座談会御書「富木尼御前御返事」2021年(令和3年)7月度

御書

富木尼御前御返事
御書全集976㌻5行目~7行目

〈本 文〉

我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき、きさきになりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩詞波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれし・あらうれし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えさせ給へ

〈通 解〉

私たちは仏になることは絶対に疑いないと思えば、何の嘆きがあるでしょうか。
皇妃になっても、また天上界に生れても、何になるでしょう。竜女のあとを継ぎ摩訶波闍波提比丘尼の列に並ぶことができるのです。なんと嬉しいことでしょうか。
ただ、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。

〈講 義〉

人生の本当の「幸福」、本当の「目的」とは、「仏という大境涯を我が胸中に開くこと」

【人生の苦難を妙法の力用で乗り越えよ!】
「富木尼御前御返事」の今回の範囲の前段部分での、池田先生の御指導を引用します。
“日蓮大聖人は、病状が思わしくない富木尼御前にお手紙をしたためられ、次のように仰せになっている。

「尼ごぜん又法華経の行者なり御信心月のまさるがごとく・しをのみつがごとし、いかでか病も失せ寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし身を持し心に物をなげかざれ」
――尼御前もまた法華経の行者であり、御信心は月が満ち潮が満ちてくるように強盛である。どうして病が癒えず寿命が延びないことがあろうか(延びないはずがない)と、強く心に念じられ、御身を大切にし、心の中であれこれ嘆かないことである――と。
 病気に悩む富木尼に、「業病すら治す法華経である。あなたは、その偉大な功力を持つ法華経の行者ではないか。嘆いてはいけない」と、大聖人は力強く励ましてくださっている。
 長い長い人生である。時には、病に倒れたり、事故にあうこともあろう。まただれびとも、死は避けえない。「生老病死」は人の常であり、大なり小なり生死の苦悩があるのは、むしろ当然といってよい。
 大切なのは、それらに直面したとき、どう信心で乗り越えていくかである。信心さえしっかり貫いていくならば、妙法の絶対の力用によって、必ず自身を最もよい方向へと向けていける。”(第13回本部幹部会)

日蓮大聖人が
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」
と言われ、先月の座談会御書『祈祷抄』で
「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」と学んだ通りですね。

【絶対幸福をつかむ列に連なれ!】
そして今回の範囲について次の様に御指導されています。(以下引用)

“「我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき、きさきになりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれし・あらうれし」
 ──我らは間違いなく仏になると思えば、なんの嘆きがあるでしょう。たとえ妃になっても何になるでしょう。また天上界に生まれてもしかたがありません。我らは竜女(初めて女人成仏の姿を示した)のあとを継ぎ、摩訶波舎波提比丘尼(釈尊の育ての母であり、釈尊の教団での最初の尼)の列に並ぶのです。なんと、うれしいことでしょう。なんと、うれしいことでしょう──。
 列に並ぶといってもバーゲンの列に並ぶのではない。絶対的幸福をつかむ列に並ぶのである。必ず、だれよりも幸福になれる皆さまなのである。 当時、蒙古の襲来などで世情は騒然としていた。
 そのなかにあって、彼女は姑(富木常忍の母)の看病、また自分自身の闘病と、相次ぐ試練に負けず、懸命に生きていた。大聖人は、こうした婦人門下の苦闘を「我が身一身のこと」と受けとめてくださり、祈りに祈っておられた。「我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり」との御文のとおりである。
 そして繰り返し、繰り返し励ましておられる。
 大聖人は、人生の本当の「幸福」、本当の「目的」を教えてくださっている。華やかな虚栄や名声など、皆、幻である。
 「仏」という大境涯を胸中に開くことこそが、本当の「幸福」であり、人生の「目的」である。
 そして題目を唱える人は、すべての悩みを、仏の大境涯を開くための材料に変えられるのである。”(第4回千葉県総会)

池田先生は、私たちがこの世に生まれた「仏の大境涯を開く」という目的の為に、お題目を唱えることの大切さ、信心の厚薄を「日女御前御返事」を通して次の様に教えてくださっています。
“「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす」
 ──南無妙法蓮華経とだけ唱えて、仏になることが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は信を源とするのである──と。
 成仏は、信心の厚薄によるのであり、あくまでも強き信が根本である。他の特別な権威等によるのではない。”(創価ルネサンス大勝利記念大会)

【魔を見破り完璧に打ち破れ!】
また、「仏という大境涯を胸中に開く」、いわゆる「一生成仏ため」に重要なことを、次の様に教えて下さいました。

“一生成仏のために、大聖人が繰り返し、厳しく仰せになったことがある。それは、広布の敵を責めぬく重要性である。
 「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし」
 「謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし」
 こうした御聖訓は、枚挙にいとまがない。
 仏法は、永遠に勝負である。ひとたび広宣流布の大闘争を開始した以上、断じて負けるわけにはいかない。すべては変化、変化の連続である。魔を見破り、完壁に打ち破っていかなければ、その毒が回ってしまう。
 大聖人ご自身が、「今に至るまで軍やむ事なし」、「日蓮一度もしりぞく心なし」、「いまだこりず候」等々と仰せである。
 そして、「いよいよ・はりあげてせむべし」と、戦って戦いぬく精神、攻めて攻めぬく精神を教えておられる。この執念こそ、日蓮仏法の魂であり、学会精神である。
 これからの五十年も、「追撃の手をゆるめるな」との戸田先生の遺言のままに、強く、また強く進んでまいりたい。”(2005年秋季彼岸勤行法要) どのような状況であろうと、「絶対に負けないぞ!」との強き一念で御題目を唱えに唱え、「師匠・池田先生ならどうされるのか?」と常に問いかけながら、「必ず魔を打ち破る!」との学会精神で、師弟の月・七月をとも共に邁進して参りましょう。ありがとうございました

御書講義 動画サイト

https://youtu.be/HYMeWrIFNxw

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7月度座談会御書履歴

座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2000年(平成12年)
座談会御書 「佐渡御書」2001年(平成13年)
座談会御書 「立正安国論」2002年(平成14年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2003年(平成15年)
座談会御書 「千日尼御前御返事」2004年(平成16年)
座談会御書 「三沢抄」2005年(平成17年)
座談会御書 「御義口伝」2006年(平成18年)
座談会御書 「祈祷抄」2007年(平成19年)
座談会御書 「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」2008年(平成20年)
座談会御書 「弥三郎殿御返事」2009年(平成21年)
座談会御書 「祈祷抄」2010年(平成22年)
座談会御書 「諸法実相抄」2011年(平成23年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2012年(平成24年)
座談会御書 「辨殿尼御前御返事」2013年(平成25年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(此経難持御事)」2014年(平成26年)
座談会御書 「上野尼御前御返事(嗚竜遺竜事)」2015年(平成27年)
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座談会御書 「佐渡御書」2017年(平成29年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2018年(平成30年)
座談会御書 「辨殿尼御前御返事」2019年(平成31年)
座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2020年(令和02年)

7月の広布史

――「大阪大会記念日」――
昭和31年7月17日

■小説「人間革命」11巻 第4章「大阪」

――男子部結成記念日(男子青年部部隊結成)――
昭和26年7月11日
――女子部結成記念日(女子青年部部隊結成)――
昭和26年7月19日

■小説「人間革命」第5巻「随喜」
■小説「新・人間革命」第22巻「新世紀」

7月広布史関連情報

大阪市中央公会堂