島国の権力を見下ろす仏教的世界観に生きた日蓮大聖人

文永5年(1268) 1月、蒙古の使者が国書を携えて日本に到着。

騒然とする鎌倉の中にあって、権力者に互角以上で相対した日蓮大聖人。

種種御振舞御書

去ぬる文永五年後の正月十八日、西戎大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状をわたす。日蓮が去ぬる文応元年[太歳庚申]に勘えたりし立正安国論、今すこしもたがわず符号しぬ。此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず、末代の不思議なに事かこれにすぎん。賢王聖主の御世ならば日本第一の権状にもをこなわれ、現身に大師号もあるべし。定めて御たづねありていくさの僉義をもいゐあわせ、調伏なんども申しつけられぬらんとをもひしに其の義なかりしかば、其の年の末十月に十一通の状をかきてかたがたへをどろかし申す。

「かねてから警告していた他国侵逼難が眼前となった今、何をもたもたしているのか」とばかりに、幕府要路を、鎌倉仏教界の高僧を叱咤し諫める大聖人。

この何憚ることもない恐れを知らぬ強さ、逞しさ、堂々たる言葉、自身に満ちた行動はいったいどこから出てくるのでしょうか?

実質的な最高権力者、国主といえる人物を向こうまわして仏教の正邪、道理を説くことが「できる」ということ自体、私達が知らない大聖人の「社会的立場・階層」というものがあるのかもしれませんし、少なくとも権力に至る相当な人脈、つながりがあったことは確かでしょう。

ここではその角度は今後の究明ということで横に置くとして、本題について一言でいえば、「但偏に国の為、法の為、人の為にして身の為に之を申さず」(安国論御勘由来)との「宗教的使命感」ともいえるのでしょうが、それは必死になってただいたずらに身命を投げ出していたというよりも、「仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり、主なり、親なり」との透徹した「宗教的世界観」が大聖人の内面で確固たるものとして確立されていた故ではないか、と考えるのです。

ここで当時の、北条一門の主要人物を概観してみましょう。

北条時頼は宝治2年(1248)、禅僧・道元を鎌倉に招いています。建長5年(1253)11月、南宋より渡来の禅僧・蘭渓道隆(大覚禅師)を招き建長寺を創建。続いて同じ南宋の渡来僧・兀庵普寧(ごったんふねい)を招じて建長寺2世として師事、参禅してその教えを受けるようになります。建長寺では地蔵菩薩を本尊としますが、兀庵普寧は「自己より下位たる地蔵菩薩の礼拝はなさず」としていたことが伝承されています。

北条時頼と子の時宗は、大聖人が「守護国家論」で「禅宗等の人云く『一代聖教は月を指す指・天地日月等も汝等が妄心より出でたり十方の浄土も執心の影像なり釈迦十方の仏陀は汝が覚心の所変・文字に執する者は株を守る愚人なり。我が達磨大師は文字を立てず方便を仮らず、一代聖教の外に仏迦葉に印して此の法を伝う法華経等は未だ真実を宣べず』」と記した禅宗の熱心な信奉者でした。

「立正安国論」進呈時、かつ伊豆配流の時の第6代執権・北条長時は、建長3年(1251)に浄光明寺を創建して開山に真阿(真聖国師)を迎え、浄土、真言、華厳、律の四習兼学の寺としたことが伝えられています。長時は文永元年(1264)に死去、浄光明寺に葬られます。

長時の父親・北条重時(第2代執権・北条義時の三男)は連署として北条時頼を補佐し、正元元年(1259)、極楽寺を藤沢より鎌倉に移して隠居、極楽寺殿と呼ばれています。弘長元年(1261)、同寺で没しました。

建治3年(1277)11月20日の「兵衛志殿御返事」には、「極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし、念仏者等にたぼらかされて日蓮を怨ませ給いしかば、我が身といい其の一門皆ほろびさせ給う。ただいまはへちご(越後)の守殿一人計りなり」とあり、念仏者に近い人物だったことが窺われま。尚、重時の死後、浄土宗であった極楽寺は真言律宗に改められ、良観に寄進されます。

「安国論御勘由来」を法鑑房に報じた文永5年(1268)は、第7代執権・北条政村(第2代執権・北条義時の五男)より第8代執権・北条時宗に代替わりした年です。時宗は父・時頼と親交のあった蘭渓道隆、兀庵普寧そして同じ禅僧の大休正念にも学んだと伝えられます。弘安5年(1282)には、元寇戦没者の追悼の為に宋の禅僧・無学祖元を招いて円覚寺を創建しました。

これら北条各氏の仏教宗派は禅、真言、浄土、律等と多彩なものになっており、江戸時代に見られるような「家の宗教」というよりも、「個人としての宗教」であった中世の特色を示しているように思われます。

そのような「北条一門」に向かい合った大聖人ですが、久遠の仏こそが三界の国主であり、一切衆生の師匠・親であるとして記述しています。

「神国王御書」文永12年(1275)2月(または建治3年[1277]8月21日)

仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり、主なり、親なり。三界の諸王は皆此の釈迦仏より分かち給ひて、諸国の総領・別領等の主となし給へり。故に梵釈等は此の仏を或は木像、或は画像等にあがめ給ふ。須臾も相背かば梵王の高台もくづれ、帝釈の喜見もやぶれ、輪王もかほり落ち給ふべし。

神と申すは又国々の国主等の崩去し給へるを生身のごとくあがめ給う。此又国王・国人のための父母なり、主君なり、師匠なり。片時もそむかば国安穏なるべからず。此を崇むれば国は三災を消し七難を払ひ、人は病なく長寿を持ち、後生には人天と三乗と仏となり給ふべし。

意訳

仏というのは三界の国主であり、大梵天王、第六天の魔王、帝釈天王、日月天、四天王、転輪聖王及び諸王の師であり主であり親なのである。三界の諸王は皆、久遠実成の釈尊(久遠の仏)より分けいただいて諸国の総領・別領の主となったのである。故に大梵天王、帝釈天等は釈尊をあるいは木像、あるいは画像として崇めているのである。もしわずかでも久遠の仏に背くならば、大梵天王の高台は崩れ、帝釈天王の喜見城も破れ、転輪聖王の宝冠も地に落ちてしまうことであろう。

神というものは、国々の国主等が崩御されたのを生身の如くに崇め奉っているものである。神もまた現在の国王や人々の父母であり、主君であり、師匠なのである。片時でも神に背くことがあるならば、国は安穏とはならないのである。神を尊崇するならば、国は三災を消し、七難を打ち払い、人々は病に侵されることなく長寿となり、後生には人界、天界、三乗(声聞・縁覚・菩薩)、仏となることであろう。

日本の朝廷やそれを凌ぐ権勢をふるった鎌倉幕府の執権、高官と雖も、三界の国主たる釈尊より「分かち給」わって、「諸国の総領・別領等の主」となっている。ここで言われる釈尊とは、常の大聖人の思考と教説からすれば「人間釈迦」ではなく久遠実成の釈尊・久遠の本仏と理解されます。

「神国王御書」からは、世俗的権威、権力、階層は宗教的世界に内在されてしまう、というものが大聖人の宗教的世界観であったことが読み取れるのではないでしょうか。宗教的思考が世俗的思考を超越しているのです。このような世界観、宗教的思考であれば、鎌倉幕府の膝元での大聖人の激しい法華勧奨の活動も、臆しためらうことなき国主への勘文の提出も至極当然のことであり、その後の、

法師品第十

「此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや」

「若し此の経を説かん時 人あって悪口し罵り 刀杖瓦石を加うとも 仏を念ずるが故に忍ぶべし」

勧持品第十三

「濁劫悪世の中には 多くの諸の恐怖あらん 悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん」「悪口して顰蹙し 数数擯出せられ塔寺を遠離せん」

安楽行品第十四

「一切世間に怨多くして信じ難く」

常不軽菩薩品第二十

「悪口罵詈」

「杖木瓦石を以て之を打擲」

これら法華経の説示通りの法難というものも、大聖人の将来展望では既定路線「法華経伝道者たるの証明として必要なもの」としていたように見られるのです。

日蓮大聖人が権力に対する時、謗法諸宗禁断・法華受持勧奨という権力者の宗教観の覚醒と同時に、「三界の国主たる仏より分かち賜って、今、日本国の為政者としてそこにある」という一国の指導者としての社会観の覚醒、宗教的使命を自覚することによる善政を促す意が含まれていたのではないかと思うのです。

※「仏教的世界観」が思考の中心にあればこそ、島国の権力を見下ろしながら法華経と題目の勧奨を敢然と成し、難を呼び起こした日蓮大聖人。いわば「あなた方は妙法の世界に包まれているのです」とされた大聖人ですが、その大聖人自身が文永8年の法難を契機として妙法曼荼羅を顕し、「妙法の世界を創る主体へと昇華していく過程と展開」を俯瞰すると、その振る舞いが「久遠の仏」であり、「第三の法門の創出者たる末法の教主」であったと理解できるのではないでしょうか。

◇三界=欲界、色界、無色界のこと

① 欲界=種々の欲望が渦巻きそれに捉われた有情世界。地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界の一部である六欲天をいう。

< 欲界・六欲天 >

地居天=

・四大王衆天(六欲天の初天で帝釈天の外将 須弥山の中腹・由犍陀羅山にある四頭を欲界六欲天の最下・四天王・四大王衆天といい、その主が四天王とされる。東方持国天王、南方増長天王、西方広目天王、北方多聞天王)

・忉利天(六欲天の第二天  須弥山山頂、閻浮提の上8万由旬に位置し帝釈天の住処  三十三天とも)

空居天=

・夜摩天(六欲天の第三天 時に随い快楽を受ける処  焔摩天とも)

・兜率天(六欲天の第四天 須弥山山頂12由旬の処  覩史多天とも)

・化楽天(六欲天の第五天 自己の対境・五境を変化して娯楽の境地とする天  楽変化天とも)

・他化自在天(六欲天の第六天で最高位  欲界の天主大魔王たる第六天魔王波旬[悪魔]の住処)

② 色界=種々の欲望から離れたが色(物質的制約)に捉われている有情の世界。天界の一部である四禅天をさす。

< 色界・四禅天 >

初禅天=

・梵衆天(大梵天王の領地する天衆)

・梵輔天(大梵天王の輔相の臣下たる天)

・大梵天(色界四禅天の中の初禅天に住し色界及び娑婆世界を統領している天)

第二禅天=

・少光天(身体から光明を放つ天)

・無量光天(身体から無量の光明を放つ天)

・光音天・極光浄天(口中より浄光を放ち音声となす天)

第三禅天=

・少浄天(意識清浄、喜びに満ちる[楽受]天 身長16由旬 寿命16劫)

・無量浄天(意識清浄、無量の喜びに満ちる[楽受]天 身長32由旬 寿命32劫)

・遍浄天(浄光が遍く周り、快楽と清浄も遍く周る天 身長64由旬 寿命64劫)

第四禅天=

・無雲天(雲上の無雲処にいる天)

・福生天(福徳により生ずる天 身長250由旬 寿命250劫)

・広果天(心想なき有情である天)

・無煩天(欲界、色界の苦楽を超越した煩いなき天)

・無熱天(依処なく清涼自在、熱き煩いなき天)

・善現天(善妙の果報が現れる天)

・善見天(自由自在に十方を見渡すこと障碍なき天)

・色究竟天(欲望と物質の存在なき精神世界・無色界の手前、清浄なる物質・肉体の存在する色界の最上位の天)

③ 無色界=欲望と物質的制約から離れた精神世界であり天界のうち四空処天をさす。

<無色界・四空処天 >

・空無辺処天=無色界の下から一番目、物質的存在のない空間における無限性の三昧の境地

・識無辺処天=下から二番目、認識作用における無辺性について三昧の境地

・無所有処天=下から三番目、いかなるものの存在もない三昧の境地

・非想非非想処天=天界のうち最高の天、有頂天とも

◇帝釈天王=ヴェーダ神話上の最高神で雷神、欲界第二忉利天の主、須弥山の頂の喜見城に住す、他の三十二天を統領する

◇日月天=日天子は日宮殿[太陽]に住む天人、月天子は月を宮殿とする天人

◇転輪聖王=七宝・三十二相を備える人界の王で天から輪宝を感得。これを転じながら障害を砕き、四方を調伏していくという武力によらず、正法により一閻浮提を統治するインド古来の伝説上の理想の王

◇梵王の高台=初禅天の第二・梵輔天にある高台閣であり大梵天王の住処

                          林 信男