座談会御書「三三蔵祈雨事」2024年(令和6年)7月度
〈御 書〉
新版御書1940ページ1行目~3行目
御書全集1468ページ1行目~3行目
〈本 文〉
夫れ、木をうえ候には大風吹き候へども、つよきすけをかひぬればたおれず。
本より生いて候木なれども、根の弱きはたおれぬ。
甲斐無き者なれども、たすくる者強ければたおれず。
すこし健の者も、独なれば悪しきみちにはたおれぬ
〈通 解〉
そもそも、木を植える場合、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。
もともと生えていた木であっても、根の弱いものは倒れてしまう。
弱く、ふがいない者であっても、助けるものが強ければ倒れない。
少し頑健な者でも、独りであれば悪道に落ちてしまう。
〈背景と大意〉
本抄は、建治元年(1275年)6月、大聖人様五十四歳の時、身延でしたためられ、西山入道に与えられたお手紙です。
西山入道は、駿河国富士郡西山郷(現在の静岡県富士宮市芝川町西山)の地頭で、大内太三郎安清と称していた、とする記述もあれば、西山本門寺の開基壇那、大内安浄の縁者とも、また近隣の河合に住んでいた由比氏の老翁との記述もあり、詳しく決めてとなる人物伝はなく、俗士としての明確な系統、具体的な史実も存在していないようです。
元々真言宗の信徒でありましたが、土地柄日興上人の御化道などより大聖人門下となったようです。
今回の御書「三三蔵祈雨事」にも、「抑各各(そもそもおのおの)は」(ところであなた方は、と複数人として呼びかけています。)とあるところから、西山入道をはじめ、兄弟姉妹親族一同がうち揃って、一日行程である身延の大聖人の御元へご供養の品々を携えて訪れていたのではないかと推察されます。
〈講 義〉
本抄冒頭より、「善知識」の重要性、必要性を道理を持って協調しておられます。また本抄全体を通じて大聖人は、すでに広まっていた真言宗の過ちを批判しており、本日は、この「善知識」を中心に本抄全体を俯瞰してみたいと思います。
本抄の題号は、善無畏・金剛智・不空の三三蔵が真言宗を持って行う降雨祈願の大失敗を取り上げ、その悪知識たるゆえんを説かれているところから、「三三蔵祈事」と名ずけられたものです。
およそ仏法を修行し成仏するためのは、「善知識」に値うことが最大事であり、そのことを、本抄の最前部に「植木と添え木」・「悪路の歩行」に譬えを借りて、最大事たるがゆえに最前部に重きを置き示されたのだと思われます。
阿闍世王などの堕地獄が決定したような悪人であっても、釈尊という「善知識」に値うことにより成仏ができたのだ。とされながら、仏道修行においては「善知識」に値うことが成仏の要諦であり、寒いとか熱いとか、それがわかる智慧があるならば何としても「善知識」に近づき、教えを求めてこそ成仏が可能になると仰せになっています。
したがって、「善知識」とは、成仏を成就させる善因縁の知恵をいい、有徳の人を意味します。仏・菩薩・二乗・人天を問わず人を成仏に導く者をいいます。
守護国家論には「在世滅後の一切衆生の誠の善知識は法華経これなり」ともあり、末代凡夫にとって最大の「善知識」とは、末法の法華経の行者であり、久遠元初のご本仏であられる日蓮大聖人にほかなりません。しかしながら、一眼の亀の浮き木、また天より糸を降ろし地上の針穴に通すなどの比喩を示し、「善知識」に親近することが、いかに困難であり稀有なことであるか、をご教示されています。
現実の社会は、悪知識が充満する第六天の魔王が支配する濁世であるがゆえに、悪知識を避けようとすることは当然としながらも、自ら正しい「善知識」を根本とした生き方を示され、真言が「釈迦は凡夫だ。」などと言ったり、「大日経は法華経より勝れている。」など顛倒した真言の説教を信じてしまっていることは、仏法を習わない世間の悪人よりもはるかに罪が重く、いわゆる無間地獄に落ちるのであり、悪知識の恐ろしさを知らねばならない。と仰せになっています。
また悪知識は大地微塵よりも多く、「善知識」は爪上の土よりも少ない。と仰せになり、観世音菩薩は善財童子の善知識であり、金氏は、舎利弗の善知識ではあっても、曇無竭菩薩・ふるな等は衆生の「機根」を知らず返って求道者を悪道に落としめてしまっていることを例として挙げられ、大聖人の仏法を知らぬものが(末代悪世の学者等と述べておられます)「善知識」であろうはずがないと断言しています。
次に、「仏法をこころみるに、道理と文証とにはすぎず。また道理・文証よりも現証にはすぎず。」との有名な御文をあげ、まず中国唐時代の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の真言密教での降雨祈願失敗の現証を示し、次いで、日本平安時代初期に行われた弘法大師・守敏の降雨祈願の大失敗の現証を示され、ましてや弘法大師の大法螺は口伝すべきである。と申され念入りにも西山入道に、この三三蔵の真言での降雨祈願失敗の実証は日本では、だれも知らないことゆえ「日蓮が生きている間に知りたいと思うならば、詳しく尋ねなさい。お教えしよう。」とまで仰せくださっています。また、弘法大師の大嘘などは、天下第一の大事ゆえ、軽々に他言してはならない、とし弘法の大嘘の事実がいかに衝撃的なことであるかを諭しています。
この真言の大失敗とは大いに違い、中国天台大師、日本伝教大師の法華経を中心とした降雨祈願の大成功の実証は、いかに法華経が力ある経典であるか、比して真言の愚かであるかを現証を持って強調し、迫りくる元寇に対して真言での調伏祈願を命じたならば、「この日本国は滅んでしまうであろうことを思い、命を賭して幕府に直言したのである。」と仰せであり、ここには、強く立正安国のご精神が脈打っています。
この後、外道が分裂してゆく歴史を表し、ご在世当時の仏教界の混乱を指し示し日本国が他国より侵略を受けるのは、善無畏・金剛智・不空の三三蔵の誤りにより中国が滅びた先例を上げ、弘法の真言宗、慈覚・智証以後の天台真言宗の誤りにより日本国が邪教に染まってしまった故であると断定されています。
そうした、大聖人の真言・天台真言破折に対して弟子の中にも大聖人よりも慈覚・智証の方が優れているのではないかと僻見を抱く者もある為、大聖人は、あくまでも仏説に拠っているのであり、我こそが経文に照らし、仏説に符号した法華経の行者であり最大の善知識であることを現証を見れば明瞭である。と結論付けています。
最後の段では、有名な須梨槃特と提婆達多の例を挙げられ、西山入道にはこの話は遠い過去の話ではなく末法の成仏は、あくまでも信(信心)が根本であることを戒めた教訓として胸に刻んでゆくように。とご指導され、成仏への道は、仏を信じ、たとえ一句でもその教えを実行、実践するこがなによりも大切なことであると結ばれています。
では、本文に戻り、通解を再読いたします。
そもそも、木を植える場合、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根の弱いものは倒れてしまう。
この強い支えこそが「善知識」であり、大聖人であり、御本尊様であり、池田先生なのではないでしょうか。また、広くは私たち自活のメンバーのように触発しあい、切磋琢磨する集いそのものも「善知識」であろうと思います。
弱く、ふがいない者であっても、助けるものが強ければ倒れない。
少し頑健な者でも、独りであれば悪道に落ちてしまう。
どんなにぬかるんだ道であろうと、岩や石の目立つ悪路であろうとも助けてくれるものが強ければ決して倒れません。
反対に、大変危険な道を少々の自信を持っている人であっても、油断があれば命を失うかもしれない。
何としても「善知識」を探し出し、近づき、より多く正しい仏法を学びたいと思うものです。そして、釈迦に対する提婆達多や、大聖人対する平左衛門尉など、迫害を加える者は悪知識でありますが、迫害に値って信心をますます強情に、そして苦難を受けることにより、過去世からの宿業を転換し成仏できるゆえに「悪知識」をも、すべてを「善知識」に変え行く戦いをしてまいりたいと思います。
最後に先生のご指導を学びたいと思います。
豊島、台東、墨田、目黒区合同総会1987.12.12スピーチ(池田大作全集第69巻)
(前文3行を通じて)これらは道理である。誰びとも異論はないにちがいない。仏法の教えは常に、こうした万人が納得せざるを得ない〝道理″の延長線上に説かれている。このことを改めて確認しておきたい。すなわち成仏の道においても、たとえ最初は信心弱き者であっても、強い支えを得れば倒れない。反対に、なまじっか自分は信心が強いと思っていても、三障四魔の吹き荒れる悪路を独りで歩み通すことは容易ではない。そのために、どうしても同志が必要である。善知識が必要であり、信心の組織が必要となる。
〈中略〉
仏の道は甚深であり、その智慧ははかりがたい。それに比べれば、どんなに賢く見えても凡夫の智慧など、わずかなものである。ゆえに成仏する道は正しき善知識につく以外にない。そうすれば、善知識の力で、誤りなき成仏への軌道を進んでいけるのである。大聖人が「わが智慧なにかせん」と仰せのごとく、いかなる大学者であっても、仏法のことは仏法者に学ぶ以外にない。どんな大科学者、大医学者も、自分の生命、人生を解決できる智慧があるわけでない。また、大政治家、大富豪であるといっても、絶対的な幸福への法則を知っているわけではない。
〈中略〉
仏法を求めるとは、具体的には正しい善知識を求めることともいえよう。大聖人が「仏になるみちは善知識にはすぎず」と断じておられるとおりである。
「善知識」とは、本来、人を仏道に導き入れる〝善因縁の知識″をいう。知識とは知人、友人の意味である。仏、菩薩、二乗、人天等を問わず、人を善に導き、仏道修行を行わせる、正直にして偽りなき「有徳」の者が善知識である。当然、人界の私どももまた、立派な善知識の働きとなる。「善知識」の働きには、修行者を守って安穏に修行させ(外護)、また互いに切磋琢磨しあい(同行)さらに仏法の正義を教えて善行へ向かわせる(教授)などがある。すなわち、「勤行をしましょう」「会合へいきましう」「御書を拝読しましょう」等々広宣流布の方へ、御本尊の方へ、妙法と成仏の方へと〝指し導く″指導者の皆様方こそが、尊き「有徳」の善知識なのである。
〈中略〉
この後、たとえ信心している幹部であっても、悪知識になる場合があるとご指導。
すなわち善知識が、友を「妙法」の方向へ向かわせるのとは対照的に、黒く卑しき心の悪知識は「自分」へと向かわしめるだけなのである。「法」が中心ではなく、自分のずるがしこい「エゴ」が中心となる。この一点を鋭く見極めていかねばならない。悪知識に紛動されれば悪道へとおもむかざるをえないからだ。また、こうした〝虚飾の仮面″をかぶった信心なきリーダーは、時とともに、いつか広布の大道から逸脱し、姿を消していくものだ。これが大聖人在世の時代以来、変わらざる方程式であり、私の四十年間の経験的事実でもある。
以前本幹の折り、先生が壇上の幹部を向かれ「この人達についていったら地獄だよ。」と烈火のごとく叱責された場面を思い出しました。
それとは真逆に、自活の皆様の信仰心とその実践に深い敬意を表します。
自活には、大聖人の仏法に基づいた行動があり、多くの人々に希望と勇気を与える存在であると思います。今日よりは、また私自身「自活」という「善知識」に巡り会えたことに感謝し、池田先生のご指導を違えることのない実践を貫いていく決意です。
■御書講義 動画サイト
7月度座談会御書履歴
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7月の広布史
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■小説「人間革命」11巻 第4章「大阪」
――男子部結成記念日(男子青年部部隊結成)――
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――女子部結成記念日(女子青年部部隊結成)――
昭和26年7月19日
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■小説「新・人間革命」第22巻「新世紀」