佐渡期の外部批判(6)・私論

投稿者:鬼滅の言

或る人云く我も此の義を存すれども言わずと云云

寺泊御書 御書p.953

寺泊御書に記された3番目の批判です。

日蓮大聖人が説く法門は特別な法門ではない。法華経を読めば分かることであり、特に何か言うことはないのである。

そのような批判ではないかと私は感じています。
この批判に対し大聖人はどう答えられたのか?

一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり

草木成仏口決 御書p.1,339

草木成仏口決で大聖人は草木成仏の原理を明かされています。そして、その意義から一念三千の法門を洗練し顕したのが大曼荼羅であり、その法理は「当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」と説かれています。


「当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」


この御文が「我も此の義を存すれども言わず」との批判に対する答えであると思っています。

その他、寺泊御書御書・転重軽受法門・開目抄にもこの批判に対する答えではないかと思う御文があります。簡単に解釈します。

勧持品に云く(中略)「及び刀杖を加うる者」等云云日蓮は此の経文を読めり汝等何ぞ此の経文を読まざる

寺泊御書 御書p.953

法華経を読み知っているのであれば、何故、法華経の教えを身読・色読しないのか、との答え。

例せば外典の三墳五典には読む人かずをしらず、かれがごとくに世ををさめふれまう事千万が一つもかたしされば世のをさまる事も又かたし

転重軽受法門 御書p.1,001

三墳五典の例と同様、法華経を読む人は多いが、法華経の真意を知り振る舞うことは難事である、との答え。

一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり

開目抄上 御書p.189

大聖人の法門は「本門・寿量品の文の底」に秘し沈められた法門である。故に世間の学者達の知らない法門である、との答え。

最後の批判「或る人云く唯教門計りなり」との批判につきましては、次回考えたいと思います。