座談会御書「持妙法華問答抄」2026年(令和8年)4月度
〈御 書〉
御書新版 519㌻2行目~6行目
御書全集 467㌻16行目~18行目
〈本 文〉
寂光の都ならずば、いずくも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて、何事か楽しみなるべき。願わくは、「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ、ただ今生の名聞、後世の弄引なるべけれ。すべからく、心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき。
〈通 解〉
(ご本尊を持ち)唱題行の実践(寂光の都)に励まなくては、どこに居ても苦しみの境涯から抜け出すことはできません。人間に本来等しく具わる〝仏の悟りの境涯〟(本覚の栖)を体得せずして一体何が楽しみというのでしょうか。願わくは「現世は安穏であり後生は善き処に生まれる」と仰せのご本尊(妙法)を受持することが、ただ今生の「名誉」であり、後の世には「成仏の手引き」となるのです。ぜひとも、心を定めて「南無妙法蓮華経」と我も唱え、友人に信心を勧めることこそ、人生最高の思い出となるのです。
〈講 義〉
今回学ぶ本抄全体の内容ですが、まず冒頭に、
「速やかに仏(仏界湧現)になるためには、いかなる〝法〟を持ち、いかなる〝修行〟をすれば良いのか。その道(方途)を聞きたい。」(趣意)とあり、このテーマに沿って前半は、
釈尊の一代聖教の中で「法華経」が最勝第一であることが問答形式で示されています。
そして後半は、
「法華経」をどのような心得で持ち、どのように修行すれば成仏するのか——という「問い」に答えたのが後半のすべてであり、今回学ぶ御文はその結論部分にあたります。
それではもう一度本文を見てみましょう。
寂光の都ならずば、いずくも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて、何事か楽しみなるべき。願わくは、「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ、ただ今生の名聞、後世の弄引(ろういん)なるべけれ。すべからく、心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき。
ここに「寂光の都」とありますが、大聖人は「妙法を修行する場所はどこでも寂光土の都である。」(最蓮房御返事、趣意)と仰せです。また「本覚の栖」とは現代風に表現すれば、何があっても絶対に壊れない「幸福境涯」(仏界)と言い換えることもできます。
私たちで言えば、〝自宅の一番良いところに御本尊様をご安置していても、御本尊様を信じて題目をあげる実践(修行)がなければ、苦難を乗り越え、絶対に崩れない幸福境涯の人生を歩むことはできません〟という意味です。
大聖人は「苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(衆生所遊楽御書)と仰せです。
唱題行は生命を根底から蘇生させる修行です。自身の中にある仏界を湧現させる方途です。苦しい時も、楽しい時も、ともに唱題行に励むのが真の「受持」であり「信心」です。
大聖人は、法華経の信仰ゆえに所領を没収されるなどの難に遭い、夫に先立たれ、幼い子供を抱えて自身も病弱であった妙一尼という女性に、
「信心というのは決して特別なことではないのですよ。妻が夫をいとおしく思うように、夫が妻のためには命を捨てるように、また子供が母親から離れないように、そのように御本尊を信じ、題目を唱えることを信心というのです。」(妙一尼御前御返事、趣意)
と激励の手紙を贈られています。
また別の見方をすれば、今回の御文はある意味で「人間はいかに生きるべきか」「人生の目的とは何か」という難問中の難問に対する明確な答えが示されていると思います。
この難問については古来より幾多の賢人や聖人が思索を重ねていますが、いまだ明確な答えは示されていないように思います。
「人生の目的とは何か」と人に質問すれば、大抵は「幸福になること」「幸せな人生を生きること」等と答えます。確かに誰も不幸を目指して生きている人などいません。
人生の目的が「幸福の追求」にあることについては、多くの人の意見がほぼ一致していると思います。しかし、ひとたび幸福の内容とは「如何なるものか」ということになると、ぼんやりとしたイメージしかなく人それぞれ意見は異なります。
たとえば、幸福とは「お金持ちになること」「家族を持つこと」「出世すること」「人間らしく生きること」「満足した人生を送ること」「仕事に打ち込むこと」「子供から愛されること」等々、数え上げればきりがないくらい千差万別です。
人に向かって、いくら〝人生の目的は幸福の追求にある〟と熱弁しても、幸福の内容が明確にされず、その幸福を確立するための方途が示されない限り、人々の生活に根差した「生きた宗教」とは言えないし、民衆の賛同を得ることはできません。
仏法では、人間の「幸・不幸」は根本的には人間生命の〝境涯の問題〟であるとし、その境涯を十種類(十界)の範ちゅうに分けた「十界論」という法理が説かれています。
十界論が説かれた意義は端的にいうと、民衆に〝幸福の内容や程度を測る尺度の違い〟を理解させるためであると言えます。
また境涯とは、色心不二なる生命状態の総合的な把握を意味します。すなわち十界論は生命の真実の姿(実相)を境涯として統一的にとらえているのです。そして仏界の湧現(成仏)こそが人生の究極の目的であると仏法は説いています。ここに色心不二の生命観を根底として、あらゆる人間の「幸・不幸」の真実の姿(実相)が解明されました。
さらに日蓮大聖人は、末法の衆生——いわゆる十界すべての生命に本源的に具わる仏界(絶対的幸福境涯)を胸中から湧現させる方途(修行法)を確立し、万人に提示しました。
その答えが、今日の御文の結論です。すなわち、「三大秘法たる人法一箇の御本尊をただ信じ、心を定めて南無妙法蓮華経と我も唱え、人にも進める広宣流布の生き方こそが、胸中に崩れざる仏界(絶対的幸福境涯)を湧現する唯一の道(修行)であり、それが人生最高の思い出となるのです」(持妙法華問答抄、意訳)との一節です。
言葉を変えれば、末法は「修行即成仏」「成仏即修行」とも言えます。題目を唱える実践なくして真実の幸福はなく、最高の人生などあり得ません。
生涯勉強・生涯修行・生涯成長——このように自覚して信心に励んでいくことが、一番正しい生き方であると確信します。
最後に、池田先生は「方便品寿量品講義」の中で次のように指導されています。
「大聖人が己心に顕された『仏の一心』『無作の三身の仏果』を、私たち末法の一切衆生のために、もったいなくも顕してくださったのが御本尊です。末法において一心に求めるべき仏とは、御本尊にほかなりません。」と——。
この指導を私たちは心に刻み、血肉として、今日から決意も新たに題目を唱えながら仲良く前進していきましょう。
以上です。
御書講義 動画サイト
4月度座談会御書履歴
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