私論「折伏について」(6)
投稿者:鬼滅の言
第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし
辧殿尼御前御書(大兵興起御書) 御書p.1,224
第六天の魔王は、十軍(種々・煩悩の魔軍)の戦を起こして、法華経の行者と生死の苦海にあって、凡夫と聖人の住む娑婆世界を守り、奪おうと争っている。日蓮は第六天の魔王と戦う身であり、大兵を起こして二十余年である。日蓮は一度も退く心はないのである。
(意訳)
今回は仏と魔との観点から折伏について考えてみます。
大兵興起御書では第六天の魔王が、種々の煩悩の魔軍でもって、仏の軍勢に挑み、この娑婆世界の争奪戦を展開していると説いています。
つまり、仏と魔とはこの現実世界を奪い合っているのです。
魔とは奪功徳者です。功徳を奪う者とは、人々の生命力を奪い、人々の幸福を奪い、不幸にする働きであり生命です。
仏とは人々の幸福を願い、人々を救済する働きであり生命です。
日々、報道される悲惨な事件や事故。毎日、毎日、不幸に泣く人が増え続けています。それは、第六天の魔王が蹂躙する世界になっているからです。
大聖人の真の仏法を奉持して邪宗ののさばるにまかせているのは、だれの罪かと私は自問した。「これは創価学会を率いる者の罪である」と自答せざるをえないのである。
創価学会の歴史と確信 戸田先生
民衆救済の旗を掲げながら、不幸にあえぐ人々を救おうとしないのは、だれの罪か?
それは私たち創価学会員の罪なのです。折伏をしない私たちの罪なのです。
「検事の使命を達成していない」(潮・2013年3月号)
大阪事件 - その法廷闘争で池田先生は痛烈に検察を批判しました。同じく、今の創価学会も民衆救済という使命を達成していないのです。
<聖教新聞の啓蒙と支援活動について>
聖教新聞を購読してくれた友人が、人々の幸せのために尽くしてくれるでしょうか?
公明党の支援をしてくれた友人が、人々の幸せのために尽くしてくれるでしょうか?
聖教新聞を購読してくれた友人が、幸福になれるでしょうか?
公明党の支援をしてくれた友人が、幸福になれるでしょうか?
折伏をしない限り、人々を幸せにすることはできないのです。
折伏をしない限り、友人が人々のために尽くす生命にはならないのです。
折伏をしない限り、社会は絶対に良くはならないのです。
<オウム事件について>
オウム事件が起こった時、私は思いました。なぜ、真面目に人生に悩んだ彼ら青年をを救うことが出来なかったのか?
なぜ、折伏の手が!折伏の声が!彼らに届かなかったのか?なぜ、オウム真理教だったのか?・・・そう思うと無念でなりません。
オウム事件 - その遠因は、実は私たちに責任があったのではないか?と私は思っています。
もう1度、言います。
聖教新聞の購読者が増え、公明党が勝利しても
社会は良くはならないのです。
折伏をしない限り、絶対に社会は良くはならないのです。
私たちの本業は折伏です。私はそう思います!
次回は慈悲の観点から折伏について考えたいと思います。