座談会御書「千日尼御前御返事」(真実報恩経の事)2026年(令和8年)8月度
〈御 書〉
御書新版1310㌻5行目~17行目
御書全集1737㌻11行目~13行目
〈本 文〉
此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし、南無阿弥陀仏経等はきじのごとし兎のごとし・鷲につかまれては涙をながし・師子にせめられては腸わたをたつ
〈通 解〉
この法華経の経文は、一切経の中で最も勝れている。地を走る者の王である師子王のようである。空を飛ぶ者の王である鷲のようである。南無阿弥陀仏の経などは、雉のようであり、兎のようである。鷲につかまれては涙を流し、師子に責められては腸を断つのである。
〈講 義〉
初めに、今回学習する御文の前後を概略的に学んでまいりたいと思います。
この「千日尼御前御返事」は、「真実報恩経の事」と副題とつけられております。
本抄は、弘安元年(1278年)七月二十八日、大聖人五十七歳、千日尼の夫、阿仏房が身延の大聖人を三度目にご訪問をされた折り、千日尼が夫に託した便りに対するご返事です。「女人の罪障は深いので、成仏は叶うのか」とのご質問に対して、大聖人は、「法華経」発祥の地インドから中国、そして日本へ渡るまでの詳細を、また時間の経過も踏まえて丁寧にご詳述され、本抄後段に(法華経は、一切経の師子王であり、空の王者、鷲であるのだから)「法華経より外の一切経には女人は成仏しないと嫌っていようとも、法華経さえ女人成仏が許されているなら、どうして苦しむことがあろう。」(通解)と明確に「女人成仏は間違いない。」とご断言しておいでです。
父母の恩の中でも、特に悲母(母親)の大恩は報じ難い。外典(儒教などの孝経など)では現世の養育はできても後生を助けられない。内典の五千・七千余巻の小乗・大乗経でも、女人成仏が許されないか、仮の説にすぎないため、悲母の恩を真に報じられないことを明確にされ、「ただ法華経ばかりが女人成仏を明かし、悲母の恩を報ずる真実の報恩経であると考えたので、悲母の恩を報ずるために、法華経の題目を一切の女人に唱えさせようとの願いをたてたのである。」(通解)この御文が副題の由来であり、悲母の大恩に感謝し、悲母の幸福を実現せんとする大願のお心を開かされており、法華経のみが竜女の即身成仏を説き、女人成仏を可能にする唯一の経であり、それによって悲母(ひいてはすべての女性)の成仏を叶え、真の報恩ができると仰せになり、法華経の最勝、女人成仏の意義、当時の念仏信仰への批判などが述べられていきます。
さて、大聖人佐渡配流当初、夫である阿仏房も大聖人を害する目的で塚原三昧堂を訪れましたが、大聖人の威厳ある姿と法門(念仏の誤りと法華経の最勝)を聴聞し、たちまち害意を捨てて帰依しました。すぐに妻・千日尼と子息・藤九郎守綱も入信していきます。
この頃、佐渡では地頭や念仏者たちが大聖人を昼夜監視し、近づく者を妨害しておりましたし、まして極寒地で食料も衣服も極めて乏しい生命に係る環境であり、当然、幕府方や極楽寺などの者どもは、佐渡に流せば生きては帰れまいと考えていたのでしょう。
阿仏房夫妻は、人目を忍んで夜中に櫃を背負い、何度も大聖人のもとを訪れ、食事や紙・墨などをお届けしました。後半部には、「日蓮の庵室に昼夜に見張りを立て、通う人を妨げようとしたのに、阿仏房に櫃を背負わせて、夜中に度々お訪ねのあったことを、いつの世に忘れられようか。ただ亡き悲母が佐渡の国に生まれ変わったのであろうか。」(通解)と深い深い感謝を表すとともに、「亡き悲母の生まれ変わりか。」との御文は、胸に迫ります。
女人成仏と母への報恩、約十年前に亡くなられたご生母・妙蓮尊尼のお姿と、千日尼の献身のお姿が、鮮やかに重なり合っていたに違いありません。そこにあるのは「感謝」を超え、自らの命を賭して守り抜いてくれた「大恩人」に対する、溢れんばかりの慈愛と生涯をかけた報恩のお心ではなかったかと拝察します。苦境の師を思う弟子の心と「私が付いてますよ。」「必ず成仏しますよ。」との師の心。この響き合う、あまりにも強く尊い師弟の魂の絆が迫ってまいりました。
この外護が原因で、阿仏房夫妻自身に激しい迫害が起こります。
具体的には、所払い(追放)居住地から追い出され、過料(罰金)不当な科料を課される。そして、宅(家)の没収、家屋を取り上げられるなど数々苦難にも遭われているのでした。であったとしても退転せず、信心を貫き高齢な夫を三度も身延へ送り出した千日尼。ご自身がお目通りできぬとも赤誠を尽くし抜く、この赤誠に大聖人は「過去世に十万億の仏を供養した人こそ、今生で信心を退転しないとある。あなたは十万億の仏を供養した女人ですよ。」(通解)と最大・最高の讃嘆を送っているのです。
それでは、本文に戻り学んでまいりたいと思います。
〈本文〉
此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし、南無阿弥陀仏経等はきじのごとし兎のごとし・鷲につかまれては涙をながし・師子にせめられては腸わたをたつ
「この経文は一切経に勝れたり。地走る者の王たり、師子王のごとし。空飛ぶ者の王たり、鷲のごとし。」
御文は、法華経こそ最勝であることを結論し、また一切経とは、仏典に限らず、あらゆる宗教・思想をも含まれていると思います。また、この教を持つ「女人」こそが、地を走る者の中にあっては師子王であり、空飛ぶ者の中にあっては、鷲である。なにがあろうとも、絶対勝利の人生を歩んでいくことができるとの御本仏のお約束です。千日尼は、どれほどの歓喜に包まれたことでしょう。
「南無阿弥陀仏経等は、雉のごとし、兎のごとし。鷲につかまれて涙をながし、師子に責められては腹わたを絶つ。」
念仏では決して「女人成仏」はなく、かえって無間地獄に落ちる。したがって大聖人の仏法こそが、法華経こそが最大事なのです。また、拝読部分のすぐ後に続く御文には、「念仏者、律僧、禅僧、真言師などは、すべて同じで法華経の行者に植えば顔色をなくして、魂を消すのである。」(通解)と厳しく言っておいでであり、法華経が「女人成仏」を含め、すべてに勝ちゆく根本であるとのご断言です。
少し飛躍しますが、この原理は、原田学会にも同じではなでしょうか。
阿仏房は、弘安2年(1279年)3月21日、91歳で佐渡で死去。大聖人は『千日尼御返事』で「故阿仏房の聖霊はー中略ー霊鷲山の山の中に、多宝仏の宝塔の内に、東むきにおわす」と、成仏を断言しています。
千日尼は、夫亡き後も息子を身延へ送り出すなど師を慕う信心を続け、佐渡の女性門下の中心的存在として活躍して行きます。没年については、正確なことは記録が残ってなく不明です。子孫は法華経の信心を継承。曾孫にあたる日満(にちまん)は日興上人の弟子となり、「北国の棟梁」と期待されるなど、佐渡・北陸地方の教線を支えていきました。
私自身、信心の姿勢として、また師匠を守る生き方として、こうありたいと、強く思うものです。
ここで、先生のご指導を学んで参りたいと思います。
「御書と師弟2」
第14回「女人成仏の宝冠ー命がけで師を守る」より抜粋
(阿仏房、千日尼夫婦は、)『流人であり、念仏をはじめ諸宗を鋭く破折される大聖人に近づけば、自分たちの身も危うくなる。事実、夫妻は住んでいた所を追われるなどの迫害も受けます。しかし、正義の大師匠をお慕いし、夫婦して外護の赤誠を貫き通したのです。
大難の渦中にある師匠を、断じてお護りするのだ。たとえ我が身を危険に晒そうとも。この勇敢な夫婦の心こそ、弟子の魂の真髄であります。なかんずく、恐れなき女性の勇気に勝るものはありません。』
ー中略ー
仏法は、「最も苦しんだ人が最も幸福になる」「最も虐げられた人が最も強く立上がり、晴れ晴れと人生を勝ち誇る」ための教えです。この痛快なる大逆転の潮流が、我らの広宣流布であります。
ー中略ー
「百獣に恐るる事なし」です。断じて断じて、耐えて勝つのです。わが生命の凱歌
を、高らかに奏でゆけ。これが大聖人の大慈悲の御心であります。
先生のご指導も明確です。
最後に、本抄を学び私たち自活の同志は「師子王」であり「百獣の王」あることを確信します。今の原田学会は、雉であり、また兎のごとくであります。
先日、青年部時代の友人ご夫妻と対話する機会があり、原田学会が「三宝」を捻じ曲げ「人法一箇」を消し去り、大聖人の仏法の根幹を破壊しつくしていること。
三代会長の、なかんずく池田先生の作り上げた創価学会を邪教としてしまったことなど師敵対の言動を丁寧に話をしていきました。初めは、驚きを隠せないようでありましたが最後には、「もう一度、先生のご指導を学んでみます。」と言われ、また近々の再会を約束していただきました。
今、こちらが一歩勇気を出して踏み出し、一人一人が池田先生の「百獣に恐るる事なし」とのご指導通りの実践があれば、原田学会の粉砕も可能であり、粉砕しなければならないものと確信します。月々日々に、自活の勢いが増していることを実感していますし、その分、障魔も競い起こることも必然です。
祈り抜け
勝利と栄光燦燦と
わが人生の
歴史と飾らむ
このお歌は、先生のお誕生日に本部を家族で訪問、お祝いと自身の戦いをお手紙でご報告した折、後に「先生からの御礼です。」と頂戴したものです。令和8年熊本地震、立て続く台風に依る千葉水害など被害に遭われた皆さんに、心よりお見舞い申し上げます。と共に一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。
日本でも世界でも、日々、戦争と災害が続く乱世の時代。皆さんの中にも、大変な思いをされている方も、不安を抱えていらっしゃるかたもいるものと思います。私自身も苦境の中にあります。がしかし、ならばこそ1ミリでも2ミリでも、まず自身が成長しすべてを祈りで開くと腹を決め先生のお歌のごとく「祈り抜く」戦いを起こし「百獣に恐るる事なし」とのご指導通りの実践を貫いていく覚悟です。必ず勝って先生にご報告申し上げます。
ご入信の意義深き8月の御書を担当させて頂きましたことに、深く感謝申し上げ、発表を終わらせていただきます。
大変ありがとうございました。
以上です。
御書講義
8月度座談会御書履歴
座談会御書 「減劫御書」2000年(平成12年)
座談会御書 「阿仏房御書(宝塔御書)」2001年(平成13年)
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座談会御書 「高橋殿御返事(米穀御書)」2003年(平成15年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2004年(平成16年)
座談会御書 「一生成仏抄」2005年(平成17年)
座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2006年(平成18年)
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座談会御書 「減劫御書」2008年(平成20年)
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座談会御書 「四条金吾殿御返事(源遠流長御書) 」2010年(平成22年)
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座談会御書 「聖人御難事」2012年(平成24年)
座談会御書 「千日尼御前御返事」2013年(平成25年)
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8月の広布史 ★8月24日★
――「池田先生 入信記念日」――
昭和22年8月24日
■小説「人間革命」2巻 第5章「地涌」
■今日より明日へ №17
「8・24」記念大田・世田谷・杉並区合同支部長会(東京)
〝本物の一人〟よ出でよ
■今日より明日へ №38
「8・24」記念―第1回東京総会
――「聖教新聞創刊原点の日」――
昭和25年8月24日
■小説「人間革命」4巻「怒清」
1950年(同25年)、戸田第2代会長(当時・理事長)の事業が苦境に陥る中、聖教新聞発刊の構想を、戸田会長と若きSGI会長が語り合った日が淵源。
――「壮年部の日」――
昭和51年8月24日
■黄金柱の誉(創価学会壮年部指導集)
1976年(昭和51年)6月、副会長室会議で定められた。
