令和2年7月度 座談会御書 上野殿後家尼御返事 (地獄即寂光御書)

~あなたからはじまる「従藍而青」の物語~

今回のコロナ禍で多くの人が思ったのではないでしょうか。

自分と家族を守りたい

大切な人を守りたい

何しろ、見えない殺人者とも言われる新型ウイルスですから、それこそ祈るような思いで愛する人を守りたいと。

手を合わせる、合わせないではなく、大切な人が無事であるようにという思いから。

次にやることは、具体的な行動ですよね。

マスクに石鹸、消毒液を用意したり、「手洗い、うがいだよ」と声をかけ、情報を確認しては「こういうところに気を付けた方がいいよ」と知識の共有。

まさに、優しい思いは祈りに、行動となり、そして互いの身を守り健康・無事安穏という結果になるわけです。

そうです。

祈りは特別ではなく実は素朴なものであり、日常の生活の中にある、いのちの自然な働きだと思うのです。

そこには行動と結果というものが必ずやついてくる、ということですよね。

その思い、祈りから結果に至るプロセスを、なんといいますか、ちょっと難しく組み立てていくと本尊と教義というものが創られていくんです。宗教ことはじめですね。

ですから、宗教って元々特別なものではなく、ごく身近な生活の中にあると思うのです。

日蓮仏法はそんな素朴な思い、祈りの、信仰のかたちでもあると思います。

「私と周囲だけではなく、この世から不幸と悲惨をなくしたい。なんとしてもみんなを幸せにしたいんだ」と。

そんな大いなる願いは大いなる祈りとなり、大いなる行動へ、そこから「一閻浮提第一の御本尊」の誕生へと至るのです。

愛する人がいる

この人を守りたい

あの人も私も幸せであれ

みんなの思いは、やがて大いなるものへの祈りの物語となる。

宗教って人間らしい生き方そのものだと思います。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、今月の御書を学んでいきましょう。

上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)

法華経の法門をき(聞)くにつけて・なをなを信心をはげ(励)むを・まこと(真)の道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青(じゅうらんにしょう)」云云、此の釈の心はあい(藍)は葉のときよりも・なをそ(染)むればいよいよあを(青)し、法華経はあい(藍)のごとし・修行のふか(深)きはいよいよあを(青)きがごとし

御書P1505 8行目~10行目

意訳

法華経の法門を聞くにつけて、ますます信心に励むのをまことの道心者というのです。天台大師智顗(ちぎ)は『摩訶止観』で、「藍よりして而(しか)も青し」(青は藍より出でて、しかも藍よりも青し)といわれています。此の釈の心は、藍は葉の時よりも染めるほどにいよいよ青くなるのであり、法華経は藍のごとくで、修行が深いのは、藍で染めるにしたがってますます青くなるようなものです。

ここで、いきなりの質問です。

日蓮大聖人はどういった生き方をしたのだろう。

なぜ南無妙法蓮華経なのですか?

大聖人が言いたかったことはどのようなことなの?

どうして難を乗り越える信心なの?

功徳とか罰ってどういう意味?

これ、素朴なようでまさに道を求める心あるが故の疑問であり、求道心の発露だと思うんですね。この疑問を出されたら、「いやっ、私にはムリ」とか、避けたり、逃げてはいけないと思うんです。

すぐに言葉が出てこなかったら、「功徳と罰? その答えは私の姿をごらんなさい。功徳も罰もたっぷり味わった背中でしょう」でもいいんです(笑)。

そんな堂々とした信仰でいきたいと思うんですが、どうでしょう、胸を張って答えたいですね。

はい、そうです。

求道心、疑問、困難、祈り、努力、進む、道が拓ける、解決、歓喜、信仰が強まる、祈る、更に前へ。

このよき積み重ねが「従藍而青の生き方」だと思うんですね。

藍は青色の染料となる中国原産タデ科の植物ですが、赤色の花を咲かせます。原料となる葉は緑色です。驚きですね、青色の染料が赤い花を咲かせる藍であり緑の葉なのですから。「生き物というのは、表面的に見ただけでは、どのような可能性を秘めているか分からないのだよ」と、教えてくれているようにも思います。世に存在するいのちあるもの、そこには必ずやメッセージがあるのでしょう。

この藍の葉を発酵させて「すくも」と呼ばれる染料に仕上げ水に溶かして、そこに糸や布を浸して引き上げる。すると空気中の酸素で酸化して青く発色。これを繰り返すことにより、見事な青・ブルーになっていくわけです。

御本尊に祈る、信仰の喜びを友に語る、自他の悩みや疑問に向き合う、師の言葉を共有し共にまた祈る、それが「ああ、私にも出来るんだ、拓けるんだ」との体験になっていく。そこにこそ、胸中の仏界の輝きがあるのだと思います。

ところがですね。「いやっ、そんな綺麗ごとじゃないんだよ」という人もいらっしゃいます。

朝、御本尊に祈る「さあ、やるぞ」と。で、頑張って仕事しているのだけど、もうその時点で修羅界⇔人・天界になっていたりとか、平々凡々人界で一日終わりましたとか、家に帰ってくると一丁ならぬ一杯上がりで、すぐに成仏しちゃって気持ちいいとか。子供が何か言うと、条件反射ですぐに怒ってしまうとか。

すぐにお酒飲んでしまうのは是非、水に変えてほしいところですが(笑)、でもね、「心こそ大切なれ」ですから、忙しい中でも師を忘れない、御本尊を忘れない、心の中で題目を唱える、それもまた立派な信仰だと思うんです。かたちとして「こうやっていなければならない」ではなく、「自分の心の置き所がどうなのか」というのがまずは大事だと思うのです。

心さえ離れなければ、御本尊、師匠という縁から離れないことですから「従藍而青」、赤い花・緑の葉の藍から見事なブルーが生まれるように、「えっ、私でも変われるんだ」という可能性が必ずや開花していくことでしょう。

最後に一つ。

「従藍而青」はどこか、誰かではなく、いま、自分がということですね。

一人立つところから「従藍而青の物語」が始まるということです。

日蓮大聖人は台密・天台宗をはじめ諸宗教を学び、それらに埋没することなく一人立ち妙法を弘め、諸難を乗り越え御本尊を顕し、唱題成仏の法門を確立しました。

日興上人は大聖人滅後、五対一と多数の門下が師の教えに反する異説を唱える中で、一人、師の教えと心を守らんと立ち上がり身延を離山し、御本尊と御書の大事を門下に教示しました。

創価の原点、牧口先生は従来の法華講の枠に入ることなく創価教育学会を創立され、「謗法者の中に敵前上陸したのだ、三障四魔競い起こるは当然」(趣意)と訴え、座談会を中心とした折伏を敢行されました。

戦後の戸田先生も、周囲に人は多けれど、心は一人立つでした。

先生も、幹部や周辺に依存するのではなく、一人、戸田先生の真の弟子たらんと立ちました。

「誰かではない、師の心を思い、我れ一人立たん」

これが700年前の師弟、創価三代の原点であったと思います。

さあ、あなたの「従藍而青の物語」を始めましょう。

※文永2年3月8日、南条七郎次郎時光(南条時光)の父である南条兵衛七郎が亡くなったと伝わりますが、同年7月11日、日蓮大聖人が兵衛七郎の夫人(時光の母)に宛てたお手紙が今回拝読した「上野殿後家尼御返事」になります。

時光のお母さんは、大聖人のお手紙では上野殿母御前、上野殿母尼御前、上野尼御前等と呼ばれています。このお手紙を頂いた時、次男であった時光はまだ7歳、五男の七郎五郎はまだ母の胎内にいました。

南条時光は熱原法難の時には圧迫を受けながらも門下を匿い、身延の大聖人のもとへ数々の供養を届けて一門の生活を助け、日興上人の身延離山では一行の外護を全うしました。立派な「従藍而青の人生」であったと思います。

                                     林 信男