【投書】会長就任60周年に思う --忘恩の歴史に目を閉ざすものは 現在にも盲目となる。
投書者:エグモント
会長就任60周年に思う
ーー忘恩の歴史に目を閉ざすものは
現在にも盲目となる。
60年前の1960年(昭和35年)5月3日。
池田先生が創価学会第三代会長に就任された。
「病気になるか、死ぬか、自殺するか、精神に異常をきたすか、それくらい、生命への猛烈な圧迫がある」(池田大作全集29 法華経の智慧 494ページ)といわれるほどの会長職を、弟子が懇願して受けていただいたのである。
しかし、それから19年後の1979年(昭和54年)
4月24日に第三代会長を辞任。当時の最高幹部は宗門の圧力に屈して池田先生を辞任させてしまった。
「妻が、まぶしそうに言った。
『まるで、十九年前と同じ天気ですね……』
確かに一九六〇年(昭和三十五年)、私が第三代会長に就任した日も、快晴であった。」
(随筆 桜の城 昭和54年5月3日 獅子となりて我は一人征く)
辞任の時、会長就任の日と同じ快晴の空をご覧になられて、どんなお気持ちであったか。
戸田先生が「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」(随筆 桜の城 嵐の4.24)
と遺言された「第三代会長」の在任期間は「19年」だった。
当時の最高幹部の一人だった秋谷前会長は、
「今もって本当に申しわけなく、また情けなく、悔しくてならないのは、あの昭和54年4月24日の第三代会長御勇退である。嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。それと結託した裏切り者どもの謀略があった。だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いてしまったのは、すべて私ども執行部の罪である。」
(聖教新聞2006年4月11日 「五月三日へ私の誓い」)
と述べている。
全ては池田先生あっての私たちである。
その師を裏切ったことは、最大の「忘恩の歴史」である。
この事実を多くの人が認識することが、まるで「撹乱」のように思うむきがあるようだが、この「忘恩の歴史」をはっきり認識することの何が問題なのか。
もしかしたら、この「負の歴史」を認めることが、自分が「責められている」と感じる人がいるのかもしれない。しかし、厳しい歴史の事実と向き合うことは、自分自身のなかにも、外にもある「忘恩の生命」と戦うということになる。
過ちを繰り返さないためには、過ちの歴史に目を閉ざすことなく、その事実をはっきりと認識することが、現在と未来にわたって「魔に食い破られ」「その虜と成り果て」(前掲 聖教新聞2006年4月11日)ることを防ぐ第一歩になると思う。
現在と未来にわたって、師の精神を守ろうと志すものは、師に対する「忘恩の歴史」に目を閉ざしてはならない。