座談会御書「三沢抄」2025年(令和7年)1月度
〈御 書〉
新版御書 2014㌻1行目~4行目
御書全集 1489㌻15行目~17行目
〈本 文〉
この法門出現せば、正法・像法に論師・人師の申せし法門 は、皆、日出でて後の星の光、巧匠の後に拙きを知るなるべし。この時には、正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きえうせて、ただこの大法のみ一閻浮提に流布すべしとみえて候。各々はかかる法門にちぎり有る人となれば、たのもしとおぼすべし。
〈講 義〉
今月の御書は三沢抄です。別名、佐前佐後抄ともいわれ竜口の法難以後の法門こそ大聖人の究極の法門であることを示唆されています。
三沢抄を御執筆された時の世の中は蒙古襲来による恐怖と不安の中で騒然としていました。
三沢抄御執筆前後は池上兄弟や四条金吾への難が次々と起こっています。更には熱原の法難も並行して競い起こっており三烈士への苛烈な大難がすぐそばに迫っておりました。
大聖人が佐渡からお戻りになり、日興上人は大聖人の予言の的中した今こそ広布拡大の時と見定め敢然として折伏を推し進めていきました。一方、大聖人は身延において、広布のため多くの弟子の育成をされながらも、門下を守るため、連絡を密にして熟慮を重ね昼も夜もなく最大の注意をもって闘(たたか)われておられたものと拝察します。
熱原法難と昭和32年の大阪事件の流れがよく似ています。広宣流布の大波を師と弟子が不二となって起こし、それに対する魔の跳梁を「来たな!断じて一歩も引かないぞ!」と敢然と戦ってゆく。大聖人に阿吽(あうん)の呼吸で付き従い、先手先手と行動する日興上人、戸田先生の思いを問わずとも、次々に的確な手を打ち実行する池田先生の闘いが見事に符合しているのです。これこそが広宣流布の方程式です。熱原の法難と大阪事件の歴史を振り返るとき、「師弟一体となって戦うことこそが勝利の方程式」だとわかります。
三沢殿は源頼朝以来の御家人で佐渡流罪以前から信心に励んでいました。また実直な性格といわれており御書を見る限り大聖人に大切にされていた事がうかがわれます。三沢殿は富士方面の三沢というところの領主でした。今の富士市の一部にあたります。しかし、ここは北条政権の戦略上の要地で、そこの上司は念仏の強信者である北条重時だったのです。そして重時は大聖人の事を親の仇のように憎んでいましたので三沢殿が信心を続けるためには相当の覚悟が必要でした。大聖人は三沢殿に更なる難の及ばないように心を配っていました。しかし一門全体に大難が迫りつつある現在、いずれ三沢殿にも難が降りかかる恐れがあります。三沢殿にとって最善の方法は、太陽のような力のある真の仏法の存在を知ることにより難を跳ね返す、一歩深い信心に立つことにほかなりません。三沢殿は大聖人の慈愛と確信あふれるお手紙をいただき三障四魔に決して負けない信心を強く決意されたここと思われます。
さて本抄の内容ですが、全編のポイントを2008年の池田先生の三沢抄の講義を参考に振り返ります。
1, 大聖人の立宗から今に至るまでの大小に及ぶ様々な法難は三障四魔、特に第六天の魔王との戦(いくさ)にあった。大聖人は竜ノ口で最強のラスボスであった魔王との戦いに見事打ち勝った。それにより釈尊に予見された法華経の行者は大聖人であることが事実の上で証明されたのである。つまり大聖人こそが真実の仏法の指導者であることを自らお示しになったのである。
2, 佐渡以前の法門と佐渡以後の法門の違いを強調されている。佐渡以前の法門は爾前教であり竜ノ口以後の法門こそ大聖人の最重要の法門である。その精髄は久遠元初の仏の生命である御本尊をあらわしたことにある。
3, 三障四魔はそれぞれ耐え難い敵だが、特に最後の天子魔、つまり第六天の魔王は最強であり乗り越えがたい。戸田先生は講義の中で「死魔ぐらいには勝てる。死魔は本当の信心があれば勝てます。しかし最も恐ろしいのは天子魔です」とおっしゃっている。
4, 太陽の仏法である日蓮仏法が世界を照らしてゆくであろうと宣言をしている。
以上が三沢抄全体の要点です。
奪命者、奪功徳者と言われる第六天の魔王と光さえも吸い取ってしまうブラックホールは似ています。
「天子魔の正体は元品の無明」
ここで池田先生の講義から重要な「元品の無明」についてお話をします。
まず第六天の魔王がどうして破りがたいか?それはなんと自身の生命の中の元品の無明こそが魔王の正体だからです。さらに、これは自身の生命に潜む「根源の無知」であると指摘されています。この根源の無知は様々な悪と不幸をもたらす種々の迷いの根本です。魔王はあらゆる人を自在に動かす凄い力を持っています。しかし、その正体は無知そのものであるがゆえに知恵の力で打ち破ることができる。その知恵を現した方が「仏」です。その最極の知恵を教える法が正法です、と述べられています。
私の回想をお話しさせて頂きます。昭和50年、目の不自由なかたの信心のグループ、自在会の三島の拠点に、ある色紙が飾られていました。それは「あなたの妙法、私の妙法、宇宙の妙法」と、三行に書かれていた直筆の色紙でした。池田先生のお文字であり、マジックで書かれたものです。意味がさっぱりわかりませんでした。頭の悪い自分が紡ぎだした解釈は「あなたの命の中にある妙法も、私(池田先生)の命にある妙法も、宇宙の妙法も全部同じだよ。同じ妙法を持つ僕たちはいつも一緒だ。さあ、私と一緒に苦難を乗り越え生き抜いて行こうよ」との激励の色紙だと考えました。しかし今回この池田先生の講義録を勉強して理解が一歩深まった気がします。これは自分も妙法の当体、池田先生も妙法の当体、宇宙全体も妙法の当体であることを顕している。さらに言えば元品の無明である第六天の魔王を退治する仏の悟りそのものだ、と気が付きました。わかったようでいて、そのくせさっぱり実感が湧いてきませんが、なんて素晴らしいんだということはわかります。相手が尊極の仏と自覚すれば仏同士で殺しあう戦争など起こりえませんから。
回想は以上です。池田先生の講義より「元品の無明」のポイントを述べました。
更にもう一つのキーワードである、三沢抄に示す「この法門」について「法華経の智慧」を参考に紹介いたします。さて、「法華経の智慧」の中で池田先生は「この法門」について、核心部分を丁寧に説明されています。それは『南無妙法蓮華経は「法」であるが、同時に「仏身」なのです』と明言されたているところです。「人法一箇なのです」と続け、さらに強調するように「ここが大事なところです。法と言っても人(仏)を離れた法は理だけの存在です」と続け「実際には仏の知恵を離れた法はないのです」と断言されています。ところが教学要綱で示されている原田学会の本尊は法のみの存在と主張しています。根源の「仏身」である南無妙法蓮華経如来の大聖人を、釈尊の使いに過ぎない上行菩薩として下げ落としてしまった。とんでもない邪義です。大謗法です。池田先生の御指導は明確に法と仏身のそろった「人法一箇」の御本尊です。池田先生が「ここが大事」と言われたように法のみの本尊では仏の知恵は現れないのです。なじみのある御書に「朝朝仏と共に起き」とはありますが朝朝「法」と共に起きとは言いません。御本尊様はもっと懐(なつ)かしく、また温かく皆のそばに寄り添ってくださる存在なのです。
人法一箇の例えを医療の面で考えてみました。現代は最高の医療知識と医療技術がそろっています。しかしお医者様がいない病院では優れた知識も技術も提供できません。病気を治すことなどできないのです。医療の知識や技術は理論にあたります。お医者様は人の立場です。人法一箇なのです。法のみあって仏身がないとは病院に医者がいないのと一緒です。創価学会という看板だけ立派な原田学会ですが、聖教新聞をよく見ると被災者よりも会館の建設が第一。会員の命より選挙が第一であることがよくわかります。この原田学会のどこに「仏」が感じられるのでしょうか?。仏身がない本尊なので御仏智は湧かず仏性のかけらも感じません。頭も心もポンコツなのです。学会の打つ手打つ手が後手に回り、ついには公明党大惨敗になったことは記憶に新しいところです!
今日の講義の結論部分である1月度の学習範囲です。
この法門 出現せば 正法像法に 論師人師の 申せし法門は 皆 日(ひ) 出でて後の星の光 巧匠(こうしょう)の後に 拙(つたな)きを知るなるべし. 此の時には 正像の寺堂の 仏像・僧等の 霊験は 皆きへうせて 但 此の大法のみ 一閻浮提に 流布すべしと みへて候. 各々は かかる法門に 契りある人なれば 頼もしと おぼすべし
次に、先に述べた法華経の智慧と教学要綱の内容を踏まえた通解です。
「この(人法一箇の)大法が出現するならば、正法時代や像法時代に論師や人師が説いた(今でいえば宮田)法門は、日が出た後の星の光のようなものであり、(人法一箇の)名匠が出た後に(教学要綱を見てみれば)拙さが(より)分かるようになるだろう。 この時には、正法・像法の寺院(今でいえばまさに学会の会館)の建物にある仏像や僧たちの利益は全て消え失せて、ただこの大法(池田創価)だけが流布されるだろうと見受けられる。 あなた方(池田創価を信ずる自活サイトの方々)は、このような真実の大聖人の法門に縁(えにし)ある人なのだから、頼もしく(心強く)思(って)いなさい。
実は、本日の講義の結論はもう一つあります!講師の特権で原田学会の最大の悪事を指摘しておきます。最大の悪事とは何か?
それは池田創価学会の教学を自らの名聞名利のため勝手に改ざんした事です。このことは仏の目から見ればはるかに罪が重いのです。例えが近いものとして、大聖人は最も正当な立場にあった天台教学に密教という邪義を加えた罪がどれほど重いかを、念仏宗や禅宗の邪義より「百千万億倍信じがたき最大の悪事」と敢然として糾弾されています。また師匠を裏切った者の末路は佐渡御書の一節に示す通りです。我賢(かしこ)しと思はん僻人(びゃくにん) 等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、不便(ふびん)とも申す計(ばか)りなし。と弟子の裏切りを大聖人ご自身がきつく断罪されているではありませんか!
池田先生は2005年度以降、同中の最後によく「勝って勝って勝ちまくれ!」とカチドキのように何回も繰り返し言われたことがありました。選挙は当分ないのに、なぜだろう?と疑問がのこっていました。ところが講義の関連で山口指導を調べていると偶然その回答が見つかったのです。「勝って勝って勝ちまくれ」その心は? それは、「戸田先生に喜んでいただきたい!先生に勝利を報告したい!これのみが弟子の道であるからだ!」と書かれていたのです。そうだったのか!耳朶に残る「勝って勝って勝ちまくれ」とは暗に師弟の道の誠を示してくださっていたのだ。池田先生は自身がいなくなっても弟子が寂しくないようにと先生の声を記憶として残してくださったのだと感じました。
私は何としても勝利の報告を池田先生にするんだ。そして池田先生が「わかってるよ。わかってる。もう、みんなわかってるよ。」と両手を広げて、笑顔で迎えてくださることを胸に秘めながら池田創価の道を求めていく決意です。
以上で三沢抄の講義を終わります。
御書講義 動画サイト
1月度座談会御書履歴
座談会御書 「妙密上人御消息」2000年(平成12年)
座談会御書 「一生成仏抄」2001年(平成13年)
座談会御書 「上野殿御返事(正月三日御書)」2002年(平成14年)
座談会御書 「経王殿御返事(土餅供養御書)」2003年(平成15年)
座談会御書 「崇峻天皇御書(三種財宝御書)」2004年(平成16年)
座談会御書 「妙密上人御消息」2005年(平成17年)
座談会御書 「諫暁八幡抄」2006年(平成18年)
座談会御書 「高橋殿御返事」2007年(平成19年)
座談会御書 「聖愚問答抄」2008年(平成20年)
座談会御書 「呵責謗法滅罪抄」2009年(平成21年)
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2010年(平成22年)
座談会御書 「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」2011年(平成23年)
座談会御書 「一生成仏抄」2012年(平成24年)
座談会御書 「種種御振舞御書」2013年(平成25年)
座談会御書 「大悪大善御書」2014年(平成26年)
座談会御書 「曾谷殿御返事」2015年(平成27年)
座談会御書 「諸法実相抄」2016年(平成28年)
座談会御書 「一生成仏抄」2017年(平成29年)
座談会御書 「顕仏未来記」2018年(平成30年)
座談会御書 「大悪大善御書」2019年(平成31年)
座談会御書 「阿仏房御書(宝塔御書)」2020年(令和02年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(梵音声御書)」2021年(令和03年)
座談会御書 「持妙法華問答抄」2022年(令和04年)
座談会御書 「諸経と法華経と難易の事」2023年(令和05年)
座談会御書 「崇峻天皇御書(三種財宝御書)」2024年(令和06年)
1月の広布史
SGIの日
1975年(昭和50年)1月26日
■新・人間革命第21巻「SGI」の章
■池田大作全集第130巻
随筆 新・人間革命2 「SGI]の出発
■池田大作全集第135巻
随筆 人間世紀の光 「SGI」の尊き使命
■広布第二章の指針 第6集 昭和50年池田会長講演
IBL第1回世界平和会議「中道哲学こそ平和の基調」