安房国清澄寺宗派考」(日蓮攷P25)にて、金沢文庫に所蔵する寂澄手択本の奥書にある寂澄の署名は一貫して同一だが、「納経札」の「院主阿闍梨寂澄」とは一致せず、別人との断定はひかえるが […]
2020年10月13日 / 最終更新日 : 2020年10月13日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 36 【 法鑁 】 法鑁は東密・小野流の書である「胎蔵界沙汰 付小野延命院次第」を書写しており、東密の相伝を受けていることが確認されます。 ◇「胎蔵界沙汰付小野延命院次第」 建長五年(1253)癸丑九月十四日未時書了 於長佐郷 […]
2020年10月12日 / 最終更新日 : 2020年10月12日 サイトスタッフ 宗学コラム 安房国清澄寺に関する一考 35 ここでは頼瑜(嘉禄2年・1226~嘉元2年・1304)の弟子・頼縁と法鑁(日吽)、寂澄らの事跡を確認し、清澄寺での真言・東密の法脈の可能性を探ってみましょう。 【 寂澄 】 寂澄の手択本(しゅたくぼん・持ち主が手元に置い […]
2020年10月9日 / 最終更新日 : 2020年10月9日 サイトスタッフ 宗学コラム 神仏習合から本地垂迹、そして日蓮初期教団 552年(または538年)の仏教公伝以降に発生した神仏習合というのは実によくできた考えで、新と旧、即ち新しいものも従来のものも、そこに存在するものを共に生かして活かす共生の思想であったと読み解けるのではないでしょうか。や […]