座談会御書「辧殿尼御前御書 別名「大兵興起御書」2025年(令和7年)

「大兵を・をこして二十余年」とあり、大聖人が立宗宣言より大兵(戦い)を起こされたと記されている事から、別名を「大兵興起御書(たいへいこうき御書)」といいます。

〈御 書〉

新版御書1635ページ1行目~3行目
御書全集1224ページ3行目~5行目

〈全 文〉

辧殿尼御前御書 文永十年九月 五十二歳御作 与日昭母妙一
しげければとどむ、辧殿に申す大師講ををこなうべし大師とてまいらせて候、三郎左衛門尉殿に候、御文のなかに涅槃経の後分二巻文句五の本末授決集の抄の上巻等御随身あるべし。貞当は十二年にやぶれぬ将門は八年にかたふきぬ、第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし、しかりといえども弟子等檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり、尼ごぜんの一文不通の小心にいままでしりぞかせ給わぬ事申すばかりなし、其の上自身のつかうべきところに下人を一人つけられて候事定めて釈迦多宝十方分身の諸仏も御知見あるか、恐恐謹言。
九月十九日 日蓮花押
辧殿尼御前に申させ給へ

〈背景と大意〉

「弁殿」と「尼御前」について
弁殿(成弁)とは、大聖人・六老僧の一人・弁阿闍梨日昭の事です。
天台宗を学んだ僧侶で、大聖人が立宗宣言したのちに帰依して弟子になり、主に鎌倉の弘教に励んだとされます。年齢は明らかではありませんが、大聖人より一つ年上という説もあり、六老僧の中では最年長とされます。
この弁殿は、のちに日興上人から破折された五老僧の一人ですが、他を含めた五老僧も大聖人ご在世当時は、正義をたもつ弟子として仕えており、五人所破抄などで指摘されている行為は大聖人滅後に行われました。
この歴史は現代にも重なり、先生がお元気な時は弟子として振る舞っていた現執行部ですが、仏法の本質や先生の指導性が理解できなかったことの証明は、今の原田学会の蛮行に現れています。

「尼御前」について。
この御書は弁殿のもとに送られ「与日昭母妙一」と書かれている様に、日昭の母に向けたお手紙とされてきましたが、現在は「日昭ならびに妙一尼」とされます。
対告者が妙一尼であることは確かな様ですが、日昭の母とするには年齢が合わず妹とされる説もあるため、日昭有縁の女性としておきます。
また、この御書の中に「自身の使うべきところに下人を一人つけられて候」とあり、本来、自分の元に置く予定であった下人(召使い)を佐渡にいる大聖人の元に送ったと述べられている事から、それなりの地位にある婦人である事がうかがわれます。

この御書は大聖人が52歳の時、佐渡流罪中の一谷で認められました。
大聖人が首の座に立たれ、流罪された当時の門下に対する迫害は激しく、放火や殺人の冤罪を着せられるなど様々な画策がありました。
本文に「弟子等檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり」とあり、その弾圧は追放や所領の没収、土牢への幽閉など迫害は激しく、その姿を見た他の信徒も驚き恐れをなして、保身から退転していく者が続出しました。
この事は、新尼御前御返事に「かまくらにも御勘気の時・千が九百九十九人は堕ちて候」とあり、1,000人の内 999人が退転したと言われるほど多くの門下が大聖人の元を離れていきました。
この事も現代に重なり、仏法の本義、先生の指導性を理解している様でいながら、本部の圧力に屈した人が多い現状を見ると、歴史が繰り返されている事を実感します。
今回の御書は そんな弾圧の嵐が続く中、不退転の強い信心を貫く尼御前に宛てられたお手紙となります。
御書の前半では、弁殿に対して法要の執り行いを指示されたり、四条金吾の家にある本を届けるようにと記されたあと、続けて尼御前への励ましが認められています。
文中に、尼御前は「一文不通」とあり、字の読み書きができない事や、教義上の理解に至らない婦人であるため「弁殿が読み聞かせてあげなさい」という内容となっております。

〈語句の解説〉

第六天は仏道修行を妨げる存在ですが、御本尊にも記されている様に私達一人一人の生命に存在する働きをいいます。仏道を実践し、慈悲の心で進もうとする時、その心を挫こうと欲を掻き立てて現れるのが第六天です。その意味で第六天との戦いは「欲」と「献身」の戦いと言えるのだと思います。

※三界
〈無色界〉物質的なことへの執着から離れながらも、まだ迷いのある世界
〈色 界〉欲望からは抜け出しながらも、美しいなど形などに囚われている世界
〈欲 界〉欲への執着から生まれる 苦しみや悩みの中にいる衆生の世界

第六天は、この三界にいるとされます。
教相の順位は下からとなります。

この三界はそれぞれ各層に別れますが、その最上階にいるのが第六天です。
「魔は天界に住む」と言われるように、第六天は十界論の天界と深く結びついていますが、三界は十界の天界の中に分類されるものではなく、別の角度から見た心の働き、欲に対する執着心を表します。

※欲界
6.他化自在天 欲界の最上位に位置し、他の天の楽しみを奪って楽しむ
5.楽変化天  欲界の天の中で、自分の力で楽しみを作り出す
4.兜率天   弥勒菩薩が住むとされる
3.夜摩天   空中に浮遊し、昼夜を問わず喜びを楽しむ
2.三十三天  須弥山の頂上に位置し、帝釈天が住む
1.四大王衆天 須弥山の四方に位置し、四天王が守護する

欲界には6層あり、人々が喜びの中にいる時、その隙をついて現れる6番目・他化自在天の働きをする事から第六天と言われます。
例えば、人が成功を収めた時、誰もが勝利の喜びを味わいますが、そのあとに慢心を起こし、自身の成果をかざして人を蔑むような心が生まれたら、それが第六天の働きと言えるのだと思います。
よく、「勝って兜の緒をしめろ」と言われるように、喜びで油断した隙をついて現れるのが第六天です。
世間でも、「有頂天になるな!」などと言われますが、第六天は三界の最上階にいる事から有頂天とも言われます。

この「自身の心との戦い」という観点から、御書に「麻畝の性」や「蘭室の友」とあるように正しい場所に身を置くことは非常に大切ですが、単に安心できる場所を求めて終わるのではなく、自らの決意で行動する強き意思を持って進むことが仏道修行であり、その強い意思が心の安穏や功徳を生むのだと思います。
自活は、どんな環境にあろうと一人一人が自らの決意で行動する「自立した信仰」を目指しますが、六道は環境に依存して、その影響で心が右往左往してしまう人がいる世界です。
この執着や、迷いにとらわれ続ける生き方を「六道輪廻」と言います。
私達が住んでいるこの世界は第六天の魔王が支配しており、社会の中では自分の欲を求め続ける人や、そのために人を貶めたり、身勝手な心が蔓延する「穢土」という場所です。そのため、地涌の使命を携えて「穢土」を「浄土」に変えていく行ないをすれば、それを妨げようと現れるのが第六天の働きです。

※第六天について具体的に述べられた、三沢抄の一文を紹介します。

〈本文〉
「摩訶止観と申す大事の御文の心を心えて仏になるべきになり候いぬれば・第六天の魔王・此の事を見て驚きて云く、あらあさましや此の者此の国に跡を止ならばかれが我が身の生死をいづるかはさてをきぬ又人を導くべし、又此の国土ををさへとりて我が土を浄土となす、いかんがせんとて欲色無色の三界の一切の眷属をもよをし仰せ下して云く、各各ののうのうに随つてかの行者をなやましてみよ、それにかなわずばかれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりてあるひはいさめ或はをどしてみよそれに叶はずば我みづからうちくだりて国主の身心に入りかわりてをどして見むにいかでかとどめざるべきとせんぎし候なり」P1487

〈通解〉
『仏法者が天台の摩訶止観に説かれる大事を心得て、成仏するであろう状態になった時。第六天の魔王はこれを見て驚き「とんでもない事だ。この者が国に残って成仏してしまうのは仕方ないとしても、これから人を導いていしまうだろう。更に、これを国に広め、我が第六天の領土を浄土にしてしまう。何とかしなければ」と、欲界・色界・無色界、三界の眷属を集めてこのように言う 「各々、それぞれの弱い所、苦手な所を突いて行者を悩ませていけ。それで敵わなかったら、同志や周辺の人の心の中に入って諫めたり、脅していけ。それでも敵わない時は、第六天の私が、権力を持つ人の身に入って脅すことにしよう」と何としても止めさせようと会議をする』

※伝わりやすい様、私なりの通解となります。正しくは本やネットでご確認ください

自立した志を持ち広宣流布に邁進しようとした時、その人にとって一番弱い部分、もっとも苦手なところを突いて阻止しようとするのが第六天の働きです。
現実の形としては、原田であったり、身近な幹部や知人、家族、もっと言えば趣味や遊びなど精進を妨げる働きは様々ですが、それに屈するか否かは自身の内にある仏界と第六天との戦いです。

※十軍のいくさ 十軍(大智度論巻十五)
①欲[よく]欲望
②憂愁[うしゅう]憂い悲しみ。気分が沈む
③飢渇[けかち]飢えと渇き
④渇愛[かつあい]のどの渇きの様な衝動的な欲望
⑤睡眠[すいみん]睡眠
⑥怖畏[ふい]怖れ
⑦疑悔[ぎけ]疑いや後悔
⑧瞋恚[しんに]怒り
⑨利養虚称[りようこしょう]利を貪り、虚妄の名聞に執着
⑩自高蔑人[じこうべつにん]自らおごり高ぶり、人を卑しむ

第六天が起こす十軍のいくさとは、仏道修行を妨げるために煩悩を引き出す働きで、それを10種に分けたものです。
その中には、③の「飢えと渇き」、⑤の「睡眠」などもあります。
私も、この十軍は強いなと感じる時があります。
今回の講義に向けて研鑽をしてきましたが、仕事では暑い1日を屋根の上で過ごし腹ペコで帰ってきて、食事の時に手を伸ばしてしまうのがビールです。
この労働の後に飲むビールが最高にウマいんです。
この「ビール魔」に負けず、次の行動に移せればいいんですが、疲れが溜まっているとついつい うたた寝をしてしまいます。
翌日から反省して数日もちこたえますが、過酷な作業が1日あったりすると頭をよぎるのが「自分へのご褒美」という優しい言葉。
私の精進を妨げるには第六天にとって、これが鉄板ネタなのかも知れません。でも、この繰り返し中で一歩でも前へ進もうとする意志が、自身を改善していくのだと思います。
例え一時の負けがあっても、本質的な決意を絶やさず、進み続けることが大切!
また、十軍の中にある、⑨「利を貪り、虚妄の名聞に執着」、⑩「おごり高ぶり、人をいやしむ」などを見ると、信濃町にはこの戦いに完敗した人がゴロゴロいるので「創価三代の血脈は、この自活にあり!」との確信を強くもって、これからも邁進していきたいと思います。

※生死海
生死とは涅槃(悟り)に対する語で、「三界・六道を輪廻する苦しみは、海のように深く果てしない」ことを例えて生死海と言います。
また、この苦しみの海を乗り越えていく仏法を「生死海の船」と言います。

以上が語句の解説となります。

〈本 文〉

第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし

〈通 解〉

第六天の魔王は十軍の眷属を従えて、広宣流布に邁進する法華経の行者を阻止するため、この娑婆世界を奪われまいと戦いを起こす。日蓮がこの戦いを起こして二十数年になるが、日蓮には一度たりとも退く心はない

〈講 義〉

私達の戦いは人々の幸福を願う事ですが、ひとたび行動を起こせば、第六天はそれを阻止しようと十軍を引き連れやってきます。
大聖人のご生涯を見れば、竜の口や佐渡流罪など難の連続でした。
組織における理不尽な処分や、他者による心無い言葉、病気や経済面など、様々な問題に私たちは直面します。しかし、本当の敵は外に現れるものではなく、自分の心の内に現れます。
このお手紙では、周辺の門下が次々と退転していく過酷な環境の中、揺らぐことなく健気な信心を貫かれた一婦人の心を称え、「日蓮一度もしりぞく心なし」 とご自身の戦いを通されながら「共に戦っていこう!」との熱き励ましが込められていると拝します。
どんな事に直面しても、一歩も退かない強き一念「心こそ大切」である事を教えられています。

先生は次の様に指導されています。

「魔軍を破るとは、根本的には煩悩に打ち勝つことを意味していると思われる。しかし、煩悩に勝つことだけが悟りではない。それは悟りの一面です。衆生を救う慈悲と智慧が現れてこそ本当の悟りなのです」(池田大作全集第29巻P359)

「仏界が顕れる」事と「魔軍を降す」事とは一体なのです。魔は内にも外にもいる。しかし、それに勝つか負けるかは自分自身の一念です。大事なことは勝ち続けることです。立ち止まらないことです。決して魔に紛動されない自分自身を鍛え上げることです」
(池田大作全集第30巻P392)

魔に負けない信心。何があろうと揺るがない信心。
先生は以前「仏とは勇気の異名である」と話されました。
人は生活の中の様々な場面で、どうしても臆してしまう時があります。しかし、その場から逃げてしまったら強くなる事はできません。臆しながらも前へ進もうとするその心が強き自分を築き上げていくのだと思います。
この前進する心を「信心の血脈」というのだと思います。

以上

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7月度座談会御書履歴

座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2000年(平成12年)
座談会御書 「佐渡御書」2001年(平成13年)
座談会御書 「立正安国論」2002年(平成14年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2003年(平成15年)
座談会御書 「千日尼御前御返事」2004年(平成16年)
座談会御書 「三沢抄」2005年(平成17年)
座談会御書 「御義口伝」2006年(平成18年)
座談会御書 「祈祷抄」2007年(平成19年)
座談会御書 「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」2008年(平成20年)
座談会御書 「弥三郎殿御返事」2009年(平成21年)
座談会御書 「祈祷抄」2010年(平成22年)
座談会御書 「諸法実相抄」2011年(平成23年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2012年(平成24年)
座談会御書 「辨殿尼御前御返事」2013年(平成25年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(此経難持御事)」2014年(平成26年)
座談会御書 「上野尼御前御返事(嗚竜遺竜事)」2015年(平成27年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」2016年(平成28年)
座談会御書 「佐渡御書」2017年(平成29年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2018年(平成30年)
座談会御書 「辨殿尼御前御返事」2019年(平成31年)
座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2020年(令和02年)
座談会御書 「富木尼御前御返事(弓箭御書)」2021年(令和03年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」2022年(令和04年)
座談会御書 「檀越某御返事」2023年(令和05年)
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2024年(令和06年)

7月の広布史

――「大阪大会記念日」――

昭和31年7月17日

■小説「人間革命」11巻 第4章「大阪」

――男子部結成記念日(男子青年部部隊結成)――

昭和26年7月11日

――女子部結成記念日(女子青年部部隊結成)――

昭和26年7月19日

■小説「人間革命」第5巻「随喜」
■小説「新・人間革命」第22巻「新世紀」

7月広布史関連情報

大阪市中央公会堂