座談会御書「阿仏房御書(宝塔御書)」2026年(令和8年)3月度
〈御 書〉
御書新版 1732㌻10行目~12行目
御書全集 1304㌻6行目~8行目
〈本 文〉
末法に入て法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若し然れば貴賎上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなうるものは、我身宝塔にして、我身又多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり。宝塔又南無妙法蓮華経なり。
〈背 景〉
今回学ぶのは「阿仏房御書」です。別名を宝塔御書と言います。
最初に、この御書の対告衆である阿仏房についてお話します。
阿仏房は俗姓を遠藤爲盛(ためもり)といい、元は念仏者であったようですが、佐渡に配流された大聖人に問答を挑んで敗れ、その人格に感銘を受けて門下となったと伝わっています。その妻は千日尼と称され、夫の阿仏房と共に在島中の大聖人や、大聖人に随侍する門弟たちを給仕しました。大聖人が書かれた千日尼宛ての書状に「佐渡国府阿仏房尼御前」とあり、塚原三昧堂近郊の国府(現在の佐渡市畑野町下畑)に住していたものと思われます。その外護の様子は、「千日尼御前御返事」に、
「地頭・地頭等、念仏者・念仏者等、日蓮が庵室に昼夜に立ちそいて、かよう人をあるをまどわさんとせめしに、阿仏房にひつ(櫃)をしをわせ、夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわするらむ。只悲母の佐渡の国に生まれかわりて有るか。」(新版ー一七三五頁)
と記されています。地頭や念仏者たちが大聖人のいる三昧堂を昼も夜も見張っては、訪れてくる人を妨害して捕まえようとしている中で、危険を顧みず、そのすきをついて夜中に「櫃(ひつ)」を背負って、何度も大聖人に食料などを届けられたその勇気と真心に、心からの感謝をされています。こうした大聖人への帰依を通じて阿仏房夫妻は、同じ佐渡在住の国府(こう)入道夫妻や一谷(いちのさわ)入道夫妻とも日常の交流があり、団結していたようです。
大聖人が身延入山された後は、高齢にもかかわらず、佐渡から身延まで二十日以上の道のりをしのいで、国府入道らと共に三度にわたって登山を果たしました。そうした佐渡門下の身延訪問の様子は国府入道への手紙に、
「さどの国より此の甲州まで入道の来たりしかば、あらふしぎやとをもひしに、又今年来て、な(菜)つみ、水くみ、たきぎこり、だん(檀)王の阿志仙人につかへしがごとくして一月に及びぬる不思議さよ。ふで(筆)をもちてつくしがたし。」(新版―一七七二頁)
と記されています。昨年、はるか佐渡からこの身延まで来た時には本当に驚いたが、一度ならずまた今年も来て、山菜を摘んだり、水汲みしたり、薪を切ったりと、一か月も私に給仕してくれた事は、とても筆に書き表すことはできない。と感謝された上、大聖人より法華経十巻及び御本尊を賜っています。
その後阿仏房は、弘安二年三月二十一日に死去し、その遺骨は子息・藤九郎盛綱(もりつな)によって身延に運ばれ埋葬されました。
阿仏房亡き後も、妻千日尼はもとより、子供や孫たちも立派にその信仰を継承し、大聖人滅後も一族は日興上人を師事して曾孫の代まで信仰を護り、佐渡の法華講衆形成に貢献しました。
〈講 義〉
今回学ぶ「阿仏房御書」は、1276年(建治二年)3月13日、日蓮大聖人様が55歳の時に書かれたお手紙で、阿仏房が、『宝塔品』に出現する「宝塔」とは何を表しているのかと質問したことに対する返状です。
まず、宝塔には二乗作仏を証明した迹門証前の宝塔と、久遠実成を表した本門起後の宝塔があるとして、所詮は己心の宝塔を見ることであり、末法においては南無妙法蓮華経と唱える者の身が宝塔であり多宝如来であると述べられています。よって阿仏房こそ宝塔であり、北国の導師ともいうべきであろうと述べられ、御本尊を授与されています。
それでは、本文を拝読いたします。
「末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり 宝塔又南無妙法蓮華経なり。」
大聖人は「南無妙法蓮華経」こそが宝塔であり、法華経の見宝塔品で語られる多宝如来の宝塔は南妙法蓮華経を体現している、と教えられています。
そして、末法に入って法華経を持つ男女の姿より外には宝塔はない、であるから身分の貴賤や上下に関係なく、南無妙法蓮華経と唱えるものは我が身が宝塔となり、又多宝如来となる、と断言されています。
同じ内容が「日女御前御返事」にはより実践的に述べられています。即ち、
「この御本尊全く余所に求むる事なかれ。ただ我ら衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり。(中略)この御本尊もただ信心の二字におさまれり。この御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。」と。
それぞれの御書に出てくる傍線部の「法華経を持つ男女」、「法華経を持ちて」の「法華経」とは御本尊を指します。即ち御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱えるとき、境智冥合して我が身に御本尊(宝塔)が備わり、我が身が宝塔となると仰せなのです。これが末法における成仏であり、この成仏には身分や立場、能力などは一切関係なく、ただ「信心」のみがそれを成し得ると仰せであります。
私たちはこの末法の時代に、この素晴らしい日蓮大聖人の仏法に出会い、創価三代の会長のご指導のもとで、ご本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え続けてまいりました。
今回学んでいるこの御書の本文を真っ直ぐとらえて拝読していけば間違いなく私たち一人一人が宝塔であり多宝如来であると言えます。我が身が宝塔であり多宝如来ならば、乗り越えられない困難などあるはずがありません。一人一人の人生には時に様々な困難が起こり自信を失いかける時もあると思います。しかし、その時こそこの御文を思い出し、勇気をもって御本尊に向かうことが大切であると改めて感じました。
この阿仏房御書を最初から最後まで通して何度も拝読して行きますと、自らの使命を自覚して、ご本尊に祈りながらその使命を果たしていこうとする生き方こそが最も尊い生き方であると確信できます。自らの使命=出世の本懐を自覚しその約束に向かって突き進む人生がこの阿仏房御書の結論だと私は思います。
さて話は変わりますが現在の創価学会の原田会長及び執行部達は三代会長が命がけで築いて来られた学会を、そして偉大な池田先生のご指導と実績をことごとく破壊して参りました。教学要綱では大聖人様を釈迦の使い扱いし、一大秘法を否定し、人法一箇を否定して法宝を「御本尊」から「題目」に変えてしまいました。その意味では、この阿仏房御書も「題目さえ唱えれば我が身が宝塔なんだから御本尊は要らないんだ」とい言いたいがために「切り文」として使ったのかもしれません。しかし、本抄全体をよく読めば、大聖人は阿仏房に御本尊を授与しており、しかもそれを「出世の本懐」とされ、更に最後には「夫婦二人でしっかり拝んでいきなさい」と結ばれています。これこそ御本尊が「一大秘法」である何よりの証拠であり、御本尊こそが「法宝」であることを裏付ける文証ではありませんか。
こんな事もわからず、「こざかしい畜生」を地で突き進む現創価執行部に率いられた多くの会員が可哀想でなりません。
教学要綱を書いた東大出身の宮田教授も、高い学歴を持つ創価執行部も一周回って実はバカなんじゃないかと思えます。
私は学歴はありませんが、男子部以来、ただただ素直に先生の指導を実践し、間違いは間違いとして訴えてまいりました。その相手が宗門であろうと学会幹部であろうと変わりありません。それが三代会長の心であり、大聖人様の心であると確信するからです。悪に対しては一歩も退かない、それが先生や大聖人の姿勢であると信ずるからです。
最後に、池田先生のご指導を守り戦う私たち自活とその仲間達こそ、広宣流布と世界平和を担う主役であると確信し、その使命と自覚を持って今後も力強く突き進んで行くと決意して、私のつたない御書講義を終わります。
ありがとうございました。
御書講義 動画サイト
3月度座談会御書履歴
座談会御書 「聖人御難事」2000年(平成12年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)」2001年(平成13年)
座談会御書 「法蓮抄」2002年(平成14年)
座談会御書 「生死一大事血脈抄」2003年(平成15年)
座談会御書 「松野殿御返事」2005年(平成17年)
座談会御書 「報恩抄」2006年(平成18年)
座談会御書 「四条金吾殿御返事」2007年(平成19年)
座談会御書 「異体同心事」2008年(平成20年)
座談会御書 「曾谷殿御返事」2009年(平成21年)
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