座談会御書「四条金吾殿御返事(八風抄)」2024年(令和6年)8月度
〈御 書〉
御書新版1565㌻3行目~6行目
御書全集1151㌻5行目~6行目
〈本 文〉
賢人は八風と申して八の風にをかされぬを賢人とは申すなり。利い(うるおい)・衰え(おとろえ)・毀れ(やぶれ)・誉れ(ほまれ)・称え(たたえ)・譏り(そしり)・苦しみ(くるしみ)・楽しみ(たのしみ)・なり。をを心(むね)は利あるに・よろこばず・衰うるになげかず等の事なり、この八風におかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり、しかるを非理に主をうらみなんどし候えば・いかに申せども天まほり給う事なし
〈講 義〉
今月度の座談会御書講義は四条金吾殿御返事です。
この御書は別名を「八風抄」と呼ばれております。
それではまず背景と大意から進めて参ります。
四条金吾は日蓮大聖人様が佐渡への流罪からご帰還された文永11年に、金吾の親の代から仕えて来た主君の江間氏を折伏します。
当時の世は乱れ、内乱もあり自然災害も多く、伝染病もはびこり蒙古の襲来などもあり、騒然としておりました。金吾にしてみれば「殿、極楽寺良観を信奉している場合ではないですぞ!」との思いがあった事でしょう!!
極楽寺良観の熱心な信奉者であった江間氏を折伏した事で金吾は江間氏から疎んじられる様になります。側近や同僚達からの讒言(嘘の告げ口)もあり、不当に所領の配置替えを命じられた金吾は、身の潔白を明かすために訴え出ようとしますが、金吾の性格や立場を誰よりも熟知していた日蓮大聖人は状況に感情的になりがちな金吾に対し、道理を通して懇切丁寧なご指導をされています。
大聖人が佐渡へ流罪とされた時も他の弟子達が所領の没収や勘当されるなどの処分にあっていた中、四条家では誰一人処分されず平穏であったのは、主君のおかげであり、大恩ある主君であるとし、その主君に対し訴訟を起こすのは間違っていること。また、他の門下が信仰故の圧迫を受ける中、金吾とその家族、親類まで江間氏によって護られてきた現実を大局から見れば江間氏は広宣流布の一端を支えてくれた存在であることをなどをご教示され、故に金吾が主君に仕え切っていく事が、人間として正しい生き方であり、振る舞いであると説かれています。
それではいよいよ本文に入っていきたいと思います。
賢人は八風と申して八の風にをかされぬを賢人とは申すなり。利い・衰え・毀れ・誉れ・称え・譏り・苦しみ・楽しみ・なり。をを心(むね)は利あるに・よろこばず・衰うるになげかず等の事なり、この八風におかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり。しかるを非理に主をうらみなんどし候えば・いかに申せども天まほり給う事なし
今いる使命の場所でなんとしても勝ってもらいたい・・・・大聖人は金吾に対して「八風」に侵されない人こそ「賢人」であることを教えられています。
「八風」とは仏道修行を妨げる働きであり、「利、誉、称、楽」の四順と「衰、毀、譏、苦」の四違があります。
「利」は利益を得て潤う事
「誉」は世間から褒められる事
「称」は人々から称えられる事
「楽」は心身が楽しい事
「衰」様々に損をする事
「毀」は世間から軽蔑される事
「譏」は人々から悪口を言われる事
「苦」は心身が苦しむ事
などです。
一般的に人々が望み求める事が、四順であり、嫌がり避けることが四違です。
要は四順も四違も共に仏道修行の妨げになる働きがあるということで、この八風に動じない「自分自身」であらねばならないということです。そしてこの「八風」に動じない人こそ諸天は守護しますが、「八風」におかされ道理がみえなくなり、ただ一時の感情で行動する人には諸天の守りは無いとの仰せです。
この御文について池田先生は次のようにご指導されております。
「仮に四順を得たとしてもそれは一時的、相対的な幸福にすぎません。永遠に順風満帆の人生などあり得ないものです。凪のような日もあれば、怒濤の日もある。それが人生の実相です。にもかかわらず、人間は世間体や格好、形式ばかりを気にして、内実をおろそかにしたり、世間の毀誉褒貶や目先の利害損得に風向きのままに流されてしまう。それでは人生に襲いかかる苦難の烈風や時代社会の激動の嵐の前にひとたまりもなくなってしまいます。
(中略)
八風に侵されない不動の人、すなわち何ものにも揺るがぬ心で絶対的な幸福を追求する人こそが「賢人」です。真実の信仰者の究極の姿もここにあるのです。
私達は「衆生所有楽」の大仏法を持っているのです。「苦楽共に思い合わせて南妙法蓮華経とうちとなえゐ(居)させ給え」です。
すべてを見おろして一歩また一歩と信心に励んでいけばいいのです。一人一人が生まれ変わった息吹で勇敢に楽しく賢く広宣流布の大闘争を展開していこうではありませんか。
これこそが毀誉褒貶の八風にも微動だにしない「賢人」の生き方です。」
とご指導してくださっております。
私がはじめてこの御金言、ご指導に出会ったのは高校生の頃と記憶してます。高等部員会に出席した時の事だったでしょうか。私が高校2年生の時に母親が亡くなり、信心や生活の中心だった母がいなくなった事で、どうしたらいいのか途方に暮れていた頃です。
見事に4歳ずつ年の離れた男4人兄弟です。弟達はまだ幼く、女手が無くなった事で生活も荒れ、それぞれ身勝手な言動や行動が目立ってきた頃の事でした。何とかしなくてはと焦り、父や兄弟を恨み、目先の感情で苦しんでいた時、この御金言に出会いました。
当時は御書の意味はよく分かりませんでしたが、先生のご指導がまるで自分のことを言っているように思え、強く心に突き刺さって離れなかったのを覚えてます。
今回御書講義のお話をいただいた時に、既に大白蓮華を購読しなくなっていたので、今月度の御書がどの御書か確認するために創価ネットで確認したのですが、私が見た時、池田先生の四国での「八風抄」の講義が出ていました。目を通すと紅の歌を徹夜で作って先生の元へと届けた青年部のその真剣さに池田先生が手を加え紅の歌を完成させた様子が出ていて、それをきっかけに青年部の代表を集めての御書講義でありご指導でした。
私は「あの御書のご指導だ。この講義録があれば大丈夫だ」と思いました。何度か読んだあとの翌日、原稿を書こうと再び創価ネットを開いてみるとその先生の四国での講義録が一晩で消されてました。
「あの素晴らしい講義、ご指導を消しやがった」と怒りが込み上げて参りました。
今まで出ていたということは上から圧力をかけて消させたんだと思いました。
皆様、思い出してください。
日顕が大客殿や正本堂を破壊した事を大石寺の池田山の見事な桜を残酷に切り倒した事を、今の学会執行部の輩はあの頃の日顕と一緒です。
池田先生の功績を一つ一つ消して行こうとしているのです。
この事一つとってみても現在の執行部達は会員さんのみならず、日本の国民を不幸に陥れる獄卒眷属で有り、地球規模で何かがおかしくなって来ている根本原因であり、私たちが絶対に負けられない仏敵であると断言し、私の8月度の御書講義を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
御書講義
8月度座談会御書履歴
座談会御書 「減劫御書」2000年(平成12年)
座談会御書 「阿仏房御書(宝塔御書)」2001年(平成13年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」2002年(平成14年)
座談会御書 「高橋殿御返事(米穀御書)」2003年(平成15年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2004年(平成16年)
座談会御書 「一生成仏抄」2005年(平成17年)
座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2006年(平成18年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」2007年(平成19年)
座談会御書 「減劫御書」2008年(平成20年)
座談会御書 「窪尼御前御返事」2009年(平成21年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(源遠流長御書) 」2010年(平成22年)
座談会御書 「持妙法華問答抄」2011年(平成23年)
座談会御書 「聖人御難事」2012年(平成24年)
座談会御書 「千日尼御前御返事」2013年(平成25年)
座談会御書 「曾谷殿御返事」2014年(平成26年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(八風抄)」2015年(平成27年)
座談会御書 「千日尼御前御返事(雷門鼓御書)」2016年(平成28年)
座談会御書 「阿仏房御書(宝塔御書)」2017年(平成29年)
座談会御書 「松野殿御家尼御返事」2018年(平成30年)
座談会御書 「崇峻天皇御書(三種財宝御書)」2019年(平成31年)
座談会御書 「転重軽受法門」2020年(令和02年)
座談会御書 「減劫御書」2021年(令和03年)
座談会御書 「妙密上人御消息」2022年(令和04年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」2023年(令和05年)
8月の広布史 ★8月24日★
――「池田先生 入信記念日」――
昭和22年8月24日
■小説「人間革命」2巻 第5章「地涌」
■今日より明日へ №17
「8・24」記念大田・世田谷・杉並区合同支部長会(東京)
〝本物の一人〟よ出でよ
■今日より明日へ №38
「8・24」記念―第1回東京総会
――「聖教新聞創刊原点の日」――
昭和25年8月24日
■小説「人間革命」4巻「怒清」
1950年(同25年)、戸田第2代会長(当時・理事長)の事業が苦境に陥る中、聖教新聞発刊の構想を、戸田会長と若きSGI会長が語り合った日が淵源。
――「壮年部の日」――
昭和51年8月24日
■黄金柱の誉(創価学会壮年部指導集)
1976年(昭和51年)6月、副会長室会議で定められた。