座談会御書「四条金吾殿御返事(梵音声御書)」2021年(令和3年)1月度

御書

四条金吾殿御返事(梵音声御書)
御書全集:1121㌻14行目~16行目

〈本文〉

此の法華経の一宇の功徳は釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う、たとへば如意宝珠の如しい 一珠も百珠も同じき事なり一珠も無量の宝を雨す百珠も又無尽の宝あり (御書1121頁14行目~1121頁16行目)

〈通 解〉

この法華経の一字の功徳は釈尊・多宝仏・十方の諸仏、即ち一切の仏の功徳が一字に収められているのです。たとえば如意宝珠のようなもので、一珠も百珠も同じことなのです。一珠でも無量の宝をふらしますし百珠でもまた無尽の宝がそなわるのです。

〈講 義〉

本抄は文永9年(1272年)9月に、日蓮大聖人が流罪の地・佐渡で著(あらわ)し、鎌倉の四条金吾に与えられたお手紙です。

本抄の構成からは、多くのことが読み解けると思います。

・浄土教や禅宗などの爾前権教(にぜんごんきょう)の機根(きこん)が強くあった人々に対して、教主釈尊とその出世の本懐(ほんかい)である法華経に還(かえ)り、妙法の信仰に励むように繰り返し説かれていたこと。

・師匠なき時代には、師匠が残された言葉である経典こそが、生きた師匠と等しいものであり、大切であること。

・日蓮大聖人こそが仏教の正統(せいとう)であり、その確信の上から、大聖人に連なる信仰の功徳、誹謗(ひぼう)する人の罪を明確に説いたこと。

・法華経と妙法の功徳を、日蓮大聖人は様々な譬(たと)えを用いながら、自在に説かれていたこと。

・仏の三十二相の内の、第一の相である「梵音声(ぼんのんじょう)」は、一切経となって一切衆生を利益(りやく)するのであり、そのなかでも法華経は釈尊の志(こころざし)を書き顕(あらわ)して、釈尊の声を文字となしたのであり、仏の心はこの文字に備わっていること。

・また冒頭では、誤った教え、悪法、邪義を根幹とする宗教でも、権力の理解と擁護(ようご)を得れば広まってしまうのであり、正しき教え・正法(しょうほう)でも権力によって迫害されることを、事例をあげて説示(せつじ)されています。

ここで注意が必要なのが、権力と正しき教えが一体になればよいかといえば、そういう問題ではない、ということです。

日蓮大聖人の一代の教示は、立正安国論に始まり立正安国論に終わるといわれますが、その立正安国論で何よりも指摘されていたのが、「一凶(いっきょう)」、即ち誤った教えを厳しく破折することであり、大聖人は爾前権教の諸宗教と肩を並べて、権力・体制の側に付こうとされてはいなかった、ということです。

ほかにも、当抄では、四条金吾が亡き母親の三回忌の追善として、佐渡まで御供養を届けたことに感謝され、その心をたたえられています。大聖人の御書には、このような、御供養に対するお礼のお手紙が多くありますが、いかに真心からの御供養が大切であるかが、深く理解できるのではないかと思います。

さて、日蓮大聖人の生きた鎌倉時代は、仏教といえば仏像であり、救いを求めて仏像におすがりするのが、ごく普通のことでした。ですから、大聖人は、このような人々に対して、まずは教主釈尊に立ち返り、出世の本懐である法華経と妙法への信仰を勧められました。

四条金吾に対しても同様であり、阿弥陀如来や観音菩薩、地蔵菩薩などの仏菩薩像(ぶつぼさつぞう)に手を合わせて救いを求めるという、鎌倉武士の一般的な信仰を卒業させて、四条金吾に法華経・妙法への信仰を強く確立させようと、心を砕いていたことが、金吾宛ての書状からうかがわれます。

今回、拝読した御文(ごもん)では、「あなたが朝晩・拝する法華経、あなたが手にしている経典・法華経は、こんなに素晴らしいものなのですよ」と、分かりやすく説き示されています。

特に願いのままに、心のままに、あらゆる宝物(たからもの)を取り出すことができる宝の珠(たま)を意味する如意宝珠(にょいほうしゅ)を用いたことからは、「大御本尊に妙法を唱え、祈っていけば、必ずや願いはかなうのですよ」との、日蓮大聖人の大確信と、なんとしても門下を幸せにしたいとの、大慈悲が感じられるのではないでしょうか。

日蓮大聖人は「法華経を構成する一文字に込められた功徳は無量であること」を説かれますが、私たちの世界にも同様のことが多くあると思います。

地球というわずか二文字には、大地、大海、河川(かせん)、大地の底に眠るマグマ、いつもどこかで吹いている風、そして私たちが生きるのに欠かせない空気、何よりも人間存在そのものが込められています。

四季という言葉には、春夏秋冬の移ろいがあります。

海や山という一文字には、そこに生きる多くの生物が思われます。

人間という言葉には、生老病死がある一方、未来への夢と希望があると思います。

法華経の一文字の功徳の、大いなることを説かれた日蓮大聖人。

このお手紙を受け取った四条金吾夫妻と、周囲の人々は感嘆したことでしょう。

「法華経のたった一文字に、そんなに功徳があるとは。私たちは妙法の信仰ができて、本当によかったね」

四条金吾夫妻の会話が聞こえてくるような思いになります。

池田先生は、1993年5月16日の「SGIアジア記念総会」で、戸田先生の言葉を紹介されました。

「御本尊様は無上の宝珠、如意宝珠であるから、あなた方の願いは、なにごとも、かなうことになっている。それをつかみ出せないのは、あなた方の信力がたりない。

行力(ぎょうりき)がたりないからなのです。信力が強いものであるならば、それに相応して、仏力・法力も厳然と現れる。必ず、しあわせになる」

そして、先生は「私も同じ大確信をもっている」と言われました。

大御本尊という、最高の如意宝珠(にょいほうしゅ)を拝する私たちです。

必ず祈りをかなえてみせる!との大確信で、強く祈りながら、幸福の輪を広げる対話に、Zoomやライン等を活用しながら、励んでまいりたいと思います。

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