日蓮大聖人の破折に学ぶ~極楽寺良観を僣聖増上慢と指弾し、その働きを呼び起こす

四条金吾殿御返事

夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり

日蓮大聖人の大願は一閻浮提広宣流布による立正安国ですから、そこに至る過程では諸宗教との対決は避けられないことである故に「仏法は勝負」となります。大聖人は何度も公場での対決を期してもいました。

そうです。

「仏法は勝負」といっても世法・国法での勝負が主眼ではなく、「法の邪正を決することでの勝負」です。

その勝負というのも、広宣流布へ至る『過程』でのことですから、目的ではありません。勝負と勝利が目的化していたのでは、かえって大聖人の大願を捻じ曲げてしまうことにもなるでしょう。「目的は勝負の先にある光景、一閻浮提広宣流布・立正安国」なのです。

大聖人が求める仏法の勝負に世法・国法で応戦したのが、かの極楽寺良観と諸宗の僧、平左衛門尉頼綱でした。

文永8年6月、祈雨の勝負で良観と諸宗の僧が七日間祈れど、「旱魃(かんばつ)弥(いよいよ)興盛に、八風ますます吹き重なりて民のなげき弥々深し。」(頼基陳状)との惨状。

怒りに震える良観らは大聖人を幕府に訴え、権力者の夫人たちに讒言を構えてたきつける。9月10日の大聖人と平左衛門尉頼綱との対面では、諸僧との公場対決を迫り自界叛逆難と他国侵逼難を警告する大聖人に、頼綱は「太政(だいじょう)入道のくる(狂)ひしやうに、すこしもはゞかる事なく物にくるう」(種種御振舞御書) と、平清盛がそうであったように少しも辺りをはばかることもなく猛り狂いました。

その後は、12日に頼綱一行が鎌倉の草庵を襲い、乱暴狼藉を働くかのように大聖人を捕えての、あの竜口の首の座です。

仏法の勝負を求めた日蓮大聖人。

世法・国法次元で、否、裏での結託、謀略で事実上、権力を私物化して大聖人をなきものにせんとした幕府の一部と良観・諸僧らの反日蓮勢力。

仏法に仏法で応じることなく、応じることもできず、話すらもできず、恐れおののき、臆病の心を転じた修羅の怒りと権力にすがりついて、相手の悪しきイメージを吹聴して圧殺しようとする。

そんな極楽寺良観を予見していたかのように、文永5年10月、大聖人は痛烈な一言を放っています。

僣聖増上慢にして今生は国賊・来世は那落に堕在せんこと必定なり、聊かも先非を悔いなば日蓮に帰す可し 

極楽寺良観への御状

さて、この日蓮大聖人が挑んだ僣聖増上慢が「教えてくれたこと」は、仏法に仏法で応じない、応じることができない。まともに対話もできない。権威権力に依って立ち、仏法で依って立つことがない。宗教次元よりも世俗の権力を求め、権力により事を成さんとする。世法・国法はもちろん、策と方法により他者を圧殺せんとする・・・これらは大切なテーマでもあり、今後もじっくりと考えていきたいと思います。

                          林 信男