座談会御書「乙御前御消息」2025年(令和7年)2月度
〈御 書〉
新版御書 1689㌻13行目~16行目
御書全集 1220㌻9行目~12行目
〈本 文〉
されば妙楽大師(みょうらくだいし)のたまはく「必(かならず)ず心(こころ)の固(かた)きに仮(よ)りて神の守り則(すなわち)ち強(つよ)し」等云云(とううんぬん)。人(ひと)の心(こころ)かたければ神(かみ)のまほり必ずつよしとこそ候(そうらえ)へ。是は御(おん)ために申(もう)すぞ。古(いにしえ)への御心(おんこころ)ざし申(もう)す計(ばかり)なし、其(それ)よりも今一重(いまいちじゅう)強盛(ごうじょう)に御志(おんこころざし)あるべし。其(そ)の時は弥弥(いよいよ)十羅刹女(じゅうらせつにょ)の御まほりもつよかるべしとおぼすべし。
〈通 解〉
それゆえに妙楽大師は「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等といわれている。心の堅固な者には神の守りがかならず強いというのである。このように申すのは、あなたのために申すのである。前々からのお志については、言いつくせない。だが、それよりもなおいっそう強盛の信仰を行いなさい。その時はいよいよ十羅刹女の守りも強くなることと思いなさい。(その他は引くに及ばない。この日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一切の人々が害しようとしたが、いままでこうして無事に生きていられることは、日蓮は一人であっても法華経を信ずる心が強いゆえに諸天が守護されたのであると思いなさい。)
〈解 説〉
ここで出てくる十羅刹女(じゅうらせつにょ)とは、仏教における女神たちの一団であり、『法華経』に登場する10人の女性の鬼神を指します。彼女たちはもともと悪鬼であり、人々に害を与える存在でしたが、法華経を聞いたことで仏教の教えを受け入れ、仏教の守護者となりました。特に女性や子ども、家庭を守るとされ、魔や災いから人々を守る神といわれてます。
〈講 義〉
私自身、歳を重ね気力や活力、行動力といったあらゆる面で衰えを感じ体も時々痛いことがあります。私と比較すること自体おこがましいしだいですが、大聖人は佐渡流罪後のことでお体も結構きつい状態ではなかったかと思います。そんな中で、弟子への激励、国主諌暁とすさまじい行動力だと感じさせられます。
そして、この御文を頂かれた日妙聖人も、食糧難だったと予想されるその当時、幼子を連れて、はるばる佐渡の地迄いかれたり、退転者が相次ぐ中、変わらぬ信心をなされている姿に感服するとともに、更に信心を深めていくべきことを痛感させられました。
池田先生の講義より(引用)
―――すべては「心」の強弱で決まる。信心の厚薄で決定する。強き心、強き信心の一念に諸天も限りなく集い、一切良い方向へと回転させていく―――これが大聖人の仏法である。」
―――――――「進まざるは退転」
病気や加齢によって体が思うように動かない場合もあります。信心の行動に制約が生じる境遇もあるかもしれない。しかし、たとえ、いかなる状況になっても、心が退いてしまったならば、「心の固き」とはいえません。―――
人間を苦しめる思想には、断固、鉄槌を加える。
これが真の幸福主義です。――――
「師子」として生き抜きましょう。
「太陽」の存在となっていきましょう。
「師子」は、何ものをも恐れぬ百獸の王です。
「太陽」は、社会と世界を毅然(きぜん)と照らし、人々の心に希望を贈ります。
あらゆる非難・中傷の嵐をも悠然と乗り越えて、どこまでも民衆のため、徹して民衆の中に分け入り、民衆を賢くする。
これこそ、創価の「人間革命」運動であります。
大聖人が仰せのままの「立正安国」の闘争にほかなりません。
「師子」であれば、恐れてはならない。
「太陽」であれば、負けてはならない。
必ず正義と勝利と幸福の人生の軌道を切り開いていける。大聖人は、この大確信を乙御前の母に伝えられていると拝されます。
――師匠の「一人立つ」行動のままに、弟子もまた「一人立つ」実践を開始してこそ、真の「師弟不二」です。
他の人がどうかではない。たとえ一人になったとしても戦う。「一人立つ」誉れの門下を育てたい。乙御前の母は、大聖人から渾身の大激励を受けて、どれほど勇気を奮い起したことでしょうか。広布のため、一人決然と立ち上がる誓いを、いやまして深めたに違いありません。
仏法は一念三千です。「一念」が勝利を導く力となることを、師匠自らが示し、お姿を通して教えてくださいました。「つよき心」は、必ず伝播します。勇者は勇者の魂を呼び覚ますからです。――
私事ではありますが、最近起こった出来事についてお話させて頂きます。
去年3月、私の次男が仕事上のトラブルをきっかけに行方不明となりました。
妻をはじめ、妻のいる地元の学会のメンバーさん達が共に題目をあげ、次男の無事を祈り続けていただきました。
単身赴任している私は、題目を上げる中、なにか次男を励ます方法はないかと考え、次男を励ます内容の詩を作り、AIで歌にして、それをネット上にアップしたりしていました。9ケ月が過ぎたころ、次男の居場所がわかり、さらに次男をなんとか励ましたいとの思いが大きくなり再度2つ目の詩を書いて曲をネットにアップしました。
不思議にも、その翌日、妻から「次男から連絡があったよ」と涙ながらの電話がありました。
この出来事は私に、次男がどこかで守られているような不思議な感覚になりました。次男が妻の住む場所に戻り、単身赴任から帰った私も次男と直接会い話すことができました。次男の今回の失踪は、私自身の反省ともなりました。
私は22年間単身赴任を続けてきたため、子どもたちとの交流が少なく、親として相談相手になれていなかったと反省させられました。
次男から話を聞くと、次男は仕事の現場監督として工期を守り責務を全うしたのちその場からいなくなったそうです。
次男なりに考えギリギリまで悩み仕事をしたようすでした。
確かに、世間からは逃げてしまったと思われますが、親の立場としては、本当に生きていてくれてただけでも感謝の気持ちでいっぱいです。ただ、仕事の区切りのよいところまで頑張ったとはいえ勤めていた会社の方や周りに大きな心配をかけたことは事実です。
その行動は本当に良くないことだとおもいます。しかし次男の行動には、「家族に経済的な負担をかけたくない」という、やさしい家族への思いやりがあったようです。
実際、彼は行方不明の9ヶ月間のうち半年以上を我々親に経済的に負担をかけたくないと思い野宿生活で耐え抜いていました。
その忍耐力を私は褒めつつも、「次回は勇気を出して、一言でも家族や周囲に事情を伝えてほしい」と話しました。無口な彼にとって、これらのことを実現するには、難しいかもしれません。
お父さんのやっている信心は、このいざというときの勇気を出すことができる。また、いつか自分で迷惑をかけた会社に謝罪に行くくらいの勇気と成長を見せてほしいとも伝えてまいりました。
今回の次男の問題を通じて、私自身の信心を改めて見直す機会となりました。
以前は、入信カードに名前を書いてもらい、ご本尊をお渡しすることで「折伏ができた」と満足していました。本当に折伏した人が幸福になるまで一緒に信心をサポート出来ていたのかとも思いました。
今の組織を考えた時、それが困難に思えるとともに、信心を広めることの難しさを痛感しています。
多くの学会員は、学会を退会した人や処分を受けた人を「信心を退転した」と見る風潮があると思います。しかし、形式ではなく、池田先生のおおせの通り、信心とは各々の心の中にあるものであり、今回の御文のごとく「さあ、これからだ!」という前向きな姿勢が学会精神や日蓮仏法に通じると信じています。
また、家族4人で食事してる際に次男より「家族がこんなに思ってくれているんだと感じた、次からは相談するから」と言ってくれたことが一番嬉しく思えました。
今回の次男の問題を、自身の信心の課題として捉え、今迄以上に、題目の力、ご本尊への題目をあげることの素晴らしさを伝え続けることが私の使命だと思っています。
この経験を糧に、さらなる強盛の信心を持ち、一歩一歩進んでいきたいと思っています。
御書講義 動画サイト
2月度座談会御書履歴
座談会御書 「崇峻天皇御書」2000年(平成12年)
座談会御書 「立正安国論」2001年(平成13年)
座談会御書 「開目抄」2002年(平成14年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2003年(平成15年)
座談会御書 「聖人御難事」2004年(平成16年)
座談会御書 「兄弟抄」2005年(平成17年)
座談会御書 「開目抄」2006年(平成18年)
座談会御書 「佐渡御書」2007年(平成19年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2008年(平成20年)
座談会御書 「大悪大善御書」2009年(平成21年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2010年(平成22年)
座談会御書 「佐渡御書」2011年(平成23年)
座談会御書 「妙一尼御前御消息」2012年(平成24年)
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2013年(平成25年)
座談会御書 「上野殿御返事(刀杖難事)」2014年(平成26年)
座談会御書 「阿仏房御書(宝塔御書)」2015年(平成27年)
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2016年(平成28年)
座談会御書 「妙一尼御前御消息」2017年(平成29年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)」2018年(平成30年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2019年(平成31年)
座談会御書 「諸法実相抄」2020年(令和02年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2021年(令和03年)
座談会御書 「一生成仏抄」2022年(令和04年)
座談会御書 「日女御前御返事」2023年(令和05年)
座談会御書 「大悪大善御書」2024年(令和06年)
2月の広布史
第二代会長戸田先生 誕生日
1900年(明治33年)2月11日
小説・人間革命
・生い立ち 第2巻 幾山河・涼風
・牧口初代会長との出会い 第1巻 再建
・入獄 第1巻 黎明
・出獄 第1巻 黎明
・第二代会長就任 第5巻 烈日
・広宣流布の模擬試験 第12巻 後継
池田大作全集
・『池田大作全集』第22巻 随筆人間革命 序に変えて・寒椿・他多数
・『池田大作全集』第22巻 私の履歴書 序文・森ケ崎海岸
・『池田大作全集』第22巻 つれづれ随想 雪山の寒苦鳥・師曠の耳
■石狩市ホームページに厚田ゆかりの著名人(旧厚田村栄誉村民)として紹介。
二月闘争
1952年(昭和27年2月)
■小説 新・人間革命
・第5巻 驀進
■小説 新・人間革命
・第27巻 奮迅
■輝きの明日へ NO.68
・東京・大田最高協議会
2000年9月25日
東京・信濃文化センター
■輝きの明日へ NO.76
・東京総区長会
2001年1月30日
創価文化会館
■輝きの明日へ NO.77
・東京女子部部長会
2001年2月9日
東京戸田記念講堂