座談会御書「檀越某御返事」2023年(令和5年)7月度

〈御 書〉

檀越某御返事
御書新版1718㌻11行目~1719㌻2行目
御書全集1295㌻7行目~8行目

〈本 文〉

さてをはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給うにては候らめ、あなかしこあなかしこ、御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり

〈通 解〉

そのようにおられることこそが、法華経を昼夜にわたり修行されていることになるのです。くれぐれもよく心得なさい。

日々の出仕を法華経の修行であると思いなさい。「あらゆる一般世間の生活を支える営み、なりわいはすべて実相と相反することはない」と説かれているのはこのことです。

〈背景と大意〉

本抄は弘安元年(1278)4月、日蓮大聖人が57歳の御時、身延において述作された書と推定されています。本書には宛名が記載されていないため、檀越某御返事と名づけられてきたのですが、内容から推察するに君主に仕える武士であったであろうと推察されます。大聖人が佐渡流罪を赦免されて身延に入り5年目のこと、各地で弘教が広がる一方で弟子たちに対する迫害が味待っている状況でありました。そうしたなかでこの檀越某が3度目の流罪があるようだとの情報をつかみ、大聖人にご報告したようです。本抄はそれに対するお返事です。
大聖人は57歳というご高齢であり、またこの年はずっと下痢に悩まされていらっしゃったようです。そんな体調のすぐれない中、3度目の流罪について、もしその流罪が現実になるなら「百千万億倍のさいわいなり」といわれ、むしろその流罪が起こることを願っているように述べられています。無為に日々を送り疫病に倒れたり、年老いて死んだりするぐらいなら法華経のゆえに国主にあだまれ流罪にあうことこそ本望であり、法華経の行者を諸天が守護するとの請願を今度こそ本当かどうか確かめられると述べられています。そして門下に対し「さてをはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給うにてや候らめ」「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」と信心の姿勢をご教示されています。

〈講 義〉

拝読の御文の最初「さておはすることこそ」の通解でそのようにおられることこそとありますが、ではどのようなことなのでしょうか?
拝読の範囲の中ではわかりませんので、最初から拝読してまいりたいと思います。
3度目の流罪があるようだとのご報告に対し大聖人は
「もしその義候わば用いて候はんには百千万億倍のさいわいなり」
もしそれがあれば、(大聖人の意見を)用いてもらうよりも百千万億倍も幸いである。と仰せになり、敢然と受けて立つ姿を示され

「法華経も・よも日蓮をば・ゆるき行者とはをぼせじ」よもや日蓮を怠慢な行者とは思われないであろう

「釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御利生・今度みはて候はん」釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の諸菩薩の御加護を今度こそ見極めたいものであると、末法御本仏としての大確信を述べられています。

また「雪山童子の跡ををひ不軽菩薩の身になり候はん」
雪山童子の跡を継ぎ、不軽菩薩のような身になりたいものであると法華経のために身命を捨ててこそ仏道を成ずることができることを示されるために「雪山童子の跡ををひ不軽菩薩の身になり候はん」と仰せられています。

「いたづらに・やくびやうにや・をかされ候はんずらむ、をいじににや死に候はんずらむあらあさましあさまし」
いたずらに疫病にかかって倒れるか、年老いて死んでしまうかである。嘆かわしいことである、嘆かわしいことである嘆かわしいことである

「願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度・生死をはなれ候わばや、天照太神・正八幡・日月・帝釈・梵天等の仏前の御ちかい今度心み候わばや」
願わくば法華経のために国主に憎まれて、今度・生死の縛を離れたいものである。天照太神・正八幡大菩薩・日月天・帝釈・梵天王等の仏前の誓約を今度こそ試みたいものであると終始一貫、大難にあえばあうほどに法華経の行者として生涯を送ろうとされている大聖人の毅然たる御姿に、信心の厳しさと云うものを痛感せずにいられません。

「事事さてをき候いぬ、各各の御身の事は此れより申しはからうべし」
私のことは心配いらない、あなた方のことは私から諸天に申しはからいましょうと弟子に対して温かく励ましを送られています。ここまでが拝読箇所の前の御文です。

そこで「さでをはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給うにては候らめ。」との文につながります。「法華経を十二時に行ず」とは、かつて伊豆流罪の渦中の大聖人が、自身の法華経の行者としての法悦に満ちた胸中を吐露した言葉でありました。
「去年の五月十二日より今年正月十六日に至るまで二百四十余日の程は、昼夜十二時に法華経を修行し奉ると存じ候。其の故は法華経の故にかかる身となりて候へば、行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候へ。人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候べき。」(四恩抄p937)と難を受けてこそ法華経の″身読″″色読″が可能となる、人間としてこれほどの喜びはほかにあるであろうかとの深き御境界を述べられるのです。
檀越某が三度目の流罪云々の報告の手紙を出したのは、3度目の流罪があるとのうわさに大聖人の身を案じたからこそでありましょう。それと同時に、自身も君主に仕えながら、弾圧を受けるかもしれない立場にありながら、師と運命を共にしようとの、深い決意が記されていたであろうことは想像に難くありません。
「さてをはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給うにては候らめ。」とは、難をうけることは法華経の行者としての証明なのだから厳然と受けよと、そのような檀越某のこころざしを、それでこそ我と同じ法華経の行者なりと、大聖人が最大の賞賛を送ったものにほかならないのではないでしょうか。

ここにかかってくることを今回拝読箇所では
「そのようにおられることこそ」とあまり重要に感じられないところできってしまったように思います。学会が難を受けなくなってしまったからでしょうか?
そして「御みやづかいを法華経とをぼしめせ。」との大聖人の言葉であります。
日々の出仕を法華経の修行であると思いなさい。「あらゆる一般世間の生活を支える営み、なりわいはすべて実相と相反することはない」と説かれているのはこのことです。
これは檀越某が三たびの法難の危機が迫る中である。宮仕えがおろそかになり、主君の不興をかうことにでもなれば、弾圧の格好の餌食となってしまうのではないか。油断しないようにとのお心ではないでしょうか。難があるかもしれないが、現実から逃げてはいけない、現実の中にこそ仏法があると厳としてご指南くださったのだと思います。
この部分の解説を池田先生の講義から引用させていただきます。

2015.12 講義より「職業を御本尊と思え」
戸田先生は、「檀越某御返事を、目や頭で読まずに、体で読んでほしい」と、常々、語られていました。
私も若き日、戸田先生のもとでお仕えしましたが、本当に厳しい薫陶の連続でした。学会活動を理由に、仕事を疎かにすることなど、断じてゆるされませんでした。「信心は一人前、仕事は三人前」と、信仰者としての姿勢を、厳格に教えられました。
少々、長くなりますが、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」を拝した、戸田先生のご指導を紹介しておきます。
「自己の職業に、人一倍打ち込もうともせず、ただ漠然として信心していけば功徳があらわれて、なんとか成功するであろう、などと考えるのは、これ、大いなる誤りである」
「わが職業に歓喜を覚えぬような者は、信心に歓喜なき者と同様であって、いかに題目を唱えようとも、社会人としての成功はあり得ようがない」「職業をよくよく大事にして、あらゆる思索を重ねて、成功するよう努力すべきである。また、会社やその他への勤め人は、自分の勤めに、楽しみと研究とを持ち、自分の持ち場をがっちりと守る覚悟の生活が大事である」
「学会員は、わが職業を御本尊と思い、それに恋慕し、心に渇仰を生じなくてはならない。かかる人こそ、信心の透徹した人といわなくてはならない」
もちろん、仕事を取り巻く環境は、当時とは変わっています。しかし、信仰者としての生き方の根本の精神は、いささかも変わりません。否、変わってはいません。

仏になりゆく生命の正道
どんな仕事でも、どこの職場でも、真剣勝負で働いて、信頼を勝ち得てきたたことが、私の青春の誉れです。
「御みやづかい」の御文の後には、法華経の文の趣旨や天台大師が説明した「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」の言葉がきされています。
これは法華経を持った人の功徳を述べた一節で、「あらゆる一般世間の生活を支える営み、なりわいは、すべて実相と相反することはない」と教えられています。
他の御書にも「一切の法は皆是れ仏法なり」(p564)、「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(p1466)とあります。仏法の理念と、政治や経済が本来目指すべき目的観は、基本において一致していると仰せなのです。
もとより、政治といい、経済といっても、それは全て「人間のため」のものでなければならない。人間の幸福こそ、あらゆる社会の営みの、最高・究極の目的だからです。
妙法は、この幸福を築きあげるために、人間一人一人の生き抜く力を開き顕します。誰もが自身の内に仏という無限の力を秘めている。その力を顕現させるのが、妙法です。
妙法の信心は、困難に立ち向かう勇気や、智慧や忍耐力をもたらす本源の力です。
ゆえに、信心を根本とした私たちの行動は、全て妙法の光明に照らされて、希望と幸福の方向へと価値創造していけるのです。
どんな職場、どんな立場であっても、自分らしく、人のため、社会のために行動していく。そして、「あの人はさわやかだ」「あの人は信頼できる」「あの人は頼りになる」と賞讃されていく、これでこそ、「信心即生活」「仏法即社会」の姿です。
以上引用。

私も16歳から社会に出て19歳でこの仏法に巡り合い、すぐに退転しかかったこともありましたが、今月で58歳になりました。この間に新聞配達、木工製品の工場、パチンコ屋の店員、精密部品製造の工場、溶接工場、住宅の外壁職人、結婚式の貸衣装店、披露宴での演出業、キャバクラの運営など多くの職業を経験しました。でも、創価班や牙城会での着任時間と戦う訓練で「信心は1人前仕事は3人前」とのご指導を通し、職場で信頼を勝ち取る努力してくることができました。親元を離れ6畳一間、風呂なしのボロアパートからスタートし、今自宅はまだローンは残っていますが、自己所有のマンションになりました。仕事も現在は千葉県八千代市の小さな土木会社ですが、役員の立場として、経営側として、日々頑張っています。まだまだ修行の最中です。これからももっと御書を学び、また先生のご指導をよく命に刻んで題目根本に自分らしく、社会のために行動し戦ってまいります。

■御書講義 動画サイト

御書研鑽しよう会

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7月度座談会御書履歴

座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2000年(平成12年)
座談会御書 「佐渡御書」2001年(平成13年)
座談会御書 「立正安国論」2002年(平成14年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2003年(平成15年)
座談会御書 「千日尼御前御返事」2004年(平成16年)
座談会御書 「三沢抄」2005年(平成17年)
座談会御書 「御義口伝」2006年(平成18年)
座談会御書 「祈祷抄」2007年(平成19年)
座談会御書 「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」2008年(平成20年)
座談会御書 「弥三郎殿御返事」2009年(平成21年)
座談会御書 「祈祷抄」2010年(平成22年)
座談会御書 「諸法実相抄」2011年(平成23年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2012年(平成24年)
座談会御書 「辨殿尼御前御返事」2013年(平成25年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(此経難持御事)」2014年(平成26年)
座談会御書 「上野尼御前御返事(嗚竜遺竜事)」2015年(平成27年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」2016年(平成28年)
座談会御書 「佐渡御書」2017年(平成29年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2018年(平成30年)
座談会御書 「辨殿尼御前御返事」2019年(平成31年)
座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2020年(令和02年)
座談会御書 「富木尼御前御返事(弓箭御書)」2021年(令和03年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」2022年(令和04年)

7月の広布史

――「大阪大会記念日」――

昭和31年7月17日

■小説「人間革命」11巻 第4章「大阪」

――男子部結成記念日(男子青年部部隊結成)――

昭和26年7月11日

――女子部結成記念日(女子青年部部隊結成)――

昭和26年7月19日

■小説「人間革命」第5巻「随喜」
■小説「新・人間革命」第22巻「新世紀」

7月広布史関連情報

大阪市中央公会堂