【投書】WELCOME「所沢問答」!

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投書者:創大5期 廣川 文彦

4期生の図斉氏はその後も、副会長2名を含む、所沢の70名余の幹部諸氏に対し、教学要綱についての「質問会の開催」を要請するメールをご送付されています。
其の度毎に、私も賛同メールを一斉返信しておりますが、ご参考まで、直近4回目の私のメール文面を以下ご紹介させていただきます。

「図斉さま、皆様
メール拝受いたしました。女性部T様のご返信メールも拝読いたしました。私も少々、思うところを述べさせていただきます。創価学会は『社会の縮図』と言われてきました。ここで一つ例を挙げます。報道にも見られる通り、今でも小・中・高でのイジメ被害は止まることがありません。このことに関し池田先生は、中学生向け『希望対話』のなかで『いじめる側が100%悪い!』と断じられておられます。

日蓮仏法の正義を護るために26本にも及ぶ論考を表し、『教学要綱』の邪義を破折されている一人の勇気ある同志・図斉氏に対し、我らはどう接するべきなのでしょうか?
図斉氏が感じているような『村八分』のような状況を、そのままにしておくことは、『創価家族』の理想を掲げる我らにとって、如何なるものなのでしょうか?

苛めを阻止しようとしたら、自分もいじめられる側になることを恐れて、傍観者を決め込むクラスメート達。はたまた、自分を守るためか、一緒になって弱い立場の当事者をさらに追い込む者もいる。また、『これが現実なのだ』と不甲斐ない自己を正当化し、イジメを放置。そして何の知恵も出すことなく改善の努力をあきらめる・・。このような状態で、クラスや社会が良くなることがあるのでしょうか?

現在、図斉氏のメールの宛先になっている70数名の幹部の皆さん!図斉氏からはその後、皆様からのご返信無き旨、伺っております。この所沢の我々が、現今の創価学会の縮図になってしまっているのではないでしょうか?見て見ぬ振りを決め込む事は、先生のご精神にそぐわぬ事は明白です。現況打破のため、私なりに以下、現時点での大まかな分類・分析を試みてみました。

①  図斉氏が指摘している、根本教義の改ざん・改悪に興味がない。自分ももう歳だし。
②  『教学要綱』が、先生の講義・ご指導と、そんなに違うとは思わない。
③ 『教学要綱』の内容は、先生の講義・ご指南と異なるが、時の流れには逆らえない。

①に当てはまる方は、大聖人様が『聖人御難事』(P1191)のなかで、『物おぼえず』と指摘された、求道心なき、学ばない人と言えましょう。『学は光。学ばずは卑し!』は先生のご指導です。元副教学部長須田晴夫氏の著書:『「創価学会教学要綱」と日蓮本仏論の考察』(鳥影社)を即購入し、精読して下さい。現状認識をしっかりすることを推奨します。

②に当たる方は、自分自身の教学力の無さを真剣に反省して下さい。そして図斉氏の論考を熟読してみて下さい。先生の2010年以前の講義録等の再読もお勧めします。

③に当たる方は同じく『聖人御難事』にある:『をくびょう(臆病)』そのものの人です。教行証御書P1282に『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』とあります。創価学会を護るとはどういうことなのか?また、自らが、先生の弟子としての生涯を全うするとはどういうことか?自問してみて下さい。

最後に一つ、言うまでもなく仏教を論ずるうえで、『化義』と『化法』は重要な基本です。時代や国・地域によって修行や弘教の方法は柔軟に変えても良い。これが『化義』です。
一方、『化法』とは根本教義・本質的な教えのことで、時代を超えて変えてはならないものです。
2023年11月18日発刊の『創価学会教学要綱』(公式教義書)では、この変えてはいけない『化法』を先生のご指南に背いて、変えてしまっているのです。『この誤りを、先生のご指導通りに、正すべし』と諫言しているのが図斉氏なのです。

この状況に対して、仏法者として、また池田門下生として、どのような態度を取るべきか?が問われているのです。
終わりに、所沢の地に原田教学部長をお招きして『教学要綱の質問会』の開催を提案・念願致すものです。」

メール文面はここまで

私共は教学要綱についての質問会の開催を再々要請していますが、これが実現したならば、実質的には「所沢問答」になっていくのではないかと推測しています。何故かなら、日蓮仏法の根幹教義については、馴れ合いの議論は許されないからです。

ここで一点確認しておきたいことは、三代会長が護持してきた日興門流の教義と、教団としての日蓮正宗とは区別して考える必要があるということです。これを念頭において、振り返るに、1955年3月11日、日蓮宗身延派と創価学会との間で「小樽問答」が行われました。
池田先生の司会のもと、日蓮宗身延派の邪義は徹底的に破折されたのです。
あれから71年の、まさかが実現?
一大秘法を「御本尊」⇒「お題目」に変更してしまった創価学会教学部。これでは身延派と同じではないのか?!そして、真正の池田門下生達が、その誤りを糺す日が来ようとは・・よもや、思いもよらぬことであった。
そして後世の同志諸氏は、これを令和の「所沢問答」として語り継ぐのであろうか?

人間革命9巻、「小樽問答」の章に、先生の闘いを描く、以下を紹介し終わりにします。
「山本伸一は、“よし!さあ、来い!”と心のなかでつぶやき、司会席に着いた。彼は、この時、自然に御書の一節が、一瞬、胸に浮かんで消えた。
「邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は獅子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」(P957)」

所沢市在住 創大5期 廣川文彦

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