座談会御書 曾谷殿御返事(成仏用心抄)2024年(令和6年)6月度

〈御 書〉

御書新版 1435㌻12行目~13行目
御書全集 1056㌻13行目~15行目

〈本 文〉

この法門(ほうもん)を日蓮申(もう)す故(ゆえ)に、忠言(ちゅうげん)耳(みみ)に逆(さか)らう道理(どうり)なるが故(ゆえ)に、流罪(るざい)せられ、命(いのち)にも及(およ)びしなり。しかれども、いまだこりず候(そうろう)。 法華経(ほけきょう)は種(たね)のごとく、仏(ほとけ)はうえて(植手)のごとく、衆生(しゅじょう)は田(た)のごとくなり。

〈通 解〉

この法門を日蓮が説くので、「忠言は耳に逆らう」というのが道理であるから、流罪に処され、命の危険にも及んだのである。しかしながら、いまだ懲りてはいません。法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。

〈講 義〉

本抄は建治2年(1276年)8月3日、日蓮大聖人が55歳の時、身延で著され、下総国(現在の千葉県北部)の中心的門下であった曽谷教信に与えられたとされるお手紙です。
その内容から別名を「成仏用心抄」ともいいます。
真蹟は現存していません。

曽谷教信とはいかなる人だったのでしょうか

◆入信時期◆ (1260年頃)
立正安国論提出後、念仏者たちの襲撃を受け(松葉ケ谷の法難)、危うく難を逃れた大聖人は鎌倉を離れ、富木常忍のもとへ身を寄せられました。(千葉県市川市)
富木邸滞在中、百日間の説法をなされるなど、この地方の弘教に力をそそがれ、それによって多くの人が入信しました。
曽谷教信も、この頃、それまでの真言宗を捨てて、大聖人に帰依したと考えられています。
教信は大聖人より2歳年下という説がありますので、この通りであれば37歳頃に入信したことになります。
教信は、富木常忍を中心に、大田乗明ら下総の門下と共に、信心に励んでいきました。

◆最初に頂いたお手紙◆
文永8年(1271年)の竜の口の法難の直後、相模国の依智(神奈川県厚木市)にとどめ置かれた大聖人のもとに、下総の門下の代表が馳せ参じました。
その真心の行動に応えて認められたお手紙が「転重軽受法門」です。
あて名は、大田乗明、曽谷教信、金原法橋の連名になっています。
預かりの身であられた大聖人にお会いするのは簡単ではなかったからでしょう。
御手紙の内容から一人が代表して大聖人のもとへ伺ったようですが、竜の口の法難という師匠にとって、また日蓮一門にとって最大の難にも動じなかったことが分かります。

◆教学力・経済力◆
大聖人は、文永10年(1273年)4月、流罪地の佐渡で「観心本尊抄」を著され、富木常忍のもとにこれを送られました。その「送状」に「観心の法門を少々注釈して、大田乗明・曽谷教信御房らに差し上げる」と仰せになっていることからも、教信が真剣に仏法を求めている様子がうかがえます。
大聖人が身延に入山された翌年の文永12年(1275年)3月、大田乗明と連名で長文のお手紙(曽谷入道殿許御書)を頂いています。
その中で大聖人は、ご自身が所持されていた経釈などの書籍の多くが、たびたびの大難によって失われてしまったので、収集してほしいと依頼されています。
膨大な費用が嵩む書籍の収集です。日蓮教団を経済的にも支えていたことが分かります。また、この「曽谷入道殿許御書」は漢文体で認められており、相当な学識と教学力をもつ人であったと推測されます。

◆最後のお手紙◆
弘安4年(1281年)7月、蒙古襲来に備え、戦地に赴くことになるかもしれない教信に対して、大聖人は、病身の身でありながらも、すぐさま筆を執られ 「貴辺と日蓮とは師檀の一分なり」と教信の不安に寄り添うように、しかし力強く励まされています。(曽谷二郎入道殿御返事)
師匠がいる安心感、師匠と生きる喜びを、教信も噛み締めたでしょうか。

大聖人から「法蓮上人」とも呼ばれ、お手紙は法門に関する内容が多いことも、教信が後世に残すことを期待されていた証ではないでしょうか。
特に真蹟が完存している「曽谷入道殿許御書」では、大聖人はわざわざ草稿を作り、推敲を重ねて著されており、上下2巻45紙にもわたっています。
お手紙の最後では、「日蓮の願いに力を添えて仏の金言を試しなさい」と呼びかけられています。
師弟の打ち合いが胸に迫ってきます。
「生涯の師をもつからこそ、自分は永遠に成長していける」教信もきっとそれを肌で感じたのではないでしょうか。

では、どうしたら、一生涯 この師弟不二の道を歩み通すことができるのでしょうか?

■師弟不二の御書■
今回学ぶのは、池田先生が「いわば全編にわたって師弟不二を論じられているお手紙であると拝することができます」と仰った御書です。

では、曽谷殿御返事(成仏用心抄)の内容をみていきましょう。

■本抄では、まず「境智の二法」が成仏の道であることが示されます。
「此の境智の二法は何物ぞ但南無妙法蓮華経の五字なり」と仰せです。

戸田先生は、「宇宙の変化を起こさせる根本の生命が、御本尊である。境智冥合して、生命が変化して、功徳が出るのである」と述べられました。

■そして、その境智の二法を正しく弘める振る舞いの面から、誰が正しい師匠であるかを論じられます。末法は誤った師、悪僧・悪知識が充満している時代です。
その正体は見破り難い。だからこそ大聖人は本抄で、正邪を見極めるために、その基準となるべき指標を明示されています。

本抄で 「師なりとも、誤りある者をば捨つべし」とまで明確に示された捨てるべき存在とはどんな人物なのか。
「仏法の道理を知らず、慢心にとらわれ、師匠を卑しみ、檀那にこびへつらう者」 と仰せです。
現代風に拝すれば、「仏法の道理を知らず、慢心にとらわれ、師匠を卑しみ、自民党や大企業にこびへつらう者を捨てよ」となるでしょうか。
反対に、正しき師匠の条件とは、「正直」であり、「少欲知足」であると仰せです。
仏法における「正直」とは、「真っ直ぐに正義・正道を歩む」という意味です。
私たちの立場で言えば、御本尊を根幹に据え 「大聖人直結」「御書根本」「池田先生のご指導通りに進む」 ということになると思います。

■更に、たとえ、正しい師に付いたとしても「法華経の敵を見ながら、放置して責めなければ、師も弟子もともに無間地獄は疑いない」とまで仰せです。
「悪と戦う」ことが重要な理由は、戦わなければ、その人自身が悪にまみれてしまうからです。
そんなつもりはなくとも、責めないことは容認と同じです。
自身の三毒の生命を助長させてしまいます。
「善いことをしないのは悪いことをするのと同じ」 とは牧口先生の永遠のご指導です。

■そして、過去世に結縁した宿縁深き 「本従の師」 によってのみ、衆生の成仏があることを示されます。
今回学ぶのはここに続く本抄の最後の部分です。
では、本文を学んでいきたいと思います。

〈御 文〉
この法門(ほうもん)を日蓮申(もう)す故(ゆえ)に、忠言(ちゅうげん)耳(みみ)に逆(さか)らう道理(どうり)なるが故(ゆえ)に、流罪(るざい)せられ、命(いのち)にも及(およ)びしなり。しかれども、いまだこりず候(そうろう)。法華経(ほけきょう)は種(たね)のごとく、仏(ほとけ)はうえて(植手)のごとく、衆生(しゅじょう)は田(た)のごとくなり。

〈通 解〉
この法門を日蓮が説くので、「忠言は耳に逆らう」というのが道理であるから、流罪に処され、命の危険にも及んだのである。しかしながら、いまだ懲りてはいません。法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。

「この法門を日蓮申す故に」
この法門とは「根本とすべき師匠を誤っては成仏できない」ということです。
当時は、釈尊を忘れ、法華経を忘れ、仏教の根本精神を忘れて、阿弥陀仏や大日如来などが広く信仰されていました。
大聖人は、敢然とその謗法を責め、人々を正法に目覚めさせ、真の幸福の大道を歩ませる大闘争を開始されたのです。
大難が競い起こることは必然でした。

「忠言耳に逆らう道理なるが故に、流罪せられ、命にも及びしなり。しかれども、いまだこりず候。」
「忠言は耳に逆らう」の道理のままに、大聖人は、流罪に遭い、命の危険に及ぶような迫害を何度も受けられたのです。
しかし、大聖人は「いまだ懲りてはいない」と、敢然と仰せです。
大聖人があきらめてしまえば、末法の衆生を救う法が絶たれてしまうからです。
短い言葉に大聖人の大情熱と慈愛があふれています。

‶いまだこりず候”
昭和54年 池田先生が会長を辞任させられた年の1月の本部幹部会。
この出発の会合で池田先生は、この先起こるであろう大難を予感されていたと思われます。
こうご指導されました。
「私は、日々、戸田先生の指導を思い起こし、心で先生と対話しながら、広宣流布の指揮を執ってまいりました。
戸田先生が、豊島公会堂で一般講義をされたことは、あまりにも有名であり、皆さんもよくご存じであると思います。
ある時、「曽谷殿御返事」の講義をしてくださった。
先生は『これだよ。〝いまだこりず候”だよ』と強調され、こう語られたことがあります。
『私どもは、もったいなくも日蓮大聖人の仏子である。地湧の菩薩である。なれば、わが創価学会の精神もここにある。不肖私も広宣流布のためには、〝いまだこりず候”である。大聖人の御遺命を果たしゆくのだから、大難の連続であることは、当然、覚悟しなければならない!勇気と忍耐をもつのだ』
その言葉は、今でも私の胸に、鮮烈に残っております。
人生は、大なり小なり、苦難はつきものです。ましてや広宣流布の大願に生きるならば、どんな大難が待ち受けているかわかりません。
予想だにしない、過酷な試練があって当然です。しかし、私どもは、〝いまだこりず候”の精神で、自らが決めた使命の道を勇敢に邁進してまいりたい。もとより私も、その決心でおります。親愛なる同志の皆様方も、どうか、この御金言を生涯の指針として健闘し抜いてください」(新人間革命29巻)

そして、今回学ぶ最後の部分です。

「法華経は種のごとく、仏はうえてのごとく、衆生は田のごとくなり。」

前段で法華経化城喩品第7をはじめ四つの経・釈を引かれ、過去世に結縁した宿縁深き師の教化によってのみ、衆生の成仏があることを示されています。
この原理について、大聖人はわかりやすく、
――法華経は成仏の種のようであり、仏は種の植え手のようであり、衆生は田のようである―と教えてくださっています。
衆生の生命という田に、法華経という種を植えるとは、衆生の仏性を触発することです。過去世からの宿縁深き「本従の師」であるがゆえに、それが可能なのです。
秋元御書には「師檀となることは三世の契り」と仰せです。
「絶対に見捨てない」「絶対にあきらめない」その大聖人の御心に勇気が湧く思いがします。
今回の御書は、一貫して「師弟の深い縁」に思いを馳せながら、学ばせて頂きました。

池田先生逝いて7ケ月。
皆さんもそうであると思いますが、池田先生の事を思い出さない日は、一日もありません。
あの昭和54年4月24日以来、先生のお姿は、聖教新聞からも、大白蓮華からも消えました。
先生がいよいよ、筆を執られたのは、1年後の昭和55年4月。
大白蓮華に寄せた「恩師と桜」と題する随想でした。
その一部をご紹介させていただき、終わります。
「思えば、四月二日、午後の六時すぎであった。日大の病院から、私に『父が、ただ今、亡くなりました』との、御連絡を御子息より、受けたのである。
私は絶句した。その時の生命の震動は、生涯にわたって、言語に表すことはできない。
恩師によって拾われ、恩師によって育てられ、恩師によって厳たる信心を知り、また、仏法を学んだ私。さらに、恩師により、人生いかに生くべきかの道を教わり、恩師によって、現実社会への開花を教わった私――。
これこそ、私にとって、この世の人生の崇高なる劇であり、現実であり、確かなる青春の調べであったといってよい。その恩は、山よりも高く、海よりも深い。
私は、この御恩を報ぜんがために、恩師の指向する壮絶なる広宣流布の戦野に続いた。
誰人の非難があろうが、いかなる怒涛の社会に立ち向かうとも恐れない。それは、大御本尊の御許に、妙法流布に殉死せる、この恩師の理念と行動と信仰をば、必ずや、世界に証明せんと、決意したからである。」

御書講義

御書研鑽しよう会

6月度座談会御書履歴

座談会御書 「辨殿尼御前御返事」2000年(平成12年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」2001年(平成13年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(梵音声御書)」2002年(平成14年)
座談会御書 「法華初心成仏抄」2003年(平成15年)
座談会御書 「呵責謗法滅罪抄」2004年(平成16年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」2005年(平成17年)
座談会御書 「富木尼御前御返事(弓箭御書)」2006年(平成18年)
座談会御書 「辨殿尼御前御書」2007年(平成19年)
座談会御書 「立正安国論」2008年(平成20年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」2009年(平成21年)
座談会御書 「上野殿御返事(竜門御書)」2010年(平成22年)
座談会御書 「法華経題目抄」2011年(平成23年)
座談会御書 「祈祷抄」2012年(平成24年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」2013年(平成25年)
座談会御書 「妙心尼御前御返事」2014年(平成26年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(不可惜所領事)」2015年(平成27年)
座談会御書 「祈祷抄」2016年(平成28年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」2017年(平成29年)
座談会御書 「単衣抄」2018年(平成30年)
座談会御書 「呵責謗法滅罪抄」2019年(平成31年)
座談会御書 「曾谷殿御返事」2020年(令和02年)
座談会御書 「祈祷抄」2021年(令和03年)
座談会御書「四条金吾殿御返事」2022年(令和04年)
座談会御書 「上野殿御返事(水火二信抄)」2023年(令和05年)

6月の広布史
――初代会長牧口先生 誕生日――
6月6日

■小説・人間革命
第1巻 黎明

■小説 新人間革命
第18巻 師子吼・師恩

■小説 新人間革命
第25巻

■池田大作全集
牧口先生生誕記念協議会2005年6月6日

■広布と人生を語る
初代会長牧口常三郎先生誕生日」記念勤行会1986年6月6日

――学生部結成記念日――
6月30日

■小説・人間革命
第11巻 波瀾・夕張

■小説 新人間革命
第28巻 広宣譜