座談会御書「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提の事)」2026年(令和8年)10月度
〈御 書〉
御書新版1522㌻13行目~15行目
御書全集1117㌻18行目~1118㌻3行目
〈本 文〉
法華経の信心をとおし給え。火をきるに、やすみぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして「法華宗の四条金吾・四条金吾」と、鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給え、あしき名さへ流す。いわんやよき名をや。いかにいわんや法華経ゆへの名をや。
〈通 解〉
法華経の信心を貫き通しなさい。火打石で火をつけるのに、途中で休んでしまえば火は得られない。成仏も同じです。強盛な大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人および日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい。人は悪名でさえ流すものだ。まして善き名を流すのは当然である。ましてや法華経のゆえの名においてはいうまでもない。
〈講 義〉
本抄は文永9年(1272年)5月2日、佐渡の一の谷で認められ四条金吾に宛てられたお手紙です。
同年4月に四条金吾が佐渡の大聖人をお訪ねし鎌倉に帰った後その訪問の御礼の意を込め送られたであろう手紙です。
要中の要を取って実に簡潔に信心の核心が示され、四条金吾の大勝利を期待されています。
とても分かりやすい御文ではあるかと思います。
お手紙の終盤のまとめのお言葉です。
そこで、まずは全体を通して本抄の中心的テーマとなっている「煩悩即菩提」や「生死即涅槃」について紐解いていきましょう!
本抄は冒頭に、大難に逢われている大聖人を気遣う四条金吾に対し、「難」こそ喜びであるとの大聖人のご確信が述べられます。
そして、「日蓮が弘通する法門は狭いようであるが実は甚だ深いのである。」と述べられ、その理由は大聖人の法門が、「天台・伝教の法門より一重立ち入っているからで、それはまさに、本門寿量品の三大事を説いているからである」とされます。
この「寿量品の三大事」とは、三大秘法のことと思われます。よって、「一見、南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行するのであるから狭いように思われるが、南無妙法蓮華経は三世の諸仏(過去現在未来のあらゆる仏)の師範であり、十方薩埵(全宇宙の菩薩)の導師であり、一切衆生が皆、仏道を成ずるための指南であるから最も深いのである。」と御指南されます。つまり、南無妙法蓮華経は単なる題目ではなく、三世諸仏の師である御本尊であります。
この御本尊を受持し、南無妙法蓮華経と唱える時、「煩悩は煩悩のままに菩提となり、生死は生死のまま涅槃とひらけて、絶対的幸福境涯になることが出来る」とご教示されています。
煩悩を断ずるのでは無く、また、生死を厭離(苦悩に満ちた現実から逃げる事)するのではなく、凡夫がその身のままで仏界を開くとこができるからこそ、一切衆生皆成仏道の法なのであり、あらゆる衆生が平等に救われるのです。
「煩悩即菩提」とは煩悩すなわち九界の衆生の生命に必然的に具わって起こってくる悩みや欲望が、妙法を信ずることによって即菩提となる事で、菩提とは仏の悟りと智慧の意味です。
「生死即涅槃」とは九界の生命の苦しみである生老病死の四苦が、妙法の力によって、即、不生不滅の仏の境地に転ずる事です。
次に大聖人は、妙法流布の戦いにあたってこの様に大難に遭っているのは、過去に御自身がこの偉大な妙法を誹謗し妙法の持者を馬鹿にした報いであると述べられます。
末法の御本仏であり自受用報身如来である大聖人がなぜ自らの過去をこの様に言われたのか?
それは、自らも人々と同じである事を示し、大衆の中に入ってその平等の立場の上で法を説く時、はじめて人々を目覚めさせることができるからではないでしょうか。
衆生が「自分達も仏になれるのだ」という事実に気付き、凡夫こそが仏の本体であることを知らしめるためなのです。「凡夫即仏」です。ここにも「即」の原理が示されています。
「即」とは信心の異名です。煩悩は信心によって菩提となり、生死は信心によって涅槃となり、凡夫は信心によって仏になるのです。
もう一つこのお手紙に示されている大事な点は、「難」こそが実は成仏への大きな鍵であるということです。
法華経の故に「大難」を受ける事こそ実は法華経の行者の証であり、その法華経の行者である大聖人に帰依し、自ら諸難に逢いながらも命を懸けて大聖人を守ろうとする四条金吾を、日蓮に続く「法華経の行者」であると讃嘆されています。「煩悩即菩提」の原理の如く、「難即悟達」であります。ここにも「即」の原理が示されています。
さて、ひるがえって 今まさに、原田学会とその執行部が法華経の行者である池田先生を裏切り、今まで最前線で一生懸命戦って来た善良な会員を騙し、迫害し、馬鹿にし、踏み躙っています。これこそ「大難中の大難」ではないでしょうか。
今こそ私たちは四条金吾の信心に続き、「真の創価学会」「真の学会精神」を護り貫かなくてはなりません。それでなければこの御書が読めたとは言えないと思います。
四条金吾は、大聖人の発迹顕本の座であった竜の口の法難にお伴し、佐渡流罪中には使いを大聖人のもとに送り、あるいは自ら佐渡まで赴くなどして身命を顧みず大聖人をお守りしました。所領の没収という「難」に逢ってもひるむことは無かった。いや、「難」こそ成仏の肥(こやし)としたのです。その信頼する金吾に送った御手紙の最後にあるのが今回の拝読箇所です。
法華経の信心をとをし給へ。火をきるにやすみぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ。あしき名さへ流す。況やよき名をや。何に況や法華経ゆへの名をや。
“法華経の信心を通し貫け、絶対に途中で辞めてはいけないよ”“そして、厳然と社会で認められていくのですよ”
何とも慈愛に満ちた、信頼に満ちたお言葉ではないでしょうか。
私は、「信心は人並み仕事は人の3倍」という先生の指導が浮かびました。「社会の中に生き、社会の中で輝き、実証を示していく」という先生との約束を改めて思いました。
「信心即生活」、ここにも「即」が示されているのです。
池田先生はこの御文を通して次のように指導されています。
「社会の中で信心根本に勝利の実証を示し、人々から讃嘆されていくことが、正法実践の正しき姿である―との御文と拝せよう。正義だからこそ嫉妬もある。迫害もある。しかし、信念と誠実を貫けば、最後に必ず勝利する。いかなる苦難にも断じて負けてはならない。苦難は人間革命のチャンスなのである。圧迫されればされるほど、「挑戦」に「応戦」して、それに倍する力を発揮していくことだ。自分自身を、断固として、強くまた強く、賢くまた賢く、鍛え上げていくことだ。何ものにも負けない実力をつけていくことだ。世間体を気にしたり、迫害を恐れたり、格好をつけているのは臆病者である。臆病な信心では析りは叶わない。功徳も受けられない。仏弟子として失格である。数ではない。一人が社会で百人、千人分の存在と光っていく。大リーダーと育っていく。大リーダーと育っていく。ここにこそ「仏法即社会」「信心即生活」の展開がある。悠々と、広布と人生の「王道」を進んでいただきたい。」
さあ皆さん!、四条金吾に続きましょう!
「令和の四条金吾」と謳われようじゃありませんか!
「原田学会と戦った四条金吾」と言われようじゃありませんか!
原田学会を倒し、池田学会を取り戻して、広宣流布も自分自身の人生も、共に大勝利で飾っていきましょう。
以上
御書講義 動画サイトほか
10月度座談会御書履歴
座談会御書 「三三蔵祈雨事」2000年(平成12年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(八風抄)」2001年(平成13年)
座談会御書 「曾谷殿御返事(成仏用心抄)」2002年(平成14年)
座談会御書 「聖人御難事」2003年(平成15年)
座談会御書 「寂日房御書」2004年(平成16年)
座談会御書 「椎地四郎殿御書」2005年(平成17年)
座談会御書 「兵衛志殿御返事」2006年(平成18年)
座談会御書 「持妙法華問答抄」2007年(平成19年)
座談会御書 「乙御前御消息(身軽法重抄)」2008年(平成20年)
座談会御書 「諸法実相抄」2009年(平成21年)
座談会御書 「兄弟抄」2010年(平成22年)
座談会御書 「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」2011年(平成23年)
座談会御書 「佐渡御書」2012年(平成24年)
座談会御書 「寂日房御書」2013年(平成25年)
座談会御書 「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」2014年(平成26年)
座談会御書 「妙密上人御消息」2015年(平成27年)
座談会御書 「聖人御難事」2016年(平成28年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(八風抄)」2017年(平成29年)
座談会御書 「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」2018年(平成30年)
座談会御書 「可延定業書」2019年(平成31年)
座談会御書 「一生成仏抄」2020年(令和02年)
座談会御書 「千日尼御前御返事(真実報恩経事)」2021年(令和03年)
座談会御書 「佐渡御書」2022年(令和04年)
座談会御書「報恩抄」2023年(令和5年)
座談会御書 「聖人御難事」2024年(令和6年)
座談会御書 「法華初心成仏抄」2025年(令和07年)
10月の広布史
――「世界平和の日」――
昭和35年10月2日
■池田大作全集 第126巻 随筆 129㌻
■大道を歩む 私の人生記録
