産湯相承物語(1)

1 はじめに


「父母は誰れぞ名字は如何に」(全p149) 、「父母と生ぜし所と死せし所を委く沙汰し問うべし」(全p382) 。


 言うまでもなく、日蓮大聖人が大日如来について述べられたことだが、翻って日蓮大聖人について、その父上と母上を尋ねられた時、適確に答えられる人がどれほどいるだろうか。
また、仮に答えることができたとして、その答えに明確な根拠 を示すことはできるだろうか。


私はこの問いに対する答えの一つが産湯相承にあると考えているが、伝承の違いによるものか、内容に差異の認められる写本が存在しており、その代表的な刊本 として、御書全集にも収録されている保田妙本寺本を底本とする産湯相承事 (以下「保田本」という)、同系写本とされる左京阿闍梨日教による『類聚翰集私』に収められた産湯相承ノ事 (以下「日教本」という)、また、身延山久遠寺11世日朝が「富士方より出たる抄物也」として同寺12世日意に見せたものを日意が書写したという御実名縁起 がある。


以下、叙述の都合上、保田本、日教本、御実名縁起の3本に共通する内容を便宜的に産湯相承と呼び、それ以外の内容に言及する場合については、各本の名称を個別に挙げることとする。


なお、産湯相承に自受用報身如来という用語が使用されていること、天照太神降臨の地を出雲とすることなど、日蓮大聖人の御真筆の残されている他の御書の中には見られない内容が含まれるとともに、伝えられる夢の内容も俄に受入れ難いことが考えられ、他の遺文のように快く受け入れられている状況にあるとは言えないだけでなく、産湯相承そのものが日興上人の名を借りて後代に作成されたと見られることもある 。


しかしながら、産湯相承が富士門流において相伝として伝承されてきたことは歴史的事実であり、そこには何らかの理由もあったものと考えられる。


さらに、相伝書という位置づけからは、公表を前提として作成、編纂されたものではないとしても、指導的階層に伝えたい公表していない何かが含まれている可能性は否定できないし、教義の流伝に伴い乱れ分かれる解釈に一定の方向性を与える意義を持つ可能性も考えられることから、産湯相承の成立とその意味するところについて、私見をまとめておきたい。


なお、このような思いに至ったのは、現在進められている御書の改訂にあって、日蓮本仏思想が前面に出ている産湯相承事が、大聖人、日興上人の真筆というには無理があることを理由に削除されるのではないかとの危機感を有したことも理由の一つとなっている。